第29話
「もう一週間っすねー、ミラアリス様が帰らずに」
ミリアーネは食堂で、レイを膝に乗せてわしゃわしゃと頭を撫でながらそう呟いた。
帝国最強のミラアリス、彼女の失踪は騎士団を大きく騒がせ箝口令が敷かれたものの、何処から情報が洩れたのか帝国全体を揺るがすビッグニュースとなった。
勿論情報を流したのはイカロスの翼の仕業だろうが、最強がいなくなったと知れ渡り、今まで息を潜めていた犯罪者達も動きを見せるようになった。
何もかもが、ラウガウスの描いた通りに運んだ結果だろう。
「取り敢えず撫でるのをやめて、ご飯食べられない」
「えー、なら食べさせてあげようか?」
「自分で食える」
「でも食べられないって」
「その手を止めれば済む話」
教育担当という形で一緒に行動する事になったミリアーネだったが、ミラアリスの失踪も合わさって部屋まで同室となった。朝から晩まで、所では無い。トイレ以外一日中行動を共にする羽目になった。
悪いどころか嬉しい話ではあるのだが、レイの中に居座る別人格の元々の性別は男である為、精神衛生上宜しくはなかった。
ミラアリスはきっちりしていたから同室であってもドギマギさせるような事は何も無かったが、ミリアーネは一言で言えばだらしなかった。服は脱ぎ散らかし下着で部屋を出歩き、片付けをせず一緒に入浴しようとして来る。レイの別人格として生まれてから、一度たりとも目を開けて風呂に入る事も脱衣する事もトイレに入る事もして来なかった彼だったが、視覚を封じた分他の感覚が優れてしまった為やはり精神衛生上宜しくなかった。
たった一週間の生活での、精神的な疲労は計り知れない。
折角の環境なんだから甘受すればいいじゃん、と彼の心の中の悪魔は語りかけるし、何度もその甘言に乗ろうと思ったが、それでもいつか目を覚ました主人格であるレイに、侮蔑されるような事だけはしたくなかった。
端的に言えば生殺しである。
「あれ、どしたん? 随分不機嫌そうね」
「自由に食事出来なければ不機嫌にもなる」
「まぁ可愛いは罪って事っすよ」
「生まれで罪に問われるなんて酷い話だ」
結局レイは、いつも通りわしゃわしゃされながら食べる事にした。女の子とは髪型を気にするものでは無かったのだろうか、と思った疑問は胸に押し込んで。
街の中をミリアーネと見回りながら、レイは頭の中で必要な情報を纏めていた。知識とは蓄積するものだが、記憶は絶対不変では無い。積み上げられた知識と記憶の中から思い出すという行為が必要になるし、何より経年劣化するものだ。
だから、彼女は定期的にこの世界におけるシナリオの流れと主要情報を思い返していた。紙などに書き出して記録しておければ良かったのだが、彼女を取り巻く環境は四面楚歌。下手に情報を残すような行為はそのままレイの死に繋がりかねない。
この世界におけるキーアイテムは魔剣である。レイの持つ土属性のシャルロット、クロエが手にする事になる空と宙属性のレイナルド、ラインハルトが持つ事になる氷属性のルナシェイド、主人公であるタケルの手にする炎属性のメテオ、ヒロインであるリリーが手にする水属性のノーブル。これが主人公パーティーが所有する魔剣だ。
不思議な事に、レイを除いた四人の内二人に既に会っているのだから、運命というものを感じずにはいられない。
「あと、二本」
千年前に作られた魔剣は残り二つ。一つは破砕しもう一つは行方知れず……だった筈だ。
少なくとも一作目の方には出て来なかった気がするのだが……記憶の劣化が激しい。
そもそもいつやったのかを覚えてすらないゲームの、シナリオの大筋だけならまだしも詳細な設定まで覚えていられるかという話なのだ。熱中している時ならば設定の深堀りをして世界観の認識を固める楽しさを味わえるが、時間が経てばそれまでだ。他にもハマるゲームなどはあったはずで、もっと言えば週刊連載の漫画を好んで読んでいた。
ああ、世界観が凝り固まりすぎて難解過ぎる設定を持ったシリーズとかも好きだった。
「……はぁ」
あまり細かい事を覚えていたところで、活用出来るかは怪しいのだ。そう考えて思い出すのを辞めた。
「難しい顔してるっすねー」
ぷにぷにと頬っぺたを人差し指で突きながら、隣を歩いていたミリアーネが顔を至近距離まで近付けてくる。
「ちゃんと仕事に集中しないとダメっすよー」
「分かってる」
やめろ、と人差し指を手で払ってから見回りを続ける。
普段から行われる見回りの目的は威圧と事件の早期発見である。基本的に、事件が起こってからでないと騎士団は動けない。未然に防ぐなんて芸当は未来でも見えていなければ行えず、いくら抑止した所で所詮はその場凌ぎでしかない。
「ミリー、あれ」
前世ならば逢魔ヶ刻とも呼ばれる夕暮れの時間、貧困層が住む区画の路地裏にレイは一人の少女を見付けた。
「あれは……なんっすか?」
ボロ布のような衣服に汚れてボサボサの茶色の髪の毛、しかしその双眸だけは暗がりの中で紅く輝いていた。
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