第2話
扉を開け、顔を伏せたままのパティオが、無言でユウを中に促す。ユウは残念そうに頷いて、仕方無く部屋に入った。
ぱたん、扉が音をたてて閉まる。
溜め息を吐きつつ、視線を部屋の中央へと移動させると、本来いる筈の叔母、リアの姿がなかった。リアは、昨日から病に伏している祖母、ユアの看病をしているのだ。
代わりにそこにいたのは、ユウの祖母、ユアの妹にあたる、ラ=ス=レヤだった。
レヤは、叔母のリアと同じく、かつては巫女舞いを踊っていた者だ。
彼女もラの者ではあるが、象徴である紅の髪はもう殆ど色素が抜けかけている。
「ささっ、巫女姫様。水場で身を清め、こちらの衣装にお着替え下さい」
レヤが、しわしわになった指で奥を指差し、それから棚に掛けてあった衣装を示した。同じラの者であるにも拘らず、ユウに対する態度は丁重である。
それは、ユウが現守人の娘であり、次期守人の妹であるからだ。守人は、継承された時に神が移ると言われている。故に、その時点で周囲の人々の敬意も、継承された者の周囲へと移り変わるのである。
ユウは頷きながら、大叔母が示した衣へと視線を向けた。
そこには、絹で織った純白の長衣が、細い棒で広げて壁に掛けてある。襟と袖と裾に、金の刺繍が施されていた。
裾から膝の上くらいにかけて、両サイドに長いスリットが入っているのは、舞を踊りやすくする為だ。
服のすぐ横には、細長い布も掛けてあった。長さは両手を広げた程で、ラクレスの神話を古代文字で記した刺繍が、赤や青や金や銀の糸で施されている。
その布はバラムと言う名で、位の高い神官や巫女が、正装する時に身に着ける物だ。
舞は、バラムを肩に掛け、左手に剣を持って踊るのである。
大地の舞は、剣舞だ。ケルという横笛の楽器に合わせ、歌いながら、優雅かつ大胆に踊るのが良しとされている。
ユウはレヤの言う通り、水場で身を清めてから衣装に袖を通した。
髪は結わずに流しておく。神殿で暮らす者は、髪を切らない。おまけにラの者は、髪を結ってもいけなかった。紅の髪はラの象徴、手を加えてはならないのである
ユウは着替えが終わると、着替えの間の中央にある椅子に腰を下ろした。すると、すぐにレヤが近付いて、ユウの腰まで届く紅の髪を梳き始める。
レヤは嬉しそうに、彼女の初舞を祝った。
「婆の魂も、これで安心してインシャ様の元へ戻れます。ラクレス様はきっと、巫女姫様の舞をお喜びになる事でしょう。こんなに愛らしい巫女姫様が、あの美しい舞を踊りなさるのですから」
「レヤ様、どうぞそんな事は仰らないで下さい。あなた様には、もっともっと私の晴れ舞台を見て頂かねばならないのですから・・・・」
この大叔母は、何かあるとすぐにそんな事を言う。
慣れているユウは、おどけたように笑って、バラムを右肩に乗せた。それから祭事用の装飾品である首飾りや指輪、耳飾り等をつけ、剣を握る左掌に白い布を巻いて貰う。
化粧は、赤の染料を唇と目の上に塗り、黒の染料を目の端に塗るだけ。
鼻から下を隠すベールと、最後に金の額隠しをつけ、舞の準備は整った。
ラクレスを讃える聖歌が、聖堂の方から響きわたって来る。それは少しずつ、舞台のある中庭へと移動しているようだった。
聖歌に合わせ、人々のざわめきも移動していく。
儀式が終わり、いよいよ大地の舞が始まるのだ。
ユウは気持ちを引き締め、レヤに連れられて着替えの間を出た。
素足にひんやりとした石の感触を感じ、とても心地好い。中庭に通じる渡り廊下まで来た時、レヤは立ち止まってユウだけ行くように促した。
「さあ、巫女姫様・・・」
ユウは、ベールがずれていないか確認し、それが終わると一度大きく深呼吸した。そして、思い切って足を踏み出す。
人々の歓声が耳を裂き、美しい楽が奏でられる。
舞台の前には、既に多くの人が詰め掛けていた。それは全て招待された人達で、一般の民は僅かにしかいないというのに、舞台の周辺まで埋め尽くされる程であった。
舞台近くの来賓席には、カライマ国王他、沢山の貴族達が並んでいる。
舞台に立ったユウは、程よい緊張と興奮に満たされ、神官長が恭しく差し出す大地の剣を厳かに受け取った。
ユウの澄んだ美しい声と共に、静かな笛の音が広がり、青空の中に溶け込む。人々の声が静まって、代わりにぴんと張った弦のような、張り詰めた空気がそこを満たした。
普段、ユウの声は、声変わりをしたばかりの少年のように、低いトーンである。しかし、歌い出すと、その地声からは想像も出来ないくらい、澄んだ美しい声が飛び出す。
低音から高音まで、自由自在に声の出せるユウは、神殿の誰もが皆、歴代の舞巫女の中では一番の歌い手だとささやいていた。
そのユウの舞が、今初めて人々の前に現れるのだ。誰もが、期待と興奮で彼女を見つめていた。
ユウは、まず大地の剣を天にかざし、戦に向かうラーザの姿を真似る。
そのまま、歌いながらゆっくりと身体を旋回させ、剣が反射した太陽の光を、見守る人々の頭上に注いだ。
ゾリアス(虚無)との戦に向かう、美しき女神ラーザ。
祝福の舞は、そこから始まるのだ。
楽官による笛の音が、徐々に大きくなっていく。そして最高音に達した時、ぴたっと止んだ。
しんと、水を打ったように静かになる空気。
ユウは軍神のポーズを取ったまま、大きな目を動かして鋭さを表現した。
太陽の光が反射して、キラキラと輝く瞳に、人々がほっと溜め息を吐く。
ユウが、鋭い眼差しを少し和らげると、曲が再び流れ出した。ゆっくりとした、低い音色。それに合わせ、ユウの歌声も高音から低音に変わった。
静かに足を動かすと同時に、今度は剣をしなやかに振る。最初はゆっくりな動作だったが、曲が徐々に早くなっていくと、それに合わせて歌も動きもリズミカルになっていった。
早いステップを踏んで回りながら、剣を交差させるように振り回す。
目が回るような速さで、ユウは激しく回り続けた。今度は曲がそれに合わせ、どんどん調子を上げていく。その踊りだけではなく、激しく動き回っても変わらぬ声の美しさに、人々はまたも感嘆の溜め息を吐いた。
そして最高潮になると、再びぴたっと音が止まった。
ユウも動きを止め、再び剣を天に掲げて勝利を示す。
次に、曲はゆったりと優しいものに変わった。
戦に勝ったラーザが、ラクレスの元に戻って来たのだ。
ここから、舞の主役はラーザからラクレスになる。
ラーザと共に、天上から舞い降りてくるラクレス。
軽やかな跳躍、優雅な剣の動き、力強い歌、ユウは指先から爪先まで使って、神の思いを表した。
ベールに覆われた顔の代わりに、人々は歌と踊りと目の動きによって感情を読み取る。
二神がそこで愛を育む姿が、大地のように、海のように、空のように、そして流れる雲のように表現されていくのだ。
それはそのまま、二神によってなされた天地創造であった。
ユウは、踊りながら美しい調べの波に沈んでいく。そこに、多くの見物客がいる事すら忘れてしまっていた。
まるで何かに取りつかれたように、無心のままただひたすら夢中で歌い、踊り続ける。
美しく温かく、そして悲哀に満ちた調べで曲は続いた。
二神は最後に、命という娘を産み落とす。命の神インシャにより、大地には命が芽生えるのだ。
それは育ち、広がり、大地に繁栄をもたらした。
曲は、喜びを表す明るく澄んだ音色になり、ユウの舞もゆったりと静かなものから、軽快なものへと変わった。
最後に、神々への感謝、そして大地の終わり無き繁栄を願って舞は終わる。
踊り終えたユウに、全ての人々の惜しみない拍手喝采が送られた。
彼女の歌と舞は、これまでにないくらい素晴らしかったのだ。
ユウは、神官長に剣を戻すと、神官式の礼をして舞台を下りた。
舞台の袖を歩きながら、ちらりと観客達に視線を流してみる。
恍惚とした表情で、しきりに歓声を送る信者達。中には、涙を流す者までいた。
ユウが去った後も、しばらく拍手と喝采は続いていた。
初めてにしては良く出来たと、ユウも自分の舞に満足した。少し、目立たない所でミスはあったが、それでも完璧に近い演技が出来たと思っている。
守人様も何処かで、私の舞を見てくれていただろうか?
熱い感動で胸を膨らませながら、ユウは渡り廊下を戻った。
渡り廊下と神殿への扉の境で、レアがユウを待っていた。彼女は、言葉もない様子で何度も頷き、そっとユウの背に手を当てて労ってくれた。
ユウは、誇らしい気持ちで振り返る。その目に、舞台上で大切に白い布でくるまれていく、大地の剣の姿が映った。
剣は、次の祭まで祭壇に収められるのだ。願いを受けた剣が、それ以外で抜かれる事は決してなかった。
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