38 エルフ、迷う
夜の樹海は冷え込む。
月明かりが鎧戸からわずかに差し込むばかりの拠点で、俺は石窯を作ってフルーツタルトを焼き終えたところだった。
配信は再開していて、そぞろではあるがリスナーの数も増えてきてはいた。
スマホに指示をして木霊の踊り場でとれるフルーツを盛り合わせたタルトを撮影すると、視聴者からのコメントが一斉に流れ込んでくる。
料理や製菓は得意というわけではないが、〈錬金術〉を学んでいくうちに連動して上手になっていった分野だ。あるものでなにか作ったり、精密に分量を量ってものを作るのはそれで鍛えられた。
外にある石窯からタルトを家の中に持ってくると、シロガネが待っていたとばかりに駆け寄ってくる。ただこちらが両手に料理を持っているのは分かっているため、じゃれつきは抑えられている。尻尾の振りは最大限だ。
「犬って甘い物食べさせて良いのかな」
「バウバウ!」
ご主人だけいいものを食べるなんてずるいぞ! とのことだ。まったく、舌が肥えるのも良いことだらけではないらしい。
「分かった、分かったよ。じゃあ半分こな? ……切り分けるぞ」
こちらの言葉にシロガネは満足げに首肯する。手に持ったお皿の上で、包丁で半分に切り分けて片方を〈ストレージ〉から出したお皿に載せる。元々のお皿はシロガネに渡して、俺は席に着く。
早速食べたそうにしているシロガネに待てと指示をして、じっくりと彼の両目を見つめる。……研ぎ澄まされた集中力がこちらに向けられているのが分かる。
「よし、食べて良いぞ!」
言うやいなや、シロガネはがっつき始めた。これはたまらないとばかりに勢いよく食べていると、人間用、それもひとりで食べるためのサイズなのですぐになくなってしまった。シロガネはしょんぼりとうつむいたのち、こちらの席に置いてあるタルトをあからさまにほしがり始めて近づいたので頭をポンポンと撫でて「駄目だぞ」とやんわりと注意する。
すると彼は悲しみながらも納得したので、あとはこちらが食べるのをじっと見つめているだけになった。
フォークで生地をすくって中身のベリーごと口に入れると、果実の酸味と生地の甘みが重なってじんわりと口の中に美味しさが広がっていく。
あー……疲れがとれるなあ。
『良い顔しすぎ』
『今日の切り抜きのサムネ決まったな』
「この身体に
大学のレポートを徹夜でパソコンで打ち込んでいる時なんかはコーヒーとスーパーで買ってきたスイーツを並べてよく徹夜をしたものだ。徹夜はコストパフォーマンスを低下させるというのはもう一般常識として通底されてはいるものの、どうしてもそれが必要な時というものはまだまだあるらしい。
こういう時は暖かいコーヒーでも飲みたいが……。コーヒーは嗜好品の中でも高いんだよね。
こういうのも俺が完全にひとりで潜っているのであればやむなしと割り切ることもできたかもしれない。けれども一応、俺は視聴者のみなさんからの厚意で金銭を得ているのであって、それを無駄遣いするというのはポリシーに反する。
薬草でコーヒー作れないかな……。以前、薬草で紅茶を作った結果利尿作用がとんでもないことになって大変な目に遭ったから、しばらくはやめておきたいところではある。
◆
モルタル建築は冷え込むという現実を知らなかった。知っていればもう少し手を加えて……いや、採れる手段はそんなになかったか。
暖炉の前で薪をくべ、シロガネと一緒に暖まりながら船を漕いでいる。
シロガネは俺がもたれかかっていても尻尾をぱた、ぱた、とこちらに軽くはたいてくる。すぴ、すぴ、と鼻から息が漏れてはたまに大きくあくびをしていた。
ぼんやりと気持ち良く眠りにつきそうになっている中、俺が考えているのは今後のことだ。
詳しく言うのであれば俺とシロガネと、ホワイトウルフたちの今後。
俺はシロガネと今後も
もしシロガネがホワイトウルフたちも連れて行きたいと言うのであれば断らなければならない。理由は単純に、これだけの足手まといを守りながら進む余裕はないからだ。俺が断ることでシロガネが群れを取るというのであれば……そのときはそのときだ。
俺がシロガネに選択を迫るか、シロガネを求めている集団に返すべきか。それも考えなければならない。
人間が世話をした時点で責任は取らなければならないのだが、シロガネが群れのことを気に懸けている以上、こちらもなんとかできる限り対応はしてやりたいとは思ってしまう。
ただ、俺の両手は思ったよりは長くなくて大きなものを抱えられないだけで。
俺はゆっくりと眠りつつあるシロガネに小声で語りかける。
「なあ、シロガネ。スノーウルフを倒したら……お前はどうしたい?」
シロガネからの返事はない。眠ってしまったのかもしれないな。
……本当はなんとか取り返しがつく間に野生に返したほうがいいのだろう。
もっと言うのであれば俺に取れる責任なんかたかが知れている。あの小さな身体の時に助けなければ良かったのかも知れない。
彼には仲間がいる。
そう理性は言っている。
けれど、楽しかった。
ダンジョンの中で一緒に過ごす日々が楽しかった。だから、手放したくない。そう、本能は訴えている。
なんともなしにシロガネに訊ねた言葉は返って来ることはなく。聞いただけ無駄だったのかもしれなかった。
――そういう時が来たときに決めればいいか。
もぞもぞと動いてシロガネから離れ、寝袋の中に潜り込んでいく。
火が肌の水を奪う暖かさの中、即座に俺は眠りに落ちていった。
俺が眠ったあと、シロガネがゆっくりと起き上がった。小さく寝息を立てて眠りこけている俺の頬をシロガネはわずかに舐めて、先ほどとは反対側の場所に座りまた眠り始めた。
そのことを、俺は知らない。
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