第23話

 コンコンとノックしてから、ミラアリスは自室へと入る。魔石暴走の件と、それにまつわるレイの処置、さらにはその事件によって引き起こされたタタリア森林の魔物の暴走。それらの仕事を片付け軍部を預かる者として皇帝陛下への説明などなど、やる事が多過ぎた彼女は気付けば三徹目だった。無論、あと四徹くらいはいけるが頭を抱えるような問題が多過ぎて、彼女の頭は既にオーバーヒートしていた。


 今では同居人が居る為ノックしなければならないが、滅多に帰って来れない憩いの自室へと足を踏み入れた彼女は一目散にベッドへ向かう。


「……ミラアリス」


 同居人となった、常に目と表情が死んでいる十二歳の少女レイが、真っ青な表情で彼女の名前を呼んだ。


「顔に疲れが出てる。寝たいのは分かるが飯食って風呂入ってからにしろ……洗濯と洗い物はしとくから」


「食事も済ませたし入浴もして来た。お前にしては随分的外れな指摘だな、レイ。そんな真っ青な顔で言われても何の説得力も無いぞ」


 彼女の有り様は酷いの一言に尽きた。普段であればおよそ十二歳であるとは思えない程しっかりしていて、身の回りの事はキチンとして生活習慣も乱さないように行動する。真面目に働く社会人の一日を見ているようで、見た目と行動の噛み合わなさに最初は違和感を覚えたが、最年少で騎士団に入団という事も考えれば優秀過ぎても不思議では無い。


 そんな彼女がどうだ。今は風呂も入っていない様な状態で普段着のままベッドに仰向けで倒れている。死んでいるような、と言う表現がまさに当てはまる様相だ。


「おれは別にいい……ただ、女の子の辛さに挫けそうなだけだから」


「ああ、そういう事か」


 そういうのに個人差があるのは重々承知だが、彼女のそれは特に酷いらしい。他人にどうこう出来るものでもないのでまさに個人の戦いだ。


「流石の私も疲れて無理だ、酷い時は医務室へ行け」


「死んでも断る……」


 意地を張らずにさっさと行けば、多少は辛さも緩和されるだろうに。そう思いながらミラアリスは自らのベッドへ入り、この部屋には死体が二つ出来上がった。




「おはようレイ、大分良くなったみたいだな」


 日が明けて、泥のように眠っていたミラアリスはスイッチを入れた機械のように覚醒する。どうやらレイも起きていたらしく、彼女はベッドの上で胡座をかいて多少マシになった青い顔を抑えて呻き声を上げていた。


「おはようクソ女、随分目ん玉が節穴みてぇだな。脳みそ弄ってもっとハッピーにしてやろうか?」


「ははは! 随分機嫌が良さそうだ」


普段のレイは人形のようだ。変わらない表情に感情の機微を殆ど感じさせない。言われた事をこなし、言われない事はやらない。しかし、疲れがピークに達したり今回のように辛さが臨界を超えると彼女の隠された素が現れる。ミラアリスは素の彼女を気に入っていた。


 久しぶりに見れた反吐を煮詰めたような口の悪さに満足して、食堂へ向かい二人分の朝食を受け取り部屋へ戻る。辛くても食事を取らなければ更に悪化するだけなので、彼女が拒む場合は無理矢理捩じ込んでやろうと思ってそれを渡すが、苦い顔をしたレイは受け取って本当に少しずつだが食べ始める。


「随分と機嫌が良さそうだな帝国最強、なんかいい事でもあったのか?」


「お前の可愛い一面を見れた事が嬉し……そんな目で睨むな、愛らしいな」


「レズビアンか? 迫ってきたら全力で殺すからな」


「残念ながら普通に男が好きだよ。ただ、私より強い男じゃないと好かんがね」


「残念だったな、ならあんたは一生処女で独身だ。聖母目指せるんじゃないか?」


「血塗れの聖母か? 笑えるな」


「愛憎なんて表裏一体だろ。全てを愛し慈しむなんて土台不可能だ。なら愛しているものが害される時、涙を流して悲しむだけの無能よりは身命を賭して守ってくれる方が嬉しいもんだ」


「本題に戻るが、嬉しそうに見えたのなら立て込んでた仕事が一段落したからだろうな。お陰で使っていなかった溜まりまくった休暇を消費せねばならん」


「ここを離れられない休暇か」


「まぁ、私がいる事が重要だからな。こればっかりは文句を言っても仕方がない」


 なるほどそういう事か、と苦い顔をしたままのレイが呟いた。ミラアリスは神算鬼謀を思い付くような頭脳派ではないが、戦闘に関して多大な才覚を有するので、決して馬鹿では無い。レイの顔色や表情が芳しく無いのは、ただの体調の問題で無い事は分かっていた。


 どうにも、何かを悩んでいるように見えた。


「レイ、一体何を悩んでいるんだ?」


 迂遠な言い回しは得意では無い。力と力、心と心でぶつかり合う事を得意とする彼女は、話を聞く時もストレートだ。


「……」


 悩み、咀嚼すら止める。レイが何を考えているかまでは分からないが、余程大きな悩みだという事は間違いないだろう。


 やがて、彼女は懐から一つの包みを取り出した。


「ミラアリス・ハイドリヒ……おれの、いやこの子の為に、死んでくれるか?」

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