第一怪 犬神
其の一 男子高校生、犬に襲われる
4月7日金曜日、二年生へと進級し、新学期が始まって間もないあの日に僕の日常は一変した。
その日もごく普通の、なんの代わり映えしない平凡な一日で終わるはずだった。
僕の名前は
成績は学校全体でも中の中、運動神経は人並み、趣味は読書、性格は自分でも言うのもどうかと思うが、目立つのが嫌いで、おまけにコミュ障である。
要するに、典型的な陰キャぼっちである。
そのため、新しいクラス、2年4組に入ってから数日が経過しているがいまだに友人と呼べる人間は一人もいない。
しかし、一年生の時もこんな感じで過ごしていたが特に困ったことも無いため、気にはしていなかった。青春の二文字からはかなりかけ離れてはいるが、悪くない日常を送っていた。
いつものように僕は家を出ると、一人学校へ向かい、途中誰とも話すことなく学校へ着き、新しいクラスへ入った。挨拶を交わす友人もいないため、そのまま真っ直ぐに自分の席へと座った。
それから、授業を淡々と受け、授業が終わると一番に教室を出た。クラスメイト達は教室に残って話したり、部活へ向かう準備をしていたが、帰宅部でボッチの僕には関係ないため、いつも一番先に教室を出ている。
そうして、いつものように家へ帰っている途中、事件は起こった。
住宅街の中のあまり人気のない道を通っていると、突然前方10メートルほど先に、犬が現れた。
犬種はドーベルマンだろうか。首輪をしていないところを見る限り、野良犬の可能性もある。
しかし、最悪なのはその犬が僕を見つけるなり、まっすぐとこちらを見ながら唸り声をあげてジリジリと近づいてくるのである。犬の目は僕を明らかにロックオンしている。
僕はすぐにその場を離れて逃げようと考えたが、ちょうど一本道の真ん中にいて逃げ道はない上、犬はすぐ傍まで近づいてきている。下手に背中を向けて逃げてもすぐ追いつかれるだろし、かと言って犬を追い越せるほどの道幅もなければ、振り切って逃げきれるほど足に自信はなかった。
正に絶体絶命の危機である。
僕は子供の頃から犬が苦手だった。親戚の家を訪ねた時、たまたま親戚が犬を飼っていて、犬に追い回された経験から、極力犬を避けて生活してきた。今日、この道を通ったのも、道沿いに犬を飼っている家が無く、犬を散歩させている人もいないため、通学路として選んで利用しているのである。
平穏で平凡な日常を送ることを常としている僕は、今この瞬間人生が終わったように感じた。これからあの犬に噛み殺される、そんなイメージが頭の中を駆け巡っていた。
しかし、何という偶然だろうか。
僕の足元のほんの1メートルほど手前に、拳大の石が転がっていた。
石を見つけた瞬間、僕の頭の中に、あの石を拾って一か八か目の前の犬にぶつけるイメージが湧いてきた。
動物愛護団体の方には悪いが、おそらくあの犬は野良犬として保健所によって捕まり、遠からず殺処分される運命に違いない。
殺られる前に殺れ。たとえ殺せずとも、うまく当てられればひるませて逃げる時間は稼げるかもしれない。
僕は犬を刺激しないようゆっくりと前方の石に近づき、右手でそっと拾い上げた。
その瞬間、犬が吠えながら牙をむき出しにして全速力で僕のほうに向かって駆けてきた。
僕は一瞬、驚いたがすぐに左肩にかけていた鞄を放り投げ、投擲の態勢に入った。
5メートル、4メートル、3メートル、2メートル、犬はどんどん迫ってくる。
残り1メートルほどの距離まで犬が近づいてきたタイミングで、僕は右手に持っていた石を思いっきり犬に向かって投げつけた。
「キャイン!?」
投げた石が犬に命中し、犬は声をあげて僕の目の前で倒れた。
「殺ったのか?」
僕は恐る恐る犬の方に歩いて近づくと、犬は額から血を流して倒れていた。息もしていないところを見ると、おそらく死んだのだろう。
犬の死体を確認して、僕はホっと胸をなでおろした。
しかし、襲ってきたとはいえ、動物を殺してしまったことに僕は少なからず罪悪感も感じていた。
「襲ってきたのはそっちなんだからな。恨まないでくれよ。あの世で成仏してくれ。南無阿弥陀仏。」
僕は犬の死体に向かって手を合わせて合掌すると、その場を離れた。
犬の死体が道端にあってはご近所も迷惑だろう。家に帰ったら保健所にでも電話して、犬の死体を引き取ってもらおう。殺した場所の地名などはよく知らないが、まあなんとか保健所の人にも伝わるだろう。そんなことを考えながら、犬の死体を尻目に僕はふたたび帰路についた。
けれども、この事件が後に僕の平穏で平凡な日常を一変させてしまう事態に発展しようとは、この時の僕は知る由もなかった。
京野 浄が犬を殺してから数分後、犬の死体の周りには黒い靄のような、妖しげな雰囲気が漂っていた。
『人間め、よくも我が同胞を殺したな。このままでは済まさぬ。呪ってやる。祟ってやる。』
黒い靄は少年が帰って行った方向を辿るように、夕暮れの中、住宅街を移動していた。
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