其の六 男子高校生、初めて友達ができる

 4月21日金曜日、僕はいつものように学校へ登校した。霊感に目覚め妖怪が視えるようになったことが分かったが、今のところ問題はない。

 僕は教室へ入ると、クラスの誰とも挨拶を交わすことなく、黙って席に着いた。

 これが僕の日常である。

 クラスに親しい人間はいない。友達がいない、コミュ障で陰キャのぼっち、それがこの僕、京野 浄である。

 別に寂しいと思ったことはない。ぼっちには小学生の頃から慣れっこだ。

 それに、今は犬神がとり憑いている。下手に友人を作ったところで、犬神とやり取りしているところを見られでもしたら、たちまちクラスで噂が飛んで変人扱いされるに決まっている。

 だから、ぼっちで構わない。そう思っていた。

 一限目の数学の授業が終わった後の休み時間、二限目の国語の授業に向けて準備をしていた時、前の席から僕を呼ぶ声がする気がした。

 顔を上げると、一人の少年が僕に話しかけていた。

 「おおい、やっと気づいたか。何回も呼んでるのに全然顔をあげないから一瞬無視されてるのかと思ったぜ。」

 色黒の、いかにも典型的な陽キャといった感じの少年が話しかけてきた。

 「ええっと、何か僕に用かな?」

 僕は少々緊張した面持ちで、おそるおそる訊ねた。

 実は進級して以来、クラスメイトと話をするのはこれが初めてだったりする。

 「そんなに固くなんなよ。クラスメイトだろ。ええっと、お前名前なんて言うんだっけ?」

 目の前の陽キャボーイは僕の様子を気にすることなく、グイグイと話しかけてくる。

 「京野みやこの じょうです。」

 僕が名前を教えると、陽キャボーイは自己紹介を始めた。

 「俺の名前は山田やまだ はるだ。よろしくな。実は頼みがあってさ。俺、次の国語の宿題をやるのを忘れちまってさ。良かったら見せてくれないか?この通りだ、頼む。」

 山田君は僕に頭を下げて、宿題を見せてくれるよう頼んできた。

 僕は、もし宿題を見せなかったことで目の前の陽キャボーイから下手に恨まれたりしたら嫌だな、そう考えると宿題を見せることにした。

 「別に構わないよ。授業が始まるまでには返してくれよ。」

 「本当か。マジでサンキュー!助かったぜ。」

 山田君は嬉しそうに僕から宿題のノートを借りると、必死に自分のノートに写し始めた。

 そして、約束通り二限目の国語の授業が始まる直前に宿題のノートを返してくれた。

 二限目の国語の授業は、僕がこの学校で唯一信頼している先生である島津先生が担当している。

 島津先生を好きになった理由が、先生の授業スタイルにある。

 僕は一年生の時から島津先生の国語の授業を受けているが、先生が一年生の時の国語のオリエンテーションで話した内容は今でも僕の心に響いている。

 先生は僕たち学生に対して、国語とは何か、国語をどう思うかという質問をしてきた。

 大抵の生徒は、国語は読解力を鍛えるための教科であるや、古典が難しくて勉強する意味が分からないなど、ありきたりな回答をするばかりであった。

 そんな生徒たちを前に島津先生は次の言葉を述べた。

 「国語は全ての学問に通じている。」

 最初は先生の言葉に懐疑的な目を向ける生徒が大半で僕もその一人だったが、先生の話を聞いていくうちにだんだんとその意味が分かり、みんな引き込まれていった。

 先生曰く、国語は文章を読んで理解するためにさまざまな知識が求められる。例えば、古典を読むとしよう。古典は、日本の古い書物を読み解く古文と、中国の古い書物を読み解く漢文の二種類に大きく分けられる。そして、古文なら古文独自の読み方や日本の古い文化・歴史に関する知識が必要となる。漢文なら漢文独自の読み方や中国の古い文化・歴史に関する知識が求められる。

 現代文を読む場合は、現代文のテーマは科学や政治、芸術、外国の文化など多種多様なテーマを取り扱っているため、それらに対する一定の知識が求められる。

 小説を読む場合は、物語に描かれる人物の心理描写や、描かれる舞台の情緒を読み解く必要があり、心理学や哲学、人間科学に関する知識や理解が必要となる。

 文章を書く場合は、自分の目的に合わせて、自分が知りうるあらゆる分野の知識と言葉を総動員して、一つの文章を書き上げ、結論を導かなければならない。

 国語はあらゆる学問についての知識が求められるとともに、あらゆる学問の知識を生かして一つの答えを導き出す、言い換えるならば、国語は全ての学問に通ずる出入り口なのだと、島津先生は語った。

 そんな先生の授業スタイルは常に生徒一人一人に目を向け、生徒と言葉を交わしながら、授業の中で生徒が抱いた疑問を時には先生自身が答え、時には一緒になって答えを考えるという、まるで大学のゼミに入ったかのようなものである。

 宿題を忘れる生徒がいても軽く注意する程度で、逆に忘れた生徒が授業に興味を持つように語りかける。

 だからだろう。島津先生の授業で居眠りをしたり、宿題を忘れたりする生徒はほとんどいないと言っていい。みんなが島津先生の授業に毎回熱中するように聞いている。

 僕は学校の授業で唯一好きな科目が国語であった。

 島津先生の教え方がおもしろくて分かりやすいのもあるが、僕自身唯一得意な科目が国語であるというのも理由だ。

 ちなみに、僕から宿題のノートを借りた山田君はこの日の授業で宿題の問いに関して島津先生から当てられたが、僕の貸したノートに記してある回答どおりに答え、事なきを得た。

 二限目の授業が終わると、山田君が後ろを振り返って、ふたたび僕に話しかけてきた。

 「ノートありがとな、京野。おかげで助かったぜ。」

 「別に大したことじゃないよ。困った時はお互い様さ。」

 「大したことあるって。今まで一度も話したことがない俺に気前よく宿題を見せてくれるなんて、お前って実はすごい良いやつだな。」

 山田君は僕の顔を見ながら、感心したような表情を浮かべて僕を褒めてきた。

 僕はただ誰かとトラブルになるのが嫌で宿題を貸しただけなんだが。

 「そんなに気にしないでよ、山田君。僕でよかったらこれからも宿題を見せてあげるからさ。」

 「本当か?マジで助かるよ。どうも最近物忘れがひどくってさ。ここ最近毎日のように宿題を忘れてしまうんで困ってたんだ。ちゃんとメモ帳にも宿題のことを書いているのにいつも忘れちまうんだよ。本当、どうしちまったんだろ、俺?」

 山田君は最近なぜか物忘れがひどく、特に宿題を忘れてしまうらしい。

 まあ、人間誰しも物忘れの一つや二つあっても別におかしくはない。

 ただ彼は忘れっぽい性格なのだろう。

 そんな風に一人納得していると、カサカサと虫がどこかを這いまわる音が聞こえてきた。

 昨日虫の妖怪に出会って嫌な思いをしたのにまた虫か。

 本当に嫌になってくる。

 僕は虫の音が一体どこから聞こえてくるのか周囲を見回した。

 すると、山田君の左肩に一匹の小さな百足が乗っていた。

 百足はどんどん山田君の首筋に向かって駆け上がっていく。

 僕は思わず叫んだ。

 「山田君、首に百足が!!」

 「えっ、どこだ?どこにいる?」

 山田君は必死になって首の方を触っている。

 ついに百足が山田君の首筋に辿り着くと、思い切り山田君の首に嚙みついた。

 「山田君!!」

 その瞬間、山田君は急にトロンとした目になって、まるで我を失っているかのような表情になった。

 そして、首に噛みついていた百足が噛むのを止めて背中の方へ逃げていくと、また意識を取り戻した。

 「あれっ?俺、今、何してたんだっけ?」

 「山田君、覚えていないの。今、百足に噛まれて大変だったんだよ。」

 「えっ、百足?どこだ、どこにいるんだ?」

 「今、背中の方に回ったよ。早く取らないと。」

 「マジかよ。クソっ、どこにいやがる?」

 山田君が僕の方に背中を向けながら必死になって、百足を追い払おうと手を回している。

 山田君の手が百足の体に触れたその時、また奇妙なことが起こった。

 何と百足の体が山田君の手をすり抜けてしまったのだ。

 僕は昨日、これとよく似た光景をすでに見ている。

 間違いない。この百足はただの百足じゃない。妖怪だ。

 僕は二日続けて妖怪に出くわしたことに一瞬頭が痛くなったが、すぐに頭を切り替えた。

 「ごめん、山田君。どうやら僕の見間違いだったようだ。本当にごめん。」

 「えっ、見間違い?もう、びっくりさせんなよ。マジで驚いたぜ。でもまあ、見間違いで良かったわ。」

 山田君はそう言うと、ホッとした表情を浮かべた。

 「ところで京野、次の授業は何だっけ?」

 「次の授業は英語だよ。確か英単語の小テストがあるよね。」

 僕が三限目の授業について説明すると、山田君は

 「そっか、次は英語だったな。でも、小テストは大丈夫。ちゃんと予習してきたからな。」

 そう言うと、英単語帳を開き始めた。

 「今日の小テストの範囲は...あれ、何でだ、全然思い出せない?」

 山田君は途端に慌て始めた。

 「おかしい。確かに昨日予習してバッチリ暗記までしてきたはずなのに?」

 「山田君、大丈夫。とにかく落ち着いて。小テストの範囲なら教えるから。それに、小テストは授業の最後にやるって先生が言っていたから、授業中に覚えれば十分間に合うよ。」

 僕がそう言うと、山田君は安心したのか、落ち着きを取り戻した。

 「本当にすまない。お前には今日助けてもらってばっかりだな。この御礼は必ずするからよ。」

 山田君は申し訳なさそうな表情を浮かべながら、僕から英単語帳を借りていった。

 三限目の英語の授業が始まった。

 前の席を見ると、山田君の背中にあの百足の姿をした妖怪が留まっていた。

 さっきの山田君の物忘れはただの物忘れなんかじゃない。

 あの百足の妖怪が山田君に何かしたのだ。

 僕は授業中ではあったが、声を潜めて右肩で寝ている犬神に声をかけた。

 「おい、犬神。起きろ、犬神。大切な話があるんだ。頼むから起きてくれ。」

 『何だ、我が気持ちよく寝ているときに。一体何の用だ?』

 犬神は不機嫌そうな声を出して目を覚ました。

 「前の席に座っているやつの背中を見てくれ。背中に留まっているあの百足みたいなのは、ひょっとして妖怪じゃないか?」

 僕が訊ねると、犬神は

 『んんっ、ああっ、無垢むくではないか。』

 とつまらなそうな表情を浮かべて言った。

 「無垢むく?無垢足って言うのか?あの妖怪はどんな妖怪なんだ?もしかして、人に害をなす妖怪だったりするのか?」

 僕は無垢足にとり憑かれている山田君が心配で仕方がなかった。

 今日初めて会話をして、宿題の貸し借りをしただけの関係でしかないけれど、同じ妖怪にとり憑かれている者としては放っておけなかった。他人事には思えなかった。

 僕の心配そうな顔を見ると、犬神は呆れたような顔をしながらも教えてくれた。

 『貴様はつくづくお人好しだな。赤の他人のために尽くすなど、我には理解しがたい。まあ、昼餉のちょ・・これ・・いと・・はいつもの倍もらうとするか。授業料と思えば安いものだろう。さて、無垢むくについてだが、あれは無垢むく足原ではらの地を縄張りとする妖怪だ。ヤツら自体は大して害のない妖怪だ。貴様が心配する必要は全くない。』

 「無垢足原、無垢足原...もしかして、向井むかい出原ではらのことか?」

 向井むかい原町はらちょうは僕が住んでいる去塚町の隣町である。去塚町の北側にあり、市の中心市街地からも割と近い場所にあって、閑静な住宅街が広がっている。

 おそらく今の向井むかい原町はらちょういみなが、犬神の言う無垢むく足原ではらで間違いないだろう。

 『向井むかい出原ではらと今は呼ばれているのか、あの地は?全く人間どもはどうしてこうもいみなを隠したがるのか、つくづく救い難き生き物だ。そこまでして妖怪の存在を忘れ去りたいのか?まあいい。無垢足は無垢足原の地に昔から大量に住み着いている妖怪だ。無垢足は小さいながら、貴様たち人間との共生に成功した数少ない妖怪と言ってもいい。』

 「人間との共生に成功した?それはどういうことだ?」

 山田君の様子を見る限り、とても共生に成功しているとはにわかには信じがたかった。

 現に山田君は無垢足のせいで物忘れがひどくなっている。

 そのせいで宿題や小テストの内容を忘れて困っている。

 『共生にも様々な捉え方がある。貴様からすれば無垢足があの小僧に害をなしているように見えるかもしれんが、それはあくまで貴様の主観に過ぎん。』

 「山田君からしたら、無垢足は何かしら利益をもたらしている、そう言いたいのか?」

 『その通りだ。無垢足はとり憑いた人間に噛みつき、ほんの少しばかり精気をもらう。代わりに、とり憑いた人間が最も忘れたい記憶を消し去る毒を注入する。そうして、記憶を消し去り、人間に快楽を与えるのだ。』

 「つまり、山田君は嫌いな宿題の記憶を忘れられるから、放置しても問題ないと?」

 『貴様、あの小僧が勉学の好きそうな顔に見えるか?いいから放っておけ。』

 その言葉を最後に犬神はふたたび眠り始めた。

 宿題を忘れるのは確かに問題だ。

 しかし、山田君本人の自覚はないにしろ、無垢足は山田君の宿題という忘れ去りたい記憶を消してくれる、山田君の無自覚な願いを叶えてくれる存在であることは事実だ。

 このまま犬神の言うとおり無垢足を放置しても、おそらく大した問題にはならないだろう。

 別に宿題を忘れたからと言って命に関わることなどはない。せいぜいちょっと先生から注意されるか、成績にちょっぴりケチが付く程度のことで済む。

 結局、僕は山田君にとり憑いている無垢足は放置することを決めた。

 その翌日以降も山田君は相変わらず宿題を忘れては僕に宿題を見せてくれるよう頼んできた。

 妖怪のせいで宿題を忘れてしまい、本人にもどうすることもできないと分かっているためか、僕は山田君の頼みを断ることはせず、宿題を見せていた。

 宿題の貸し借りをしている内に自然と山田君と会話をすることが多くなった。

 今ではすっかりお互いを下の名前で呼び合う仲になっていた。

 「悪い、浄。今日も宿題を忘れちまってさ。頼む。何かおごるから見せてくれないか?」

 「良いよ、晴真。お返しを期待しとくとするよ。」

 こんな軽口を言い合いながら、晴真と毎日学校で過ごす日々が続いている。

 晴真に後日聞いてみたところ、やはり向井出原町に住んでいることが分かった。

 通学路や通学時間がほとんど一緒であることが分かったので、最近はよく一緒に学校へ登校することが多い。

 学校では一緒に昼食を食べたり、授業で一緒のグループを組んだりしている。

 典型的な陰キャぼっちの僕が、典型的な陽キャの晴真と友達になるなんて、二年生に進級した頃からは想像もできないことだ。

 僕はふと、右肩で気持ちよさそうに寝ている犬神に顔を向けた。

 犬神は僕にとり憑いて以前は呪い殺そうとしてきた恐ろしい妖怪だが、もし、犬神と出会っていなかったら、霊感に目覚めず妖怪が視えなかったら、今、こうして晴真と楽しく学校生活を送る日々はきっと来なかっただろう。

 「ありがとう、犬神。」

 僕は寝ている犬神に向かって、小さな声で呟いた。

 「おおい、浄。学校も終わったし、今日俺部活休みだから、一緒にカラオケ行こうぜ。」

 帰り支度をすでに済ませた晴真が、教室のドアの前から呼びかけてきた。

 「OK。今、そっちに行くよ。」

 僕は急いで帰り支度を済ませると、晴真と一緒に教室を出た。

 妖怪が視える日常も案外悪くないかもしれない、そう思いながら僕は初めてできた友達と遊びに出かけた。

 京野 浄が犬神に感謝の言葉をかけた時、実は犬神は目が覚めていた。だが、敢えて寝ているふりを続けた。犬神としては自分がとり憑いている人間が、妖怪である自分に感謝の言葉を述べるなど、信じがたいとともに、何とも言えない気恥ずかしさがあった。

 『本当につくづくお人好しなヤツだ。自分を一度は呪い殺そうとした妖怪相手に感謝するなど、どこまで人が好いんだ。まあ、ちょ・・これ・・いと・・を捧げる内は、その命、この我が預かってやろう。』

 犬神はそんなことを考えながらまた眠りに就いた。

 京野みやこの じょういぬがみ、一人の男子高校生と一匹の妖怪の織りなす奇妙な日常は今日も明日も続いていく。































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