第9話

 守人様に従えば大丈夫、きっといい方へ導いて下さる。


 民は、常にそう思っているものだ。民だけではない、神官も、巫女も、そしてユウも。

 そのたった一つの希望である者が、自分に頼るなと言われた。

 守人の導きがなくて、他にどうすると言うのだ。


 「それは困りましたね、守人様がそんな事を仰っておられるようでは。————しかし、我々は先に進まねばならない。ここで、何時までも議論を続けている時間はないのです。ならば、守人様の代わりに導いて下さる方を選ばねば・・・・・」


 ザイードは沈鬱な顔で告げ、いきなり視線をユウの方へと転じた。

 ぎょっと、ユウの表情が強張る。

 それを見た彼の顔に、今度は柔和な笑みが浮かんだ。


 ————どういう意味だろう?


 ザイード様は、私が導くべきだと仰っているのだろうか?


 ・・・・まさか。


 ザイードは、守人様の言葉にそれほどショックを感じてはいないようだった。

 常に冷静なザイードではあるが、こんな状況であるのにやはり冷静で、全く何時もと変わりない。

 神官長でさえ、驚きを隠せない様子だと言うのに・・・・・・。


 ユウは、彼の落ち着いた態度に戸惑いを感じた。


 「ザイード様、守人様に答えられない事が、何故わたくしに答えられましょう?」

 ユウは、困った挙げ句にそう呟いて、神官達の顔を見回した。神官達はさっと視線を外し、戸惑ったように顔を見合わせた。


 「それはまた、おかしな事を仰せられる。あなた様も、守人の血を受け継いでおられる方ではないですか。守人様が自分の立場を放棄されたのなら、代わって我々を導くのがあなた様のお役目」

 しかしザイードは、冷静な態度を保ったまま告げた。

 まるで歴史の勉強をしている時のように、答えを知っている者の、有無を言わせぬ言い方だった。


 「でも・・・・・」

 「さあ、どうぞ我々を導いて下さい」

 巫女姫の言葉を遮るという非礼をした上で、ザイードは恭しくユウの前に伏せて彼女の言葉を促す。


 ユウは溜め息を吐き、自信のなさそうな声で小さく告げた。


 「守人様は、何と言おうとこの御方しかいらっしゃいません。わたくしは、守人様は何があっても守らねばならないと思います」

 だから、どうするとは言わなかった。ザイードの言う通り、強行突破する事が正しいかも分からない。


 ただ、彼女は教わった通り、巫女姫らしく振る舞おうとしただけだ。


 「そうです、その通り。我々は、守人様を守らねばなりません」

 我が意を得たりとばかり、ザイードはにっこり笑って、袋の中から長細い包みを取り出した。そっとその包みを解き、出て来た物を恭しくユウに渡す。


 一同が、はっと息を飲んだ。


 ————それは、大地の剣。国の安泰と変わらぬ恵みを願う、清らかな姿。

 ユウは、愕然として手に受けた剣を眺めた。


 「・・・・何故、これが?」

 「ゾリアスの凶徒達に汚されぬよう、私が持ち出したのです」

 ザイードは、事もなく告げて微笑んだ。

 神官達も、じっと憑かれたように剣を見つめる。


 「何故に、民の願いが剣に託されるのでしょう?剣は武、鞘は和、武を和に収めてこそ大地の剣。我々は、そう神殿から教えられてきました。しかし、それは本当に、武を収める為でしょうか?私には、そうは思えません。ラクレス神は、変革を求める神。信者達が弾圧される世を、決して望んではおりますまい。ならば、変えなければ。神は、我々に立ち向かえと仰っているのではないでしょうか?巫女姫様と共にあらば、我々が汚れる事はありません。我々は、神の為に戦うべきです。かつて、大地の子等が大地をこの手に取り戻した時と同じように・・・・」

 しーんと、場が水を打ったようになった。


 恐怖と戸惑いを面に映しながらも、異論を唱える者は誰もいない。

 ザイードの言葉には、不思議な力があった。

 真理を感じさせる、深い声。有無を言わせぬ、強い響き。

 決して口先だけとは思えない、確信的な言葉。


 まるで使徒の預言者を思わせる、自信に満ちた表情。

 それはあたかも、神から与えられた啓示のようにさえ思えた。

 神官達は、まるで酔い痴れたように、互いを見つめ合う。


 戦って、何が悪いのだ。弾圧したのは、カライマの帝王と、その下でやりたい放題の事をしている軍だ。神と共にある自分達が、どれほど悪いと言う。


 ラクレス教が争いを禁じているのは、それが無意味なものだからだ。しかし、無意味ではない争いなら、時と場合によって許されるのではないだろうか?


 何故なら、ラクレスは変革を求める神。


 英知の神は、より良い世界を生み出す為、その知恵を人々に貸し与える。

 神は、停滞を望んではいないのだ。

 そんな思いが、彼らの間に漂う。

 神官長でさえ、ザイードの言葉に呑まれていた。


 彼らにとって今一番大事なことは、掟に従う事ではない。何がなんでも守人を、大切な神の御子を、全力で護らねばならないという事なのだ。


 「待って下さいまし!大地の子が、そんな事をしていい訳がありません。どうぞ、どうぞ思い止まって下さい」

 同じく唖然として聞いていたパティオが、はっと我に返って叫んだ。

 顔が青ざめ、唇が震えている。


 パティオが完全にザイードの言葉に引き込まれなかったのは、彼女が若い少女だったからかもしれない。

 神官達とは違い、見た事もない軍人達に捕まる事より、常に身近にある神の裁きの方が恐ろしかったのだ。


 しかし、

 「では、ここで守人様が穢されてもよいと言うのですか?守人様だけではない、巫女姫様も、我々も、あなたも穢されるのです。彼らが、私達を黙って見逃してくれる筈がないではないですか。捕まれば、我々は殺されます。そして、巫女姫様やあなたは、更なる困難に陥るでしょう。神を恐れぬ軍人達は、平気で巫女をも犯す筈。あなたも、巫女姫様も、例外とはされない事でしょう。それでも、よいのですか?あなたは、それでも戦うなと言うのですか?」

 というザイードの言葉で、パティオの顔はさらに青ざめた。


 口を噤んで唇を噛むパティオを、ユウは同じように青ざめたまま見つめた。


 ————そうかもしれない。

 ザイード様の言葉は、正しいのかもしれない。


 ユウは、ザイードの言葉に流されていく自分を感じて、ひどく驚いた。

 今まで自信を持って告げていた言葉が、いつの間にか違う方へと向かっている。それなのに、都合のいいように解釈を変えて納得しようとしているのだ。


 戦いを禁じているのなら、何故神官達は拳闘術を習うのか。何故自分は、剣を習っていたのか・・・・と。


 「神に背く輩と戦う事で汚れるのなら、私は望んでその汚れを受けましょう。それで、守人様を汚さずに済むと言うのなら・・・・・」

 神官達が、ザイードの言葉に頷く。今度は、パティオも口を挟もうとはしなかった。


 ユウは、平然とした顔で恐ろしい事を言う美しき神官を、ただ震えながら見つめる事しか出来なかった。


 そして・・・・、インシャをこよなく愛し、報われぬ恋に身を焦がして果てた神、テリウスの星が北の空に浮かび上がった頃、ユウ達は関所に向けて動き出していた。

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