おしゃべり

上雲楽

おてがみ

 かおるこのところへまもるくんから手紙が来たのは数日前だった。

「誰にも話すな」

手紙にはそれだけ書いてあって、筆跡がわからないように定規で文字が作られていた。便せんは百円ショップで売っているもので、緑地に熊のキャラクターがあしらわれていた。

 「ってことはあんたらキスまではしたわけ?」

ゆみちゃんが机の上に座って水筒のキャップを開けながらケタケタ笑う。

「キスって……まもるくんとは転校してっちゃうまでは仲良かったけどめっちゃ仲いいって感じじゃなかったし、何を話しちゃいけないのかさっぱり」

「この手紙のことだったりして」

「だから何って感じ……もー気持ち悪い」

かおるこはゆみちゃんに見せていた手紙をクリアファイルに入れ、それをランドセルにしまった。

「あのー図書委員ですけどー、かおるこちゃん本返してないよねー、困るよ。図書委員の私が怒られるんだもん。マジちゃんとしてね」

二人の間にえれなちゃんが割り込む。

「え?知らない」

かおるこは驚いて頬を撫でた。

「貸出カードに名前あんだからね。失くしたらベンショーだよ」

「なんて本借りたのよあんた。図書室行くなんて珍しい」

ゆみちゃんが足をぶらぶらさせる。

「図書委員は他人に貸し出し記録を教えるのは駄目なの」

えれなちゃんは自慢げに口角を片方上げて笑うと「ちゃんとしてよ」と言い残して他の友達の輪に戻っていった。

 授業が終わると二人は図書室に向かった。かおるこが自分の貸し出しカードを見せるように司書の先生に言うと、

「あなた、かおるこちゃんじゃないよね」

と目を細めた。

「あーん?かおるこがかおるこじゃなくて誰がかおるこだってのよ」

ゆみちゃんが司書の先生に詰め寄る。

「悪いけど、よく利用する人の顔くらいは覚えてるの。かおるこちゃんはよく利用していたからしっかりとね。あなたたちね、人の貸し出しカードを勝手に見ようとするのはいけないことなわけ。わかる?」

「わかんない人だなーほら、かおるこも言ってやりなさいよ」

「私、本当にかおるこで……本返せって言われてきたんですけど、本なんて借りたことないんですけど、あの、どうしたらいいんですか?」

「……あなた何年何組?」

「五年三組です」

「ちょっと待っててね」

そう言うと司書の先生はがさがさと貸し出しカードの箱を漁った。一枚のカードを手に取るとそれをまじまじと見つめ、それを持ったまま図書室から出ていった。しばらくすると司書の先生が何枚かプリントを持って戻ってきた。

「五年三組のかおるこちゃんね、確かに確認が取れたよ。本人みたいだね。それと、ごめんなさい、あなたのカード、不正利用されていたみたい」

司書の先生が貸し出しカードをかおるこに渡した。かおるこの名前でここ数か月に渡って十三冊の本が借りられていた。その筆跡はわざとカクカクさせてあってかおるこはまもるくんからの手紙を思い出した。

「これより前のカードは廃棄しちゃってね。気が付かず本当にごめんなさい」

「まあ図書館行かないし気持ち悪いだけでいいんですけど、誰が私のカード使ってたんですか」

「さっき職員室で五年生のクラスの集合写真を見てきたんだけど、その中にいない気がして……」

「じゃあ四年生とか六年生?あんたの名前知ってるやつに心当たりある?」

「私の知っている限りではいないけど……」

かおるこがカードを受け取るとゆみちゃんがそれを覗き込んだ。

「なんか難しそうな本ばっか借りてるのね。余計気持ち悪」

ゆみちゃんがゲヒヒと笑う。あ、でも幻獣辞典って本はちょっと面白そう。かおるこは辞書のコーナーを探してみたが見つからなかった。棚の間に新版ことば遊び辞典が目に入った。これは借りていたやつだ。手に取って貸し出し記録を見てみる。かおるこの上にまもるくんの名前があった。二人とも同じ筆跡のように見えたがそれはどちらもわざと直線的な字を書いていたからだ。

「ちょっと見てかおるこー。カードにあった平行植物って本さー。あんたとまもるくんしか借りてないんだけど。ラブラブじゃん。ウケる」

ゆみちゃんが本棚の向こうで叫ぶと司書の先生が静かに、と注意した。

 かおるこは一番最近自分が借りた本を探した。線文字Bの解読。三週間くらい前に借りられている。しばらくしてかおるこは埃の被ったその本を見つけた。引き出して貸し出しカードを見る。かおるこの名前とまもるくんの名前。かおるこがパラパラとページをめくると一枚の紙がひらりと落ちた。

「誰にも話すな」

五ミリ方眼のノートをちぎった紙にはそう書かれていた。

「うわー気持ち悪。なにこれ」

ゆみちゃんが近づいてきて紙を拾うと、かおるこの手元から本を奪った。

「うん?これまもるくんが借りたの一か月前になっているけどおかしくない?まもるくんが転校したの夏休み前でしょ。借りられるわけがない」

「まもるくんも不正利用されてたってこと?」

「この誰にも話すなって手紙はきっとまもるくんじゃない誰かからかおるこじゃない誰かへのメッセージだったのよ。それで本を交換日記みたいにしてやりとりして……」

「でも、誰にも話すなって絶対脅迫とかでしょ?私じゃない誰かってそれに付き合い続けてたわけ?」

「知らないわよ。なんかの暗号なのかもよ。ねえ、二人でまもるくんのこと調べない?絶対恐るべき陰謀とか隠されていると思うのよね」

「怖いし興味ない……」

「オッケー、決まりね」

 次の日、かおることゆみちゃんは陶芸同好会を探すことにした。かおるこは以前、まもるくんが陶芸同好会に所属していたことを誰かから聞いていた気がした。

「けんちゃん先生、陶芸同好会って何組でやってます?」担任にかおるこが尋ねる。

「それ、誰から聞いたの?他の人には言っちゃだめだからね」

けんちゃん先生はそれだけ言うと立ち去ってしまった。

「あ、いたいた。かおるこちゃんこれ」

えれなちゃんが駆け寄ってきてかおるこにプリントを渡す。

「図書館倫理講習会幹部会会議……って何?」

「何って、かおるこちゃん図書愛好俱楽部の会長だったんでしょ?昨日司書の先生が説明しようとしたのに帰っちゃったって」

「知らない……」

「それってかおるこじゃないかおるこが所属してたんじゃないの?」

「あとこれ司書の先生が忘れ物だって」

えれなちゃんが茶封筒をかおるこに渡す。中には白いメモ用紙が入っていて。例の角ばった筆跡で「誰にも話すな」と書いてあった。

「……これ司書の先生が渡したの?」

ゆみちゃんがえれなちゃんをにらみつける。

「いや、図書室で誰か知らないけど渡してきて、先生がかおるこちゃんに渡し忘れたから代わりにって。なんか問題あった?」

「大あり!誰が渡したの、どんな奴。学年は?クラスは?」

ゆみちゃんがえれなちゃんの肩を掴んで揺さぶった。

「ちょ、何、何?そんなの忘れちゃったよ。女子だったけど知らない人だったし、てか会議今日ね、忘れちゃだめだよ」

えれなちゃんは面倒そうにゆみちゃんの手を払った。会議があるのは今日の授業後の多目的室C。図書委員長や児童会長や生活指導部長に混じって図書愛好俱楽部会長としてかおるこの名前が名指しで呼びだされていた。

「私こんなのわかんない……」

かおるこは手紙を破ろうとして思いとどまり、折りたたんでポケットに入れた。

「それより返した?図書室の本?」

えれなちゃんが聞く。

「それは借りてなかったから……ってあれ、最後に借りていた本って線文字Bの解読だったよね、なんで返却してないのに図書室にあったわけ?」

「あー?ハンコ押し忘れてたの?ドジだなー。じゃあちゃんとしといてねー」

そう言ってえれなちゃんが自分の責に戻っていく。

「ちょっと待って!返すように催促されたのは誰?司書の先生?」

「けんちゃん先生だけど?」

えれなちゃんが振り向いて小首を傾げた。

 給食の時間になって、ゆみちゃんはまもるくんからの手紙と本に挟まっていた紙と茶封筒に入っていた紙を見比べていた。ゆみちゃんは食べるのが早い。かおるこがまだ半分も食べ終わってないのにすべて平らげて余った牛乳もお代わりしていた。

「同じ字……ってか同じ書き方よね。これだけで同一犯とは言えなさそうだけど」

「書いたのが一人でも少なくとも私じゃないのとまもるくんじゃないのがいるんでしょ?まもるくんも仲間だったのかもしれないけど……」

「仲間って何の仲間よ」

「秘密のメッセージのやり取りの」

「あんた、マジでこれがメッセージだと思ってるわけ?絶対ただのあんたへのいやがらせだから。こういうの許せない」

「でも昨日ゆみちゃんは暗号、陰謀だって」

「そっちの方がウケるってだけよ。論理的に考えなさいよ」

そのとき、校内放送のアイドルソングが中断した。

「五年三組の図書愛好俱楽部会長さん、五年三組の図書愛好俱楽部会長さん、至急第一放送室まで来てください。繰り返します。五年三組の図書愛好俱楽部会長さん、至急第一放送室まで来てください……」

 えれなちゃんとけんちゃん先生がちらりとかおるこを見た。

「これって私……だよね?やだなーたぶん今日の会議のなんかだよ……」

「大変ねー、それよりあんたの残りのパンもらっていい?」

とゆみちゃんが聞くより早くかおるこはパンをかじりながら教室を出た。

 第一放送室は職員室に入ってからその奥にある。かおるこは職員室の臭いが苦手だった。

「あなた、かおるこさん……ですよね?」

第一放送室には二人の生徒がいてパイプ椅子に座っていた。

「そうですけど……」

と答えると生徒がすっと立ち上がってプリントを一枚手渡した。

「第三多目的室に来い」

プリントにはそれだけ印刷されていた。

「あの、知らない先生が『誰にも話していないなら指示に従え』ってこのプリント渡してきて……。放送もその先生がするようにって」

生徒も事態を飲み込めていないのかじっとかおるこを見つめていた。

 かおるこは第三多目的室にはいかないことにした。気味が悪いし、これ以上給食の時間を邪魔されたくなかった。プリントを適当に折りたたんで二人にお礼を言うと、司書の先生が第一放送室を覗き込んでいた。

「あなた、図書愛好俱楽部会長じゃないよね」

司書の先生の目は笑っていなかった。扉をふさぐようにしてへりに体重を預けて立っていた。

「だと思うんですけど、なんか私、会長らしいんです。呼び出されちゃって」

「ちょっと今から図書室に来てくれる?」

「え、いや、その。ごめんなさい。私今から第三多目的室に行かなきゃいけないみたいなんです。そういうわけなので……」

そう言ってかおるこは顔を伏せると第一放送室から、職員室から飛び出した。先生は追いかけてこなかった。第三多目的室は確かこの先の階段を上がった三階にあるはず。かおるこは速足で階段を上がる。そのフロアはすべて空き教室で給食中なのに静かだった。廊下にかおるこの足音が反響する。第三多目的室は廊下の一番奥に見えた。その時、第三多目的室の方の階段から足音がしていたのに気が付いた。かおるこは廊下を走って踊り場に出たがもう誰もいなかった。振り返って第三多目的室を見る。第三多目的室は鍵がかかっていて窓には手書きのポスターが貼ってあって中が見えない。ポスターは陶芸同好会の会員を募集するものだった。ずいぶん古いものなのか埃で薄汚れていて、窓に張り付けた四隅のセロハンテープも変色していた。かおるこはぺりぺりとポスターをはがして中の様子を見てみる。中は整然と机と椅子が積まれていて、他には何もなかった。カーテンまで閉まっているのがかおるこには少し気になった。かおるこはポスターを見てみた。

「陶芸同好会会員募集中!活動場所は第二体育館裏の作陶場!火、木、(土)曜日活動中!」

下の方には熊のキャラクターが書かれていて「楽しいから絶対来てね」と吹き出しがついていた。

絶対来てね。か、とかおるこが目を閉じると給食の時間の終わりを告げるチャイムがなった。かおるこには、プリントはこれを見せるためのメッセージであるかのように思えていた。

 昼休みの終わりぎりぎりまで待っても第三多目的室には誰も来なかった。かおるこは授業中も陶芸同好会のポスターのことを考えていた。他の場所でこのポスターは見たことがない気がする。そもそも部活紹介の時に陶芸同好会なんて紹介されていただろうか。部活紹介の時間はだいたいうとうとしていたから自信ないけど……。

「先生、なんで陶芸同好会のこと聞いちゃだめなんですか」

休み時間、かおるこはポスターを見せてけんちゃん先生に尋ねた。

「あれ、そのポスターまだ残ってたんだ。実は窯の事故があって、危ないって意見が保護者から寄せられてね。一昨年廃部になったんだよ。新しく入りたいって人が出てこないように内緒にしてたわけ」

けんちゃん先生が頬をぽりぽりと掻く。

「じゃあ、作陶場って……」

「まだあるけど使ってないよ?陶芸同好会、興味あるの?」

「いや、まもるくんが入ってたって言っていたから」

「それは時期的に無理だよー。まもるくんが転校してきたのも転校していっちゃったのも陶芸同好会が廃部になったあとだよ。聞き間違いじゃない?」

「とにかくそれは捨てて……」

とけんちゃん先生がポスターを取ろうとしたのでかおるこは抵抗した。

「あの、これもらっていいですか」

「別にいいけど、学校には貼っちゃだめだよ。面倒だからね」

「それってまもるくんが嘘ついてたってことですか」

横からゆみちゃんが割り込む。

「それか君たちの勘違いじゃないの。わかんないけど」

 会議はすでに始まっていた。かおるこがランドセルを持って扉を開くと、五人の生徒がかおるこを見た。

「というわけで、私たちは旧陶芸同好会と嫌がらせに屈するわけにはいかないってこと」

と女子生徒(確か児童会長)が言うと他の生徒が拍手をしたのでかおるこも遅れて拍手をした。

「じゃあ図書委員から、カードの不正利用のことだけど」

別の女子生徒が手を上げて発言する。

「確認できた中でまもるくんが借りていた本は六十二冊。全部ジャンルとかもバラバラ。タイトルがアナグラムになってるとか本文にメッセージが仕込まれているとかはわからなかった」

その女子生徒がプリントを回す。後半に貸し出しカードにあったタイトルが見えるから、まもるくんが借りた本のリストらしい。

「あのー、人の借りた本って人に教えちゃだめなんじゃないですか」

かおるこがおずおずと顔を上げると、他の生徒たちが無表情でこちらを見ていた。

「今は緊急事態なの、黙っててね。」

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