10 エルフ、ラタトスクを仲間にする

 世界樹の宿泊室。その個室に弱ったラタトスクを連れてくると、部屋で待っていたシロガネはこちらを見た途端ろこつに嫌そうな顔をした。……というか、拗ねた。

 『おれというものがありながら……』とでも言いたげである。


「ほっとけなかったからさ……」

「ウー……」


 そう言われるとシロガネは弱いのか強く主張することをやめてしまう。だが尻尾はいかにも不機嫌ですよ! と床を何度も叩いている。犬心は難しいなあ。


「……こんど埋め合わせをしないとな」


 ふてくされてひとり遊びを始めるシロガネを見やり、そう呟く。正直いって心苦しい。

 備え付けのテーブルにラタトスクを置いて、俺は席につく。そしてこのラタトスクが起き上がらないか、あるいはなにかを欲さないかを夜通し観察することとなった。



「助けてー! 助けてー!」


 小さい女の子のような声が耳元で鳴り響く。少しの髪をぎゅっとひっぱられてようやく起き上がる。

 徹夜でラタトスクを看病するつもりだったはずだが眠っていたようだ。


「……はっ!」


 突っ伏した机から顔を上げれば目の前には俺の銀色の髪を掴んで起こそうとしているラタトスクが目の前に。そしてそれを威嚇しているシロガネの姿。


「リスが喋ってる!」

「助けてください! さっきから死神がずっと唸ってくるんです!」


 見たところ昨日助けたラタトスクがシロガネに怯えているようだ。シロガネは……なんで威嚇をしているんだ?

 俺はぼさついた髪をほったらかしにして彼のほうに身体の向きを変えて、しっかりと目を見つめる。その過程でラタトスクの子は俺の頭に乗ったようで、いくらか落ち着きを取り戻していた。


「ん? どうした、シロガネ。この子は怖くないよ?」


「ウー……」


 なんだか言いたいことはあるのだがそれを伝えたくないようだ。……反抗期かな。目を合わせてもそっぽを向かれてしまう。


 ……き、傷つくなあ。


 頭上できゃいきゃいと鳴く泣くラタトスクの頭を撫でて落ち着かせようとする。

 ほーら、怖くないよー。


「あいつはシロガネ。君を食べたりはしないから安心して。……君の名前は?」


 頭上に視線をやって声をかけると、しかしラタトスクの女の子は今にも泣きそうな声音で呟くのだ。


「……お父さんもお母さんも死んで、果実も採れないあたしに村のみんなは名付けの儀をしてくれなかったんです」


『名付け!?』


 うわ、いきなりコメント欄がとんでもないスピードになってきたな!

 さすがの俺でも追い切れない速度である。


「んん、君さえよければなんだけれど、これから俺たちと一緒に来ない? ……その、ひとりはつらいでしょ?」


 俺がそう問いかけるとラタトスクの女の子はやや間を置いて、ゆっくりと「うん」と返事をした。

 しかし、彼女はまだなにかを言いたいようで。

 こちらが待って、言葉で優しく促してあげると恐る恐る主張するのだ。


「あたしたちは自分でエサを獲れないと一人前って認められないんです。……あたしは、一人前になってからお姉さんの仲間になりたいです!」


 逃げたくないとラタトスクの女の子は言う。

 家族との決着を諦めて東京へと向かった俺には随分と突き刺さってしまう言葉に、俺は少し胸がつまってしまう。


 それを否定と勘違いしたラタトスクの女の子は見るからに落ち着かない様子を見せて……。俺は慌てて彼女の考えを訂正する。


「違う違う! 立派な考えだと思ったんだ、逃げないって! じゃあこれから早朝は君の訓練にあてようか」



「……やっぱり、あたしには無理なのかな」

「まだ諦めちゃダメだよ。どんどん木登りは上手になってきてるから、もう少しだって」

「ウー……」


 寝そべったままふてくされるシロガネを撫でてなだめる。ごめんな、散歩の時間が減ってるもんな。


 一週間ほどの訓練をして思ったことだが、この子はそもそも食事量が足りていなかったようだ。測ってはいないが平均的なラタトスクの筋力を保有してもいない。

 両親からご飯をもらえないから身体が育たない。身体が育たないから木の実を持ち運べない。ご飯が獲れないから仲間に入れてもらえない。ご飯がないから……。この悪循環にハマってしまい抜け出せなかったのだ。


 あの日、俺が腐っていた果実を食べたあの子を見つけていなければ……。

 暗くなる話はやめようか。


 そういう理由もあってか最初は走ることさえバテていた。しかし食事の改善と〈エンハンス〉で成長力を上げてあげるとすぐにほかのラタトスクと遜色ないくらいには育っていったのだ。


 もうそろそろ自分で木の実を獲れてもいいころだとは思うのだが――。


 どうやら自分に自信が持てないため、いざという時に頑張ることができていないようだ。

 こればかりは小さな経験を積んでいくしかない。けれども、度重なる失敗でこの子が無気力にならなければいいのだけれど……。


 俺の肩に乗っているこの子にシロガネが小さく鳴く。


「……バウ」

「ごめんなさい……」

「……なんて?」


 魔物同士で……というかこの子は魔物の言葉を翻訳できる。

 というのも俺が助けた日に知恵の実というものを食べたかららしい。腐っていたあれだ。


 あれのおかげでこの子は人間の言葉を話せるし、他の魔物の言葉も理解できる。

 ちなみにこの世界樹に住む魔物以外には毒だ。俺が食べた時はちょっと死にかけた。


 なのでシロガネには食べさせられません。

 食べてもどうやら魔物の言葉はわかりません。


「これ以上ご主人との時間を取るなって……」

「あー……。シロガネ、お前の分もちゃんと遊ぶからこの子に付き合ってくれよ」

「……」


 つーんと鼻先をそっぽに向けた。

 これは相当すねているな。嫉妬のことはなにも考えてなかったな……。


 だからといって今この子の訓練を削るわけにもいかない。


 ……うーん、どうしたものか。


 こちらがうんうんと唸っているとあの子が俺の肩から軽快に降りてゆき、シロガネをじっと見つめる。


「シロガネさん、……次の一回で木の実を獲れなかったらまひろお姉さんと暮らすのは諦めます。……あとはひとりで頑張ります、だから」

「……」


 シロガネは興味ないとばかりに寝そべったまま尻尾を一度だけはためかせた。

 行ってこいと彼は言っている。それを察したのかあの子は木を登っていく。


 彼女は枝葉に潜んでいる怪鳥を起こさないように、静かに、しかし俊敏に走って行く。

 怪鳥はラタトスクの天敵だ。木の実を収集するラタトスクの死因のほとんどが鳥の魔物を起こして逃げ切れないことだ。


 枝をつたい、跳躍して向かいの枝に飛び乗る。安全な場所に木の実がないか探して、なければまた探す。


 そうしていくうちにあの子がひょっこり葉っぱのクッションから身体を出して、


「見つけた!」


 喜色満面にそう漏らし、帰路へと着こうとしたところで――ツルリ、と滑り落ちる。


「――!」


 息が詰まる。しかし俺が駆け出すより早いやつがいた。


 シロガネだ。


 彼は器用に地面を何度も跳躍していきあの子の落下地点まですぐさま駆けつけたのだ。

 シロガネの背中に落ちたあの子は、しかしシロガネによってすぐそばの地面に落とされる。


 俺はほっと胸をなでおろして彼らの元へと駆け寄っていく。


「……シロガネ、ありがとな」

「ワン!」

「ご褒美は――」


 こちらの肩に登って解説をしようとするあの子にそっと指をあてる。


「……散歩の時間を増やしてくれ、だろ?」


 たしかにシロガネとは言葉が通じない。

 けれども過ごした時間はそこそこあるんだよ?


 シロガネは嬉しそうにこちらに身体を擦り付け、尻尾も足にあててくる。


「さて、おめでとう。君――ラエティは、今から俺たちの家族だ!」

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