其の三 男子高校生、怨霊を祓おうとするも失敗する
4月17日月曜日、犬神を追い払う方法を見つけて生き延びることを決意した日の翌日、僕は何とか気力と体力を振り絞って学校へと登校した。
両親からは無理して学校に行く必要はない、家で安静にしていなさいと引き止められもしたが、僕は両親の説得を振り切り学校へ向かった。
犬神の言葉を信じるなら、僕の命はもって後三日。三日以内に犬神を追い払うことができなければ僕は死んでしまう。THE・ENDだ。
僕は授業をひとしきり受け終わると、放課後すぐに学校の図書室へと向かった。
朝から授業の合間にスマホを使って、犬神のことや悪霊の祓い方などを調べてはいるが、いまいちこれといった収穫はなかった。
そこで、学校の図書室の本の中にもしかしたら何かしら犬神関連の情報が記載された本があるのではないかと思い、図書室を訪ねてみた。
結論から言おう。これと言ってめぼしい収穫はなかった。
妖怪や心霊現象、呪術などをキーワードに図書室から数冊本を借りてみたが、その内容は妖怪や悪霊をテーマとしたホラー小説であったり、あるいは子供向けにイラストの付いた妖怪を簡単に紹介した図鑑形式の本であったりと、どれも抽象的で正確さにかけるものばかりであった。
僕は図書室から借りてきた本を自宅の自室に籠って、徹夜して全て読んだが、犬神を追い払う手掛かりは得られないまま、翌朝を迎えた。
4月18日火曜日、犬神が告げた死のタイムリミットまで残り二日を切った。
僕は何とか今日中には手掛かりだけでも掴みたいと思い、午前中は学校へと行ったが、午後は仮病を使って学校を早退した。
僕は父の職場でもある、夜見近市立図書館に足を向けた。
もしかしたら、父に遭遇するかもしれないが、その時は適当にごまかせばいい。
なぜ、僕が市立図書館に向かったのか、それには一つ理由があった。
今、僕がいるこの夜見近市立図書館は現夜見近市長肝いりの政策の一つとして新しく建てられた、最新設備と膨大な蔵書量を誇る最新の図書館なのである。
現市長が市の活性化や教育の発展を目的に莫大な予算をつぎ込み誕生したこの図書館は、古今東西あらゆるジャンルの本を置いており、その蔵書量は南九州随一を誇るそうだ。
学校の図書館など比べ物にもならない、少なくとも現時点において僕が知りうる中で最も知識・情報が集まった場所である。
僕はさっそく図書館の検索機を使い、妖怪、心霊現象、犬神、呪い、民俗学などのキーワードを打ち込み検索してみると、求めている情報に近い内容を記載していると思われる本がいくつか引っかかった。
僕はそれらの本を全て借りると、図書館に設けられた学生やサラリーマン向けに開放されている勉強用の個別ブースも借りて、一心不乱に読み漁った。
さすが、南九州随一の蔵書量というべきか、犬神に関する詳細な情報を載せた民俗学あるいは宗教学系の本が何冊もあった。専門性や具体性、情報量が違う。
本の情報をまとめると、犬神のことについて次のことが分かった。
一つ目、犬神とは憑き物、人に異常な言動をさせる心霊や魔物の一種である。
二つ目、犬神は犬神筋と呼ばれる家筋の者たちに宿り、その者たちが他家の者を羨んだり妬んだりすると、相手にとり憑き、相手を病気や精神異常にしてしまうことができる。
三つ目、犬神は呪術として使役することができる。犬を首だけ残して土に埋めて、犬を極度の飢餓状態にした後、首を切り落として、犬の怨霊を生み出して呪術として使役する。呪術としての犬神の製法には諸説あるが、要は人為的に呪術として犬神を作り出し、人を呪うことができる。
四つ目、犬神を追い払う方法はいくつか存在する。
まず、犬神は「狐の牙」に弱いらしいとのこと。「狐の牙」を持っている者には憑依できず、また「狐の牙」で憑依された者を正気に戻すことができるらしい。
次に、犬神に憑依された者は「握り飯」で体をこすれば、犬神を体から落とすことができるらしい。「握り飯」で体をこすって「握り飯」に犬神を移した後、その握り飯を家の壁に投げつけるか、川に捨てるかすれば、犬神を追い払えるとのこと。
他にも様々な犬神を祓う方法が掲載されていたが、犬神は追い払うことができる存在であることが分かった。
僕は本を読み終え、情報を整理した後、図書館を出てまっすぐ自宅へと帰った。
そして、夕食を食べ終えた後、自室に籠って集めた情報と自分の現状を照らし合わせながら対策を練った。
対策を練る中で、一つ疑問は残った。それは犬神の出自についてだ。
集めた情報によれば、犬神は犬神筋と呼ばれる家筋の者たちに宿るか、あるいは人為的に作り出され他者からかけられる呪術の一種とある。
しかし、僕の家系は決して犬神筋なんかではないし、僕自身が他人に恨まれ呪われる覚えもない。
何より僕に今とり憑いている犬神は前にこう言っていた。
『ククッ、小僧よ、我は決して夢や幻などではないぞ。我は貴様を呪い殺すため悠久の眠りから目覚め、とり憑いているのだ。我が同胞を殺された恨み、晴らしてくれようぞ。』
犬神は僕が犬を殺したからとり憑き呪い殺すのだと言っている。そのためにどこかで眠っていたが目覚めたのだと。
もし、僕が殺したあの犬が実は誰かの飼い犬で、飼い主が犬を殺される現場を見て、僕に恨みを抱いて犬神をとり憑かせたと仮定する。
しかし、犬神の言葉を信じるならば、犬神は他の誰かの命令で僕にとり憑いたのではなく、自分自身の意思で同胞の恨みを晴らすためにとり憑いたと言っているように聞こえる。
つまり、他者の命令で動いているという仮説はおそらく当てはまらない。
それに、犬神は僕を呪い殺すため、どこかで眠っていたが目覚めたとも言っており、他の人間に今までとり憑いていたわけではなく、人とは全く関わりのない場所に今までいてそこから僕にとり憑いた、と言っているように聞こえる。
要するに、僕が調べた犬神の出自に関する情報と、僕にとり憑いている犬神の出自は食い違っていると考えられるのだ。
僕は胸に一抹の不安を抱いた。
もしかしたら、出自の違いが原因でこの犬神を追い払うことに失敗してしまうのではないか?
不安が頭をよぎって仕方がない。
せっかく調べた祓い方が効果を示さなければ、僕は犬神に呪い殺されてしまうのだ。
僕は不安を抱えながらも、とにかく今は犬神を追い払うことに集中することにした。
「何、時間はまだあるんだ。焦っちゃいけない。絶対に追い払ってやる。」
僕はそう自分に言い聞かせるようにつぶやくと、さっそく本で調べた犬神を祓う方法を試してみることにした。
まず、「狐の牙」である。
入手できる可能性は限りなく低いだろうが、入手できれば現状犬神を追い払える可能性が最も高いアイテムである。
僕はスマホを取り出すと、オンラインショッピングサイト、いわゆるネット通販と呼ばれるサイトを片っ端からあたってみた。また、個人が開いている標本の販売サイトも調べてみた。
だが、残念なことにどのサイトも「狐の牙」は販売していなかった。
「狐の牙」の代用品として「狼の牙」も有効ではあると、借りてきた本には記載があった。
一応「狼の牙」についても調べてみると、狼やコヨーテなどの牙が実際に販売されていた。しかし、それらは数万円の値が付けられていて、高校生の僕には手が出せる代物ではなかった。
「狐の牙」についてネットで調べていくと、博物館などに標本として展示されていることが分かった。
けれど、一介の男子高校生に過ぎない僕が、犬神に呪われているからという理由で、希少な標本である「狐の牙」を博物館から借りれるとは思えない。
近所の店でも「狐の牙」を売っている店は無い。
やはり駄目か、僕は分かってはいたけれど残念で仕方がなかった。
次に「握り飯」を試してみることにした。
「狐の牙」ほどではないが、高校生の僕でも簡単に準備ができ、犬神を追い払える可能性はあった。
僕は一階のリビングにいた母に余ったご飯はないか、訊ねてみた。
すると、今日の夕食で余った分のご飯があると母が教えてくれた。
僕は母にそのご飯を全部もらいたいと伝えた。
「別に構わないけど、どうするの?」
母が不思議そうに訊ねてきた。
「夜食にでも食べようと思って。今日学校からたくさん宿題が出ていて、ちょっと徹夜しないといけないんだ。」
僕がそう説明すると、母は「最近体調が悪そうだから、無理はしないでね。」と言うと、余っていたご飯を冷蔵庫から取り出して僕に渡してくれた。
僕はついでにキッチンも借りて、「握り飯」を三個ほど作った。
そして、二階の自室へ戻ると、服を脱いで上半身裸になって、作った「握り飯」を体に当ててこすりつけた。
こうすると、こすりつけた「握り飯」に犬神が移り、体から犬神が離れるらしい。
けれども、相変わらず犬神は僕の体から離れる気配はない。
今も首元に巻き付き、耳元で呪いの言葉を囁いている。
僕は犬神が巻き付いている首元に「握り飯」を押し当て、力強くこすり続けた。
しかし、一向に犬神が体から離れる気配はない。
僕は体にこすりつけていた「握り飯」を集め、手の平に載せて観察した。
「握り飯」には犬神は乗り移ってはいない。僕の首元に巻き付いたままだ。
二つ目の方法も駄目だった。
僕は一気に脱力した。
自分で試せる方法は全て試した。けれど、犬神を追い払うことはできない。
僕は疲れた頭を必死になってふり絞り、ひたすら考え続けた。
現状を整理すると、犬神を追い払うことはできていない。
しかし、分かっていることもある。
それは、僕にとり憑いている犬神が、僕が調べた情報の中にある犬神とは全く違うという点である。
当初懸念していた出自の違い、これが大きく影響していると僕は考えた。
こうなったら、犬神本人に聞くしかない。
自分を呪い殺そうとしている張本人が素直に自分の質問に答えてくれるか分からない。
しかし、他に解決の糸口はない。
僕は意を決して、犬神に訊ねてみた。
「犬神、なぜ僕を呪い殺そうとするんだ?犬を殺す人間は言い方は悪いが、他に五万といるはずだ。どうして僕なんだ。なぜ、わざわざ目覚めてまで僕を呪うんだ?」
僕はずっと気になっていた疑問をぶつけた。なぜ、長い眠りから目覚めてまで僕を狙い、呪い殺そうとするのか?
すると、犬神は急に呪いの言葉を囁くのを一旦止め、僕の方に顔を向けてこう言った。
『貴様は
「イヌヅカだって?イヌヅカって、もしかして
僕は思いもかけない理由を聞いて驚いた。
僕は本棚から地図帳を開いて、犬を殺した場所を確認すると、確かに去塚町の中である。
「なぜ、去塚町で犬を殺したらお前に呪われるんだ?」
僕は地図帳の去塚町を示したページを指さして犬神に見せながら質問した。
犬神は地図帳で僕が指さしたページを見ると、ため息をつきながら説明し始めた。
『ハアっ、まさか自分が呪われている理由を本当に知らなかったとは、つくづく救いがたい阿呆だな、貴様は。良いか小僧、貴様が今指し示している去塚という土地の名はあくまでも表の名に過ぎぬ。我が言っているのは
聞いたことのない単語が次々に出てくる。
僕は困惑しながらも犬神に質問を続けた。
「
犬神は呆れるように僕の顔を見ながら説明した。
『
犬神はそう説明すると、ふいに天井の方を見上げ、悲しそうな表情を浮かべた。
ほんの一瞬だが、僕は犬神のことが恐ろしい存在のはずなのに、なぜか憐れむような気持ちになった。
「諱のことについて少しわかったよ。それで、犬塚と犬殺しにはどんな関わりがあるんだ?」
『犬塚は文字通り、この地には我ら犬を祀る墓があったのだ。我はこの地に祀られる存在であり、昔は人間どもからよく供物を捧げられたものであった。しかし、お前たち人間は次第に我ら犬を葬ることや我を奉ることを忘れ、犬塚を蔑ろにし始めた。そして、犬塚はいつの頃か取り壊され、存在を消されてしまった。』
犬神はこれまでに溜まり溜まっていた怒りを吐き出すかのように、声を荒げ語りだした。
『我は怒り、犬塚を壊した人間や犬を蔑ろにする人間を片っ端から呪い殺して回った。それに恐れを成したお前たちの祖先がしたことは犬塚の再建ではなかった。犬塚の諱を隠し、名前を改め、自分たちから祟りを遠ざけることだった。犬塚の諱とともに我は存在そのものが無かったことにされた。しかし、我自身は決して滅んではおらん。犬塚の地で犬を殺す不届き者がおれば、時折目覚め呪い殺してきた。今回偶々貴様もそうだったからとり憑いたまでだ。』
犬神はひとしきり話し終えると、僕の目をじっとしばらく見つめた後、ニタっと大きく口を開け、邪悪な笑みを浮かべながら言った。
『諱のことや犬塚のことを知ったからと言って貴様の罪は消えん。我は必ず貴様を呪い殺す。猶予は後一日だ。精々あがくがいい。』
その言葉を最後に犬神は再びいつものように呪いの言葉を囁き始めた。
時計を見ると時刻はすでに午後11時59分、あと1分で日をまたごうとしている。
タイムリミットは残り1日。
呪いは現在進行形で進んでいるが、何とか犬神に関する情報を掴めた。
犬神を追い払う方法は分からなかったが、犬塚という手掛かりは掴めた。
僕は犬神が話した内容をノートに書きこむと、新たな犬神対策を考えながら床に就いた。
犬神の怒りを鎮めることができれば、犬神は僕にとり憑くのを止めてくれるかもしれない。
淡い期待を抱きながら、僕は残り一日という時間を決して無駄にはせず、絶対に生き延びてやる、と改めて決意するのだった。
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