第3話

 着替えの間に戻ったユウは、何時もの簡素な巫女服に着替え、再びパティオに導かれて部屋を出た。

 次に向かうのは、守人の間。そこで、今日は守人である父と謁見出来るのだ。


 先程とは違う緊張が、さっと全身を撫ぜる。

 レオと会うのは、半年ぶりであった。

 期待で胸が一杯になり、心臓の鼓動が激しくなる。

 ユウは緊張をほぐそうと、何度も深呼吸を繰り返した。


 ラを頭に頂く者は、聖なる者。それは、血筋でのみ受け継がれる名。

 守人の血は全て清らかであり、特に紅の髪を授かった者は、ラクレスから特別大きな祝福を受けていると信じられていた。

 たとえ守人の嫡男でも、紅の髪でなければ守人にはなれない。


 ユウの父ラ=ス=レオは第三子であったが、一際美しい紅の髪を持っていたという事で、神の御子に選ばれた。

 神の御子に選ばれれば、人より上に立つ事になる。やがて神が移る器として、人々から崇拝の念を抱かれるのだ。


 当然、ユウにとってもレオは、父である前に守人だった。

 故に彼女は幼い頃から、娘としてレオに甘える事も出来ないばかりか、その手に触れる事さえ出来なかった。


 守人は、人でありながら人ではない。

 清らかな者でも、簡単には触れる事を許されぬ、特別な存在なのだ。

 たとえ同じ血が流れていたとしても、神と人の差は余りにも大きいのである。


 ・・・・しかし、彼女はそれで良かった。


 ラクレス教の神官や巫女達は、神殿に入った時点で親兄弟との関係を断ち切られる。

 それは、大地の子は全て兄弟であり、平等であるべきという教えがあるからだ。

 神殿に入ってしまえば、周りの者も同じ境遇なので、それがごく普通の事と思うようになる。寧ろ、父や兄弟の姿を見る事が出来る、ユウの立場の方が特別だった。

 ユウにしてみれば、自分は恵まれていると、罪悪感さえ抱く事もあったのだ。


 「ユウよ、とても素晴らしい舞だった」

 守人の間で父にそう言われた時も、彼女は喜びと同時に少しの後ろめたさを感じた。

 

 ユウは、守人を直視しないよう、顔を伏せたまま、額に指を当てた神官式の礼をする。

 後ろには、ラの名を持つ神官と巫女、そしてそのまた後ろに、位の高い神官達がひざまずいて並んでいた。

 彼女の横に、三つ上の兄、ティマが伏せている。

 すらりと背が高く、やや細身。簡素な神官服を着た、紅の髪の若者だ。彼もやはり顔を下に向け、守人に視線を向けぬように注意していた。


 守人は、部屋の奥、中央に据えられた立派な石造りの椅子に、ゆったりと腰を下ろしていた。その傍らに、成人したばかりのレイが立っている。

 レイは、神の御子として選ばれた者。選ばれた者だけが、守人の側に控える事が出来る


 レイは、次男のティマと良く似た顔立ちをしていた。背の高さもさほど変わらず、体型も殆ど同じ。ただ、髪の色がティマに比べて弱冠濃いようであった。

 紅の色が濃い程、神の器として相応しいのだ。


 本当のところ、一番濃い髪を持っているのはユウなのだが、肌の色が少し違う。大地の化身になるには、紅の髪と褐色の肌でなければならないと言う決まりがあった。


 それに、大地の神ラクレスは男神とされており、守人を継ぐ者は男でなければならない。

 何方にしても、ユウが守人になる事は出来ないのだ。


 この世でもっとも清らかなレオとレイには、ユウやティマでさえも、息を吹きかける事は出来ない。その為、二人がひざまずく場所は、守人から少し距離が置かれていた。

 「ユウ、顔を上げなさい」


 俯いていたユウは、守人の許しを貰って初めて父の姿を見た。

 当然、直視するような非礼はせず、目の端に少しだけその姿を捕らえる程度だ。

 それでも、守人の姿を見る事が出来るのだから、やはりラの者は特別なのである。


 彼の今日の姿は、金の刺繍をあしらった式典用の純白な神官服。少しあせた紅の頭の上に、同じく真っ白な筒帽を乗せていた。肩には赤いバラム、そして左手に宝玉のはまった杖。清らかな足に、絹の草履。


 神殿の中では、土足は禁止されている。ユウもティマも、そして他の神官達も裸足だ。

 しかし、守人とその後継者だけは別だった。守人は、元々清らかなのだ。だから、守人の履いている草履は、この神殿より清らかだと思われているのである。


 「ユウ、そなたは美しく成長した。神に愛でられた結果であろう」

 厳かな声が部屋に響く。

 レオは、目を細めて娘の姿を優しく見つめていた。

 正直なところ、ユウの背はカライマ人にしてはかなり小柄で、ぱっと見てスタイルがいいわけでもない。顔付きも鼻筋は通っているが、彫りが深いと言う程でもなかった。


 しかし、肩に零れる紅の髪は、誰より濃く深い。そして、清らかさを映したサファイアの瞳は、きらめく海の色より更に美しく澄んでいた。

 普段は伏し目がちのユウだが、舞を踊る時は正面を見据えるので、その思いの外大きい目に宿る、強い生命の輝きを人々は目の当たりにした事だろう。


 ユウは、やや童顔で可愛らしい感じはするが、びっくりするほど綺麗とは言えない。が、何故かはっと心を動かされる、不思議な魅力があるのだ。

 それは父のものと言うより、亡き母ミーヤのものに近い。

 レオが愛し、周囲の戸惑いを承知で妻にした女の・・・・・。


 守人の妻は、巫女の中から選ばれるのが普通であった。俗世に係わる者はどんな人間であろうと汚れており、守人に病を引き起こすと信じられていたからだ。

 それなのにレオは、妻としてカライマ国の王女を選んだ。

 カライマでは褐色人種が一般的だが、王家の者は白色に近い肌が多い。それはカライマ国の王が、政略的に他国の姫を妃にする時代が続いたからだ。国王が妃に選んだ殆どはダンドリアやゴーリアの姫で、それらの国は白色人種の国であった。


 そんな背景から、カライマ国第三王女のミーヤもまた、真珠のように艶やかな肌と濃い蜂蜜色の髪を持った、とても愛らしい姫だった。優しく美しく控えめで、まさに白百合のよう。レオが一目で王女に心を奪われたとしても、それは不思議な事ではなかった。

 この驚くべき出来事に、王家の者達は手放しで喜んだ。


 ルカ王家としては、守人の血に王家の血が混じる事は、遙か昔からの念願だった。これで血に塗られたルカの血が清められると、半ば本気に信じ込んでいた所もある。

 しかし神殿の者達は、簡単には頷けなかった。


 たとえ王女でも、俗世の人間には違いない。

 ラの者達は、王家の者達に頼んで、なんとか守人を諦めさせるように仕向けた。

 が、レオの意志は岩より固く、誰も彼の思いを砕く事は出来なかった。

 仕方無く神殿の者達は、守人の願いを聞き入れたのである。


 しかし、密かに彼らは、汚れた血が表に出る事を恐れていた。

 もしかしたらレオの子は、ラの者の象徴である、紅の髪を持たずに生まれて来るのではと・・・・・・。


 神官達の危惧を余所に、運良くレオの子は、三人とも紅の髪を持って生まれた。

 レイもティマも、父に似て白色の肌より褐色に近い。

 みな、その事にほっと胸を撫で下ろした事だろう。

 残念なのは、ユウだけ母に似て兄弟より色白で生まれてきてしまった事。

 守人の血も、王家の血も、どちらも濃く受け継いでいるユウ。


 神殿の者達の心境は、複雑だった。だが彼らは、あえてルカの血を無視し、ユウの髪の色だけを神の祝福として讃える事にした。

 神殿の者達は暗黙のうちに、ルカ王家の血筋を語る事を、禁句としてしまったのである。


 「そのような言葉を頂き、あり難き幸せにございます。私がこうしてあるのも、天におわします神々と守人さまのお蔭であります。どうぞ、天と地の加護の下、何時までも大地に天の恵みがありますように」

 ユウは守人の言葉に胸を震わせ、その感動を伝えようと額に星字を切った。


 レオは頷いて、愛しい娘の顔から、逞しく成長した次男の方へと視線を移した。

 「ティマよ、そなたは何処から見ても、大地に祝福された神官に見える。再来年、成人の儀を終えた後は、ターメリッダの大神官、ラ=ス=マオの仕事を引き継ぐが良い」

 「はっ、あり難き幸せにございます。どうぞ、天と地の加護の下、大地の民が何時までも健やかでありますように」

 ティマも、緊張した面持ちで額に星を描く。


 この、額に星を描く動作は、大地の子である誓いだ。いつ何時も、神のお言葉に従いますという意味である。

 レオは、やはり深く頷き、今度はやや後ろの方へ視線を飛ばした。


 「ザイードよ、そなたのお蔭で子供達はこれほど立派に成長した。そなたの信仰は、もはや誰にも失わす事は出来ぬだろう。次の豊穰祭が終わり次第、そなたはヘッサムの神殿に向かうがよい。そこで、大地の祝福を受けるであろう」

 ザイードは、官一位神官だ。神官の場合、首から下げられたエパソという長い紐によって、その位が分かるのである。


 彼は、まだ三十にもならぬ若さ。十五の時テンの神殿から送られて来た神官で、彼も赤子の時から神殿で暮らす清らかなる者だった。だからこそ、これほどの早さで昇官したのだ。

 彼はこの八年間、ずっとユウやティマの世話役兼教師をしていた。


 神の御子を除く守人の子供達は、十から十六までの六年間、位の高い神官から教えを受ける習わしになっていた。ティマは既に終わり、ユウも後数カ月でそれが終わる。


 それを見越して、レオはザイードにヘッサム行きを命じたのだろう。恐らく彼は、そこで神官長という位が貰える筈。


 ユウは、ザイードから様々な教えを受けた。神殿で暮らす者としての心構えから、神学、語学、歴史学、馬術、そして剣技までも。

 舞自体は、前舞巫女である叔母から教わったものだが、ザイードからも細かい技を伝授して貰った。彼は、たまたま儀礼用の剣舞を踊る神官だったため、自ら進んでユウに剣技の指導をしてくれたのだ。


 男の動きと女の動きは違う。大地の舞を踊る巫女は、男神と女神を分けて踊らねばならない。ザイードから剣技を教わるのは、その点で大変参考になった。


 守人から言葉を貰ったザイードは、俯いたまま額に星字を切った。

 神官達は、決して守人を見てはならない。それは、守人がけがれるからという事もあったが、守人が余りにも輝かしいオーラを持っている為、彼ら神官はそれを見ただけで魂が疲労してしまうから、とも信じられているのだ。

 当然、直接会話をしてもならない。


 ザイードもやはり黙したまま、額に中指を当てて礼をした。

 彼の長く美しい銀色の髪が、大理石の床を流れるよう垂れている。

 普通一般的に、カライマの男は髪を短く切る。そして、歳を取れば髭を蓄えるものだった。


 しかし、神官達は違う。彼らは、髪を長く伸ばす。それに、髭も蓄えはしない。それが神に仕える者の姿であり、妻をめとらないという意思表示でもあった。

 ユウはザイードを見る度に、密かに感嘆の溜め息を洩らさずにはいられなかった。


 彼は、まこと神に愛でられているのだろう。その姿は、完璧なまでに美しい。

 髪も、容姿も、声も。

 そして、その心まで。

 彼から剣を習う時、時々その美しさに目を奪われ、手元がおろそかになる事もあった程だ。

 剣舞を踊る時の彼は、特に美しかった。

 優しさを秘めた力強い目、何処か寂しそうな口許、動く度に光を放って揺れる長い銀髪。

 賢く、慈悲深く、常に冷静な彼は、ユウにとっても目標だった。

 まるで、調和の神ジャイスのよう・・・・・。


 「これにて、謁見を終了する」

 厳かなレイの声で、ユウはふと我に返った。

 つい、ザイードに気を取られていた事に、思わず赤面する。

 守人と謁見しているというのに、違う者に気を取られるなどもってのほか。

 ユウは恥ずかしさで一杯になりながら、胸の中で何度も神に詫びた。


 謁見の時間は、本当に短いものだった。その時間は、十五分にも満たない。さっき現れたばかりだと言うのに、守人はもう椅子から立ち上がっていた。


 ユウは仕方無いと思いながらも、守人が立ち去ってしまう事が残念でならなかった。

 「天と地の加護の下、大地の子に祝福あれ」

 レオが、一同の前に手をかざした。

 ユウを始め神官達は、頭を垂れて額に星を切って答える。

 レオとレイが奥の扉に消え完全に見えなくなると、一同は声を揃えて唱えた。


 「全ての子等に、大地の祝福がありますように」

 それからユウとティマは、守人が去った扉に礼をし、それぞれの部屋へ戻る為別々の扉へ向かった。

 他の者達は、ユウ達が去った後、位の高い者から順番にそれぞれの持ち場へ帰っていくのだ。


 —————今度は、何時お会いする事が出来るのだろう?

 パティオに付いて歩きながら、ユウはその日を空想した。

 三カ月後に、豊穰祭がある。多分、その時には必ずいらっしゃるだろう。

 守人に会えた感動に胸を震わせ、ユウは次の謁見を心待ちにした。早く、豊穰祭が来て欲しいと、そればかり強く願う。


 しかし、それが二度と訪れはしない事を、ユウはまだ知らなかった。

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