第2話

 返り血を浴びて全身真っ赤に染まったまま、身体が覚えている道を歩く。いきなりの事で混乱していたとは言え、この人格に与えられたのはレイを守ると言う役割だ。役割を全う出来るようにと下準備はされているらしい。


 記憶と経験、八歳に至るまでのレイの人生を彼も手に入れていた。


 そもそも、レイという名前の人間は存在しない。彼女が所属している組織では237という番号で呼ばれていて、組織に入れられる前の記憶は彼女には無い。そしてそれは彼も同じである。


 ゲームの設定では、レイは何処かの裕福な家庭の生まれだったらしいが、まだ幼い頃に誘拐された。人攫いや孤児が集まる様な教会等を転々とさせられていて、六歳になる頃に飼い主に拾われた。


 それから二年、子供の暗殺者を育成している中で彼女は育ち、八歳になった時から人殺しの仕事をさせられていた。


 恐らくは何度か人殺しをさせられて、今までの訓練の厳しさと合わせて心が壊れてしまったのだろう。とてもではないが、まだ八歳の子供が耐えられる様な体験では無かっただろう。


 チャリ、と左手バングルから伸びたチェーンが揺れる。その先には、直径二十ミリ程の水色の石が下がっている。


(不思議な感覚だな……)


 この世界において、魔法は一つの例外を除いて一人に一属性である。例えば主人公であれば光で、ヒロインであれば歌。そしてレイの扱える属性は氷だ。


 魔力は誰でも持っているが、それを扱い魔法を扱えるかは才能の有無で変わる。もし魔法を扱えると判断されると、レイのバングルに下がっているのと同じ―――属性によって色は変わるが―――魔石が与えられる。


 魔物にも魔石はあるが、人間と魔物のそれとで大きく物は異なる。魔物に宿る魔石は、言わば魔物にとっての心臓であり、それこそが存在を構成する核である。


 一方で、人間の魔石とは魔法を扱う為の外部器官だ。体内に宿る魔力を体外へと放出する為に必要なものであり、これが無ければ魔法を扱う事は不可能とされている。唯一の例外はやはり存在するけれど。


 最初に与えられた時の大きさは、精々が直径十ミリ程度らしい。そこから魔法を使い力量を上げていくことで大きくなっていく。この世界における過去の偉人や、現代でも猛者の持つそれの大きさは、直径五十ミリにもなると言う。


(繋がってる感覚があるのは、かなり変な感じだ)


 ゲームに出てきたレイの魔石は、相当な大きさだったなと思い返す。本来ならばレイが力をつけ魔石も大きくしていく過程を、代わりにしなければならないのだと。彼は気を引き締めた。




 ヴァナルガルド帝国の帝都、その中にあるハイペリオン邸。街中の隠し通路からそこの地下へと入ると、一人の男がレイを待ち構えていた。


 ラウガウス・ハイペリオン。レイの飼い主にして所属する組織のトップであり、このゲームにおけるラスボスの器だ。四十代という年齢に応じた出で立ちこそしているが、威厳と覇気を兼ね備えている。白髪混じりの黒い髪に燃えるような赤い瞳。熱を宿したその瞳が、ジロリとレイを見た。


「完了しました」


 今までこの男が出迎えた事など無かった筈だが、とレイは自らの記憶を思い返す。やはりそのような事は無く、待ち構えられる様な事をした覚えも無い。まさか自分が別人になっているのだと気付かれた筈もないので、尚更困惑していた。


「どうやら多少は使えるらしい。せいぜいそのまま有用性を示し続けろ」


 それだけを言って、ラウガウスは背を向けて自らの家へと戻って行った。


 この短いやり取りに、一体何の意味があったのか……考えようとしても無駄だったので、地下の居住区画へと入って行った。




 ラウガウスをトップに据える組織の名は「イカロスの翼」である。構成員は多くないが、表向きの組織の目的は帝国の立て直しである。


 例えば騎士団が取り逃している犯罪者、或いは社会的に抹殺が不可能な貴族、他国のスパイや教会の庇護下にいる存在など、正攻法では消せない存在達を殺す為に育成されているのが、レイを含めた暗殺部隊だ。もっとも訓練の過酷さや仕事の辛さから、生き残っている人数はかなり少ない。ラウガウスからすれば、数多ある手駒の内の一つで、使えたら使う程度の存在でしか無い。


 ラウガウス、と言うよりはその中身の恐ろしさは、そんな部隊を作り上げ所有している事では無い。そんな手段を持ちながら、表舞台で堂々とのし上がり成り上がり、帝国議会においてかなりの発言権を有するまでになった知謀だ。


 前述した者達を殺す為の部隊、その子供部隊に所属するのがレイだが、ラウガウスはそんな部隊を使わずとも正攻法で大体の敵を片付けてしまう。


 その権力とカリスマ、そして根を広げ味方を作る知謀に強固な組織を作り上げる手腕。ラウガウスの中身を知らなくとも、彼のプロフィールを羅列するだけで敵に回したくないと思える存在だ。


 考えるだけで嫌になると、頭を振って与えられた個室へと入る。血だらけで気持ち悪いから、身体を洗い流して熱々の風呂に入りたい気分だった。


 そこで気付く。


「……風呂、どうしよう」


 ハイペリオン邸地下に広がる空間は「イカロスの翼」の拠点である。構成員が使う為の部屋と、表に出る事の出来ない暗殺部隊用の個室がある。その中には、シャワールームも存在する。


 しかし、レイは女である。


 そして、中身は男である。


 さらに言えば、レイというキャラクターは彼にとっての推しキャラなのだ。


 汚したくない。本音と欲望は嬉々として裸になって舐め回すように身体を見回すだろうが、紳士の部分とオタクの部分がそれを断固として拒否するのだ。


 見たい、けど汚したくない。ああ、どうすべきか。


 レイはシャワールームに向かって決意した。視覚情報を遮断して生きていける様にしようと。


 推しの裸は、俺が守ってみせる……!

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