第37話

 長い睡眠から目覚めたレイは、まるで先日が嘘であったかのように普通に動く事が出来た。


 恐らくは、体調不良や生理現象、ホルモンバランスの乱れによる精神の不調など、あまりに多くの要素が重なってしまった為に起きた出来事だったのだろうと消化した。


 とは言え、レイの足取りはとても重かった。


 一つのパンを大量の時間を掛けて流し込むという作業を行ってから、騎士団本部を歩いていると、正面からラインハルトが声をかけてきた。


 初めて会った時から二年経ち、大人ぶったガキだった彼も理知的な少年へと変わっていた。美しくキメ細やかな銀髪は変わらず、赤い眼光は鋭さを増し皇族という生命体を象徴するかの様な威圧感を少し纏っていた。


 ミラアリスの不在から、彼の訓練相手はレイとなっていた。


「随分酷い面をしているな、レイ」


「そちらは随分と健康的なお顔ですね殿下」


「はは、減らず口は相変わらずで安心したよ。見て分かるが体調不良による休暇なのだろう? そうなれば、手合わせは出来ないか」


 ラインハルト第二皇子、当然ながら権力構造においてかなりの上位に位置する存在であり、彼からの命令は絶対遵守である。死ねと言われれば死ぬ必要があり、相手になれと言われたら相手をしなければならない。


 とは言え主人公パーティーに入るような、優しさと道徳を持ち合わせた権力者だ。レイの顔色を見るなり求めていた手合わせは不可能だと察したのだろう。


 が、レイは少し考える。


「いえ、手合わせくらいならば問題はありません」


「不調でも簡単に打ちのめせると言いたいのか?」


「片手間で相手出来ますし、何より身体を動かしているうちは思考を無駄な事に割かずに済みます」


「よし分かった。私も男だ、煽られたのだからしっかりとやり返さなくてはな」


 売り言葉に買い言葉、流れる様に二人は訓練所へ行き、互いに武器を構えて向かい合う。


「いつも通り何でもあり、それで構いませんね?」


「ああ、だがいつも通り致命傷を与える事は避けよう、互いにな」


「ミリー、合図お願い」


 昨日の事があったばかりで非常に心配してくれていたミリアーネが、伺うようにこちらを見ていたのでお願いする。すると彼女は「分かったっす」と二つ返事で了承し、近付いてきた。


「始め! っす」


 彼女の合図と共に、ラインハルトは詠唱を開始する。足元に黒い魔法陣が浮かび上がり、魔法の準備へと入る。重なっていない魔法陣である事から、それは一重魔法であるとレイは判断した。式が複雑でない分発動速度は早いが、レイならば出る前に潰せる。


「丁寧に砕いて差し上げますよ」


 しかし、レイは動かずラインハルトに魔法を発動させる。


「ブラッドランス」


 陰が密集するように、レイの足元へ黒い何かが集まり、足元から黒い槍が刺し貫かんと現れる。が、レイはそれを容易く踏み潰した。


 それを読んでいたラインハルトは最大速で駆け出し、上段に構えた剣を振り下ろす。ガッと鈍い音を立てレイに防がれたのを見てから、彼女の腹へ向けて蹴りを放つ。


 しかしそれは躱され、どころか勢いを付けた剣戟が飛んでくるのをギリギリでラインハルトが防ぐ。


「腰が入ってない」


 防げはした。けれど、圧倒的な膂力の差によってラインハルトは軽く吹き飛ばされる。


「ブラッドニードル」


 飛ばされながらラインハルトは魔法を発動する。模擬戦開始前から仕込んでいた一重魔法、このタイミングであれば不意を付けるだろうという小細工。


「温い」


 予想していたとばかりに……いや、レイは予想はしていなかった。けれどそれは、単純に彼女にとって簡単に防げる程度の攻撃でしかなかった。軽く振るった剣で十本に及ぶ闇の針が全て打ち落とされる。


「まだだ」


 飛ばされた勢いを殺しながら、ラインハルトは再び詠唱に入る。一重如きでは効力を発揮出来ないのならば二重で、その考えは間違いでは無い。が、式に複雑さが増せば詠唱も構築も発動にも時間がかかる。


「これから大技使いますよって言うのなら、近付けさせちゃダメでしょ」


 ラインハルトのすぐ側に、レイが現れる。元より近距離戦闘を行っていた二人で、飛ばされたとは言ってもそこまでの距離は離れない。であるならば、その程度の距離を一瞬で詰める事はレイには容易い事だった。


「いいや、餌だとも」


 詠唱を継続したまま、ラインハルトは近くに現れたレイの腹へ向けて剣の柄を打ちつけようとする。が、受け止められる。


 空いている左手でレイの顔面を殴ろうとするがそれも止められる。互いに両手を封じられた状態となり、自由なのは両足だけ。


 右足を上げ蹴りを放とうとするが、浮かせた瞬間に踏みつけられる。これで自由なのは頭と左足のみとなる。


「二重魔法・ネガインパクト」


 本来魔法の位が上がっていく度に威力と範囲が増えていく、それが魔法の常識だった。けれど、ラインハルトの二重魔法はレイを参考に、範囲を殺してより威力を上げたものとなっていた。


 定めた一点と、その僅かな周囲。ラインハルトの持つ闇の属性を、一点に凝縮して破裂させ、相手の持つ防御力や加護などを反転させ爆発の威力を叩き込む防御不可魔法。


 それが、レイの胸の中央で炸裂した。

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