第5話
この、カンダルラのナストーヤ城で起こった事件は、その後ナストーヤの乱という名で呼ばれ、戦乱の世を迎える最初の事件として知られるようになる。
クワナの直系の血筋を根絶やしにしたガリアドは、アルマ王子を処刑したその一週間後、ナストーヤ城にて大掛かりな戴冠式を執り行った。
正式に、帝王の座に君臨したのである。
そしてそれは、ラクレス信者達にとって、受難の始まりだった。
何故なら彼は、己を唯一の神と称し、国教であるラクレス教の信仰を一切禁じたからである。
カンダルラの神殿で暮らしていたレオは、民を惑わす逆賊として幽閉され、更にアルマ王子が首を切られたその場所で処刑となった。
ターメリッダ神殿にその報告が届いたのは、帝王暦一年、九月一日。
ラクレス教禁止令が出て、五日後の事。
事件の後、神殿の中はひっそりと静まり返り、誰もが何時襲って来るか分からない兵士達に脅えていた。
噂では、カンダルラやアンサムの神殿はその日のうちに打ち壊され、神官や巫女達の多くが死んだと言う。生き残った者も、命が助かる代わりに改宗を誓わされ、その場で教典を火に投げ入れさせられたのだそうだ。
ここ、森の都クッカは聖域。ここには、新たに守人を継いだレイもいた。
レイは、ラクレス教禁止令が出たその日、逃げるように都を出て、このターメリッダ神殿に戻って来たのだ。
レイが神殿に戻って来た時は、皆飛び上がるように喜んだ。守人が世を去った時点で、神はレオからレイに移ったと誰もが考えたからだ。
しかし、レイは神官達の思いに応える事もなく、ただ沈鬱な表情で黙すばかりだった。
守人は語らず、一方で弾圧は益々激しくなっていく。ガリアドがもし、ゾリアス(破壊神)に魂を売った悪魔ならば、必ずここも汚される筈。
神官達は、そう囁いて憂い顔になる。
ユウは、報せを聞いてからずっと、泣いて過ごしていた。
父として触れた事はなくとも、守人はユウにとってそれ以上の存在だった。
何処かに存在しているというだけで、心は満たされていたのだ。
しかし、その人はもうこの世にはいない。それも、ラクレスの意思によるものなのだろうか?
今ユウは、悲しみに打ちのめされていた。そして、迫ってくる恐怖にただ脅える。
巫女達の中には、神殿と共に果てる事を望む者もいたが、ユウはそんな勇気もなかった。
死ぬのは怖い。どうしても、その気持ちが胸にこみ上げてくる。
だからと言って、どうすればいいのかも分からなかった。
「何という事でしょう?まさか、こんな事になるなんて・・・・・」
慰めても元気にならない巫女姫を持て余し、パティオは大きく溜め息を吐いた。
彼女は、余りのユウの落胆振りに胸を傷め、神官長の許しを得て、ユウの部屋を訪れていたのだった。
しかし、いくら慰め励ましても、ユウの憂鬱は直らない。それどころか、益々落ち込んでいくようだった。
ベッドでさめざめと泣く巫女姫を、なるべく直視しないようにそっと窺う。
それから、悪夢のような出来事にぶるっと体を震わした。
「巫女姫様、どうぞお気持ちをしっかりお持ち下さいまし。きっと、神が我々に御力を貸して下さるでしょう」
言葉で穢さないよう、パティオは横を向いたまま言った。
ユウはその声にようやく顔を上げ、背けたままの少女の顔に視線を流した。
こんな状態でもパティオは、黒髪を綺麗に梳かし、身繕いもきちんとしている。
それに比べユウは、着替えさえ自分一人ではする気にもならない状態。ただレヤにされるままに任せ、時間があれば自室の窓の側で、悲しみに暮れて泣き伏せるばかりだった。
本当なら、ユウも気丈に振る舞わねばならない時。巫女姫も、神殿の者を導く役目を担っている筈なのだ。
けれどユウは、神官達や巫女達の前に出るのも怖かった。心配して、神殿に集まって来る信者達に会う事さえ・・・・・。
彼らの前に出て、平静でいられる自信がなかった。
出来る事と言えば、部屋に籠もって震えるだけ。
「大丈夫です、きっとラクレス様は、私達を見捨てたりなさいません。ですからどうぞ、一口でもお食事を・・・・・」
朝から全く食事を取っていないと聞いて、巫女姫にどうにか食べる気を起こさせさせようと頑張るパティオ。しかしユウは、無言で首を振っただけだった。
空腹感はない。それより、心にぽっかり穴が空き、すきま風が吹き込んで来る気持ちの方が辛かった。
ユウは、少しでもその辛さから逃れる為、パティオの方へ手を伸ばした。
扉の前に立つ少女に、自分の方へ来て欲しいという意思を示す。
この少女が手を握ってくれれば、どれほど心が安らぐだろう・・・・。
が、パティオはやはり、顔を背けたまま首を横に振った。
「いけません、私に触れてはいけません」
伸ばした手が、空を掴む。その余りの虚しさに、ユウは思わず涙を零しそうになった。
—————私は、弱い。
それを、今回の出来事で思い知らされた。
神官や巫女達は、彼女を巫女姫と敬い、我が身より先に彼女の身を案じている。けれどユウは、目もあてられない程の取り乱し方。同じ歳のこの少女でさえ、気丈に振る舞っているというのに・・・・。
ユウは、自分には民は救えないと思った。ラクレスの信者を、導く事が出来ない。
こんなに弱い自分が、何故巫女姫と呼べようか?
溜め息を吐き、空の手をベッドの淵へと伸ばす。そして、淵に凭れながら、ゆっくりと立ち上がった。
「ユウ様・・・・」
ユウが起き上がった気配を察して、パティオが心配そうに声をかけてくる。
ユウは無言のまま、覚束ない足取りで窓の方へ向かった。
窓から、ぼんやりと外の景色を眺める。
広がる森、その先に見える町並み。
クッカの町だ。こんなに近いのに、行く事の出来ない町。
ここから見つめ、愛し続けた森の都。
町も神殿も信者も、愛しいものが全て、今まさに危機に瀕している。
それなのに、何も出来ない自分が情け無い。
ユウは、滲む視界で窓の外を見つめ続けた。・・・・と、不意に光が森の奥で広がったのに気付く。
何だろう?
そう思った直後、ドーンと凄まじい音が響いた。それから、黒い煙が立ち昇る。
—————森が燃えている?
ユウは、考えてからぞっとした。
「パティオ・・・・」
震える声でパティオに告げようとした瞬間、部屋の扉が激しくノックされた。
ユウは驚いて、パティオに救いを求める視線を送った。
彼女は迷っていたようだが、表情を固くすると扉の方へ向かう。
「お待ち下さい、只今扉を開きます」
しっかりとした足取りで扉の前に立つと、彼女は静かに扉を開いた。その先に、若い巫女が立っている。
巫女はパティオの姿を見て驚いたようだったが、彼女の額にある印を見てか、慌てて視線を床に落とした。
ユウは、その巫女の名前を知らなかった。見た事も、ましてや声を聞いた事もない。パティオ以外で若い巫女が近くに来たのは、これが初めてだった。
額の黒い印から、その巫女は十位の者だと分かる。
急な事なので、伝言を命令された巫女の方も戸惑っているようだ。巫女姫を前に、緊張して身体を震わしている。
けれど勇気を出して、巫女は顔を伏したままパティオに言った。
「巫女姫様に、聖堂の方へお越しいただきたいそうです。他の皆様も、そちらに向かっておられる筈です」
「どういう事ですか?」
言葉の出ないユウに代わり、パティオが落ち着いた様子で尋ねる。
「理由を話す時間はないのです。どうか、私と一緒に聖堂までお越しください」
巫女は余程焦っているのか、彼女達に質問する暇を与えず、勝手にすたすたと歩き出した。パティオは仕方無く、巫女姫を促してその後に続いた。
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