其の二 男子高校生、烏退治に奔走する

 5月12日金曜日午後3時、二度目の襲撃は何の前触れもなく起こった。

 六限目の体育の授業中の最中、事件は起きてしまった。

 六限目の体育はソフトテニスだった。

 僕たち2年4組の生徒は全員体育着に着替えると、学校のテニスコートへ向かった。

 男子と女子はそれぞれ分かれて、コートを使って練習や試合をすることになった。

 僕は晴真とペアを組んでコートで練習していた。

 お互い初心者なので、練習半分、おしゃべり半分といった感じで打ち合っていた。

 「まさかお前がかみごおりのヤツに告白するなんて驚いたぜ。」

 「だから、昨日から何度も言ってるだろう。告白じゃないって。」

 晴真は昨日からこんな感じでしつこく僕を茶化してくる。

 「ただ、ちょっと彼女に聞きたいことがあって、屋上で話をした、それだけだよ。」

 「はいはい、分かってますよ。」

 本当に分かっているのか、こいつは。

 僕と晴真が話をしながら練習をしていると、オオーという歓声が聞こえてきた。

 声の方を見ると、一番奥のコートで女子たちがダブルスの試合をしていて、男子たちが大声で歓声を上げながら試合を観戦していた。

 「浄、お前も一緒に観に行かないか?」

 晴真が誘ってきたので、僕は練習を止めて晴真と一緒に試合を観に行った。

 コートを見ると、ダブルスのペアの中に、神郡さんの顔が見えた。

 男子たちが自分たちの練習そっちのけで試合を見ているのは彼女が理由のようだ。

 試合結果を記録したボードを見ると、神郡さんのペアが圧勝している。

 試合の様子を観ると、神郡さんが放つサーブやレシーブに相手のペアは全く追いついていけず、息を切らしている。

 ただ、気になるのは、神郡さんとペアを組んでいる女子は全く動いておらず、神郡さんが一人で相手のペアと戦っている。そんな感じだ。

 神郡さんとペアの女子はまだ試合中にも関わらず、神郡さんを一人コートに残して、コートの近くにいた別の女子の方に行き、そのままおしゃべりを始めた。

 おいおい、まだ試合中だぞ。いくら嫌いだからって置いて行ったりしていいのか?

 だが、誰も気に留めている様子はなかった。

 試合の審判をしている先生も注意せず、放置している。

 僕はすごく不快な気分になった。

 確かに神郡さん一人でも試合は成り立つかもしれない、このまま圧勝してしまうかもしれない。

 けど、神郡さんだって僕たちと同じクラスメイトで、たとえ本人が他人とつるむことに否定的であったとしても、それでも困っているときはお互いに助け合うべきなんじゃないのか?

 これでは神郡さんがあまりに気の毒だ。

 彼女は一人で何でもできる。勉強も。スポーツも。何だってできるかもしれない。

 でも、神郡さんは一人しかいない。何もかも彼女一人にさせて、彼女一人にすべての負担を負わせるのは間違っている。もし、神郡さんに悩みができて、それが彼女一人では解決できないものであったとき、誰も彼女を助けず、話も聞かず、ただ外から眺めているなんて、そんなのは血の通った人間がすることじゃない。

 彼女は今現在、悩みを抱えている。

 それをクラスで、いや、学校で知っているのは僕一人だ。

 僕は無責任で薄情な傍観者などには絶対にならない。

 僕は血の通った一人の人間として、同じクラスの仲間として、必ず彼女を助ける。天才だから助けないなんてことはしない。天才も凡才も同じ人間で、助け合うのに壁などあってはならない。

 コートで一人孤独に戦う少女の姿を見ながら、ぼくはそう思った。

 試合もいよいよ終盤に差し掛かってきた。

 このまま行けば、神郡さんの圧勝で終わることだろう。

 みんなが固唾を飲んで試合を見守る中、僕の耳にどこからか、烏の鳴き声が聞こえてきた。

 僕は辺りを見回すと、テニスコートを覆う柵と柵の間の柱の上に、一羽の烏が留まっていた。

 烏は神郡さんの方をジッと見つめている。

 まずい。間違いなくあの烏の妖怪だ。

 僕は急いでコートにいる神郡さんにその場から離れるよう言おうとした。

 しかし、時すでに遅かった。

 烏の妖怪は柱の上から急降下すると、猛スピードで彼女の体へとぶつかり、彼女の体を貫くと、そのまま飛び去ってしまった。

 神郡さんを見ると、一瞬立ち止まった後、コートの上で倒れてしまった。

 「神郡さん!!」

 僕は彼女の名前を呼んだ。だが、彼女はピクリとも反応しない。

 完全に意識を失っているようだ。

 周りは騒然となった。

 当然だ。彼女が人前で倒れたのはこれで二度目だ。今回は意識も失っている状態で最悪の状況と言っていいだろう。

 審判をしていた先生が慌てて駆け寄り、何度も彼女に呼びかけるが全く応答はない。

 先生は近くで試合を観ていた生徒たちに職員室へ行って、救急車を呼ぶよう指示を出した。

 指示を受けた生徒たちは走って職員室へと向かった。

 10分後、救急車が到着し、神郡さんは救急隊員に運ばれ、そのまま病院へと搬送された。

 僕は二度目の襲撃を防げなかった悔しさに唇をかみしめた。

 もはや、一刻の猶予もないことが分かる。

 次にあの烏の妖怪の襲撃を受ければ、彼女は命を落とす危険がある。

 何としてでも、次の襲撃が起こるまでにあの妖怪に関する手がかりを突き止めなければ。

 だが、次の襲撃がいつ起こるかは全く見当がつかない。

 加えて、あの妖怪は壁や床をすり抜けてどこからでも相手を攻撃できる特性がある。

 まさに神出鬼没の殺し屋と言ってもよい。実に厄介な相手だ。

 こんな時、犬神の助けがあれば。

 いや、弱気になっては駄目だ。

 今回は犬神の助けを借りずに彼女を妖怪から助ける、そう誓ったはずじゃないか?

 僕は自分に改めて喝を入れ直したのだった。

 帰りのホームルームの時間になると、担任の先生が神郡さんの容態についてクラスの生徒たちに説明を始めた。

 彼女はつい今しがた意識を取り戻したとの連絡が入ったそうだ。医師からは熱中症と診断され、二、三日入院するとのことだった。

 僕は彼女が意識を取り戻したと聞いて少しホッとした。

 クラスメイトたちの方を見ると、男子たちは彼女が助かったと聞いて、嬉しそうな表情を浮かべていたり、涙を流して喜んでいたりする。

 女子たちもさすがに今日のことは堪えたのか、皆一様に気まずそうな表情を浮かべて先生の話を黙って聞いていた。

 ホームルームが終わると、僕は国語科準備室に向かった。

 国語科準備室は歴史研究部の部室で、顧問の島津先生は夜見近市の郷土史に詳しい。

 僕は国語科準備室のドアをノックして入ると、歴史研究部の面々が集まり活動していた。

 僕が準備室に入るや否や、身長190センチの坊主頭の巨漢が顔をしかめながら僕の前に立ちふさがるとしゃべりかけてきた。

 「何の用だ、京野。部外者は立ち入り禁止だ。」

 この大男の名前は猪飼いのかいと言って、歴史研究部の副部長をしている。

 僕と同じ二年生で普通科に在籍している。

 一見すると、柔道部員やラグビー部員を思わせるほどガタイがよく、とても文科系の部活をしているようには見えない。

 「島津先生に大事な用があるんだ。悪いけど、そこを通してくれないか?」

 「駄目だ。今は大事な部活の最中だ。邪魔をするな。」

 猪飼はドアの前から動こうとはせず、僕を通してはくれない。

 「猪飼君、そんなこと言わず、京野君を通してあげなさい。」

 準備室の奥から、女性の声がした。

 声の主は、立花たちばな 四葉よつば先輩だった。

 立花先輩は僕より一個上の三年生で、特進科に在籍しており、僕が今いる歴研究部の部長をしている。三年生で唯一の部員でもある。

 身長は170センチ、亜麻色のロングヘアーにサイドに編み込みを入れた髪型で、四角いレンズに桜色のフレームの眼鏡をいつもかけている。

 歴史小説が好きで、いつも部室では歴史小説の本を読んでいる。また、自身でも小説を執筆していて、僕は一度彼女の小説を読ませてもらったことがあるが、大変面白いストーリーであった。

 性格はおっとりとしていて、誰にでも優しい。

 読書姿が絵になる美少女といった印象もあり、校内の一部の男子から密かに慕われている。

 「部長、どうしてこんなヤツに構うんですか?部員でもないのにしょっちゅうウチの部室に入ってきて、部長や先生たちの貴重な時間を奪っていくようなヤツなんですよ、こいつは。他の部員たちだって迷惑に思っているはずです。」

 副部長の猪飼は僕のことを嫌っている。

 理由は簡単だ。猪飼は立花先輩のことが好きだからだ。

 僕が立花先輩と話をしていると、いつも不機嫌そうな表情で見てくる。

 他の男子部員が立花先輩と話をしていても同じ反応だ。

 別に僕は先輩に対して恋愛感情は無い。

 ただ、お互い趣味が読書ということもあり、話が合うという、ただそれだけだ。

 「私は別に京野君を迷惑だなんて思わないわ。勉強熱心で、ここに来るのも島津先生に毎回質問に来るためであって、ふざけたことなんて一度もないじゃない。ごめんね、京野君。先生は奥にいらっしゃるわ。猪飼君、早くそこをどきなさい。」

 立花先輩がそう言うと、猪飼はしぶしぶ道を開けた。

 準備室の奥に行くと、島津先生は古典の研究に関する本や論文を机に広げて読みふけっていた。

 僕は島津先生に声をかけた。

 「島津先生、お忙しいところ申し訳ありません。実は質問したいことがあってきました。お時間をいただいてもよろしいでしょうか?」

 先生は僕の方に気付くと、

 「おおっ、京野か?先生なら別に大丈夫だ。」

 そう言うと、自分の机の傍に寄せるようにパイプ椅子を一脚置くと、そこに座るよう促した。

 「それで、質問とは何だ?」

 「はい、先生は夜見近市の郷土史についてお詳しいと聞きまして、先生は夜見近市で烏にまつわる伝承などはご存じだったりしませんか?」

 僕が烏の伝承について訊ねると、先生はしばらく考え込んだ後、急に思い出したような表情を浮かべ、僕に語り始めた。

 「京野、君は夜見近市が昔、前藩まえはんと呼ばれていたことは知っているか?」

 「はい、人並みには。」

 夜見近市、正確には現在の夜見近市とその周辺地域一帯の市町村は江戸時代の頃、前藩まえはんと呼ばれ、代々おかうらという一族が治める地域であったそうだ。

 「当時、夜見前藩を治めていたのが陸浦家の一族だが、陸浦家は江戸にある藩邸、いわば本邸とは別に、夜見近市内のとある場所に別邸に当たる屋敷を構えていた。その別邸があった場所がどこかは知っているかい?」

 「いえ、それは知りません。」

 「陸浦家の別邸は現在の夜見近市の中心市街地、中央通り商店街がある仮住間かりすまちょうの一角に大きな屋敷を構えていたと記録が残っている。残念なことに、別邸自体は戦時中の空襲で全焼してしまい、今はもう残ってはいないが。」

 先生はそこまで言うと、手元にあったカップからコーヒーをすすると、ふたたび話を始めた。

 「本題はここからだ。陸浦家の当時の何代目だったかは忘れたが、歴代の当主の一人に鷹匠たかじょうの真似事を趣味とする者がいたそうだ?」

 「タカジョウ?タカジョウとは何でしょうか?」

 「鳥の鷹にたくみと書いて、鷹匠たかじょうと読むんだ。鷹匠たかじょうとは、江戸時代、朝廷や将軍家、大名家などに仕えて、鷹狩り、すなわち鷹を使った狩猟に用いるための鷹を飼育した職業のことだ。鷹匠の真似事に嵌っていた陸浦家の当主はどういうわけか鷹の代わりにからすを飼って躾けていた、という話がある。そして、躾けた烏に自分が留守の間、仮住間町の屋敷の番をさせ、屋敷を護らせたそうだ。要は烏を番犬替わりに使っていたということだ。もっとも、この話自体は真偽不明で作り話の可能性は高いがね。」

 仮住間かりすまちょうおか浦家うらけの別邸、それに陸浦家の当主が飼っていたとされる番犬替わりのからす

 確証はないけれど、あの烏の妖怪と何かつながりがあるかもしれない、僕は直感で思った。

 「貴重なお話をありがとうございます。大変参考になりました。お忙しいところ、すみませんでした。」

 僕は先生にお礼を言うと、席を立ってそのまま準備室を出た。

 去り際に猪飼のヤツがボソッとした声で「二度と来るんじゃねえ。」と僕に向かって呟いた気もしたが、まあ忘れよう。

 僕が国語科準備室を出て廊下を歩いていると、後ろから「待ってー。」と呼ぶ声がする。

 振り返ると、立花先輩が走って僕を追いかけてきたところだった。

 「どうしました、先輩。何か僕に用ですか?」

 僕が訊ねると、先輩は息を整えた後、喋り始めた。

 「さっき、京野君と島津先生の会話が聞こえてきて、ちょっと気になったものだから。気を悪くしたならごめんなさい。でも、京野君が勉強以外のことで先生に質問するなんて珍しいなぁと思って。どうして、烏の伝承なんて調べているんだろうって?」

 普段おっとりとしていて、歴史小説にしか興味なさそうにしているのに、偶に鋭いんだよなぁ、この先輩は。

 「もしかして、君のクラスの神郡さんが倒れた件と何か関係があるの?」

 先輩の推測どおり、僕はあの烏の妖怪と、仮住間町の屋敷の烏の関係を探っている。

 だけど、妖怪の話をしたところで先輩は信じてくれないだろう。

 「別にそんなんじゃありませんよ。ただ、同じクラスに烏が好きなヤツがいて、ソイツと話をしていたら、夜見近市にも烏の伝承があるんじゃないのかなって話題になって、自分でもちょっと気になったので先生に聞いてみただけですよ。」

 先輩は僕の返事に微妙に納得していなそうな表情を浮かべたが、

 「そうよね。神郡さんと烏の伝承に関係があるなんて、考え過ぎよね。第一、あの神郡さんと烏がって、全然イメージが合わないもの。神郡さんって、どっちかと言うと白鳥なんかが似合うイメージよね。ごめんなさい、変なことを聞いてしまって。」

 先輩はそう言うと、準備室の方へ帰って行った。

 先輩との会話を終えると、僕はすぐに学校を出て、自宅へと帰った。

 自室に入ると、僕はすぐさま机に向かい、島津先生から聞いた烏の伝承についてノートにメモをとった。

 ノートのメモを見ながら、僕は今後どう動くか思案していた。

 僕がこうやって対策を考えている間にも、あの烏の妖怪は神郡さんを襲う機会をうかがっているに違いない。

 僕はノートの仮住間かりすまちょうの文字に目を留めた。

 「仮住間町か。」

 もし、僕の推測が正しければ、この仮住間町があの烏の妖怪の縄張りであるかもしれない。

 上手くいけば、あの妖怪を見つけ、三度目の襲撃を防ぐ対抗策が見つかるかもしれない。

 僕は明日、仮住間町に行くことに決めた。

 「どうか、三度目の襲撃までに間に合いますように。」

 僕は言葉に出して祈った。

 5月13日土曜日。僕は朝食を急いで食べ終えると、目的地である仮住間町に足を運んだ。

 仮住間町は夜見近市の中心市街地の一角を担う地域で、町の真ん中には国道が走っている。その国道に沿う形で仮住間町中央商店街の通りが形成されている。夜見近市民は中央通りとも呼んでいる。

 昭和の頃は多くの商店が立ち並び、大きな百貨店も軒を構え、通りを埋め尽くさんほどの人が歩いていたほどの盛況ぶりであった仮住間町中央商店街だが、時代が平成、令和へと移っていくにつれ、自動車の普及や郊外への大型ショッピングモールの出店など、時代の変化には逆らえず、今や通りを歩く人はほとんどおらず、開店している店はわずかで、閉店している店がほとんどという、いわゆるシャッター通り商店街となっている。

 僕が仮住間町の中央商店街に着くと、土曜日の午前中にも関わらず、ほとんどの店がシャッターを下ろしていた。営業している店はわずかだ。通行人も指で数えるほどしか歩いていない。

 僕は閑散とした商店街の通りを目を凝らしながら、ゆっくりと歩いた。

 目的は当然あの烏の妖怪を見つけることだ。

 僕は一時間ほど商店街の通りを往復したが、烏の妖怪は現れない。

 僕は中央の通りを外れて商店街の脇道に入ると、次に仮住間町中央商店街に隣接する歓楽街へと足を運んだ。

 午前中とあって、歓楽街にある居酒屋やスナック、キャバクラ、ガールズバーといった店はほとんど閉まっていた。通行人は僕以外誰もいなかった。

 夕方になれば、酒を飲みに訪れる客で多少にぎわうのだろうが、その時間帯に高校生の僕が出歩いていれば警察に補導されかねない。

 何とか夕方までには手がかりを見つけなければ。

 人気のない歓楽街の中を僕は進んで行った。

 路地裏から店の屋根の上、道端に駐車している車のボンネットの上まで、視界に入るものすべてを見て回ったが、烏の妖怪の姿は一向に見えない。

 午前中、町の中を歩き回ったが、結局あの烏の妖怪を見つけることはできなかった。

 僕は中央商店街にある喫茶店の中に入ると、商店街の通りが一望できる窓側の席に座った。

 店員に昼食を頼んだ後、僕は持参したノートを鞄から取り出しテーブルに広げると、ノートのメモを見ながら昼食後の動きについて考えた。

 「闇雲に歩き回ったところであの烏の妖怪に出会える保証はないな。かえって時間の無駄だ。となると、ここは動き回らず、通りを見張るのもありだな。」

 僕は喫茶店の中から通りを見張ることにした。

 あの烏の妖怪が向こうから姿を見せてくれる可能性は低いが、他に選択肢は無かった。

 昼食をとった後、僕は飲み物やデザートなどを頼みながら、窓から見える通りを見張り続けた。

 喫茶店に入ってから三時間後、午後4時を過ぎた頃に僕の目の前でその事件は起こった。

 窓から通りの様子を伺っていると、40代から50代くらいの中年女性が左肩にハンドバックをかけたまま僕のいる喫茶店の前を通り過ぎようとしていた。

 窓から女性の姿をみていたその時、女性の背後から黒いヘルメットに黒いジャケットを着こんだ全身黒づくめの男が黒いスクーターに乗って女性の方に近づいた。

 近づいたと思った瞬間、黒づくめの男は女性が肩にかけていたハンドバッグをひったくり、猛スピードでその場からスクーターに乗って逃げようとした。

 通りから女性の悲鳴が聞こえ、一部始終を窓から見ていた僕はスマホを急いで取り出して警察に通報しようとした。

 まさにその時だった。

 カアーという聞き覚えのある大きな鳴き声が喫茶店の中にいた僕の耳に聞こえたと思うと、烏が猛スピードで飛びながら、スクーターで逃げる男の背中から男の体を貫いたのが見えた。

 貫かれた瞬間、男はスクーターの運転を誤り、スクーターとともに道路へ横転した。

 道路に投げ出された男は全身を打ったのか、立ち上がって逃げようにも力が入らず、道路の上でのたうち回っている。さらに、時折胸を苦しそうに抑えている。

 僕はスマホから警察に通報すると、会計を急いで済ませ、通りに出た。

 通りを見回すと、道路を挟んで、倒れている男のちょうど向かい側の店の屋根の上に、烏が男を見下ろすように留まっていた。

 僕が通報してから5分後、警察がやってきて男はひったくりの現行犯でその場で逮捕された。

 逮捕された男は警察官に肩を貸してもらいながら、悔しそうな表情を浮かべ、パトカーの中へと入った。

 ハンドバッグをひったくられた女性は、バッグが無事に戻ってきたことに安堵し、涙を浮かべながら喜んでいた。

 警察官が僕の方に来ると、いくつか質問をしてきた。

 僕が質問に答え終わると、警察官の人は

 「通報ありがとう。お手柄だったね。」

 と言って、僕を褒めてくれた。

 そして、パトカーに乗って帰って行った。

 僕は通りの向かい側にある店の屋根を見ると、男を貫いたあの烏が留まっていた。

 烏は、男が警察に捕まってパトカーに乗せられ連行されていく姿を見届けると、何処ともなく飛び去って行った。

 烏の飛び去る姿を見送りながら、僕は確信した。

 今飛び去った烏こそ、僕が探し求めていたあの烏の妖怪であると。

 そして、先ほど僕の目の前で起こったひったくり事件から、僕はとある事実に気が付いた。

 「犬神、お前の言っていたことの意味がようやく分かったよ。なぜ、神郡さんがあの烏の妖怪に襲われるのか、お前が神郡さんを罪人と呼ぶわけが。」

 僕はそう呟くと、仮住間町を後にした。

 神郡さんが烏の妖怪に狙われるおおよその理由は分かった。

 対抗策についても検討は付いた。

 だが、神郡さんを説得し、今回の烏の妖怪の一件を解決するためには、やはりどうしても犬神の協力が必要不可欠だ。

 右肩の方を見やると、犬神は目を閉じて眠っている。今日も供物のチョコ―レートの催促以外、ほとんど一日中眠っている。

 こいつの協力を取りつけるためにはそれ相応の準備が必要だ。

 僕は一計を案ずると、自宅へ帰る途中、とある場所によって、とあるモノを購入した。

 「これで上手く犬神を説得できればいいが。」

 僕は若干の不安をおぼえながら、家に帰った。

 すでに計画はできている。後は実行に移すのみだ。

 「必ず君を助けてみせるよ、神郡さん。」

 僕はそう呟きながら、犬神の説得に向けて動き始めたのであった。
























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