大地の巫女

しょうりん

第1話

 永遠と言う名の国、カライマ。

 かつて、神の使いと言われた若者が、この地を指してこう言った事から、その名がつけられたと言う。


 「見よ、これがラクレスとラーザによって産み落とされた最初の地、全ての者達の楽園であり、永遠の大地なり」

 紅の髪と、褐色の肌を持った若者は、その言葉と共に、人々に神の教えを説き、ラクレス教をこの地に広めた。


 当時、マハドという国王の圧政に苦しんでいた民は、若者の教えに救いを求め、彼こそが、人々を守り導く為に天から遣わされた神の化身だと信じた。


 やがて、マハドは人々の強い意志によって王座を奪われ、カライマに平和がもたらされた。

 人々は、この平和は神の化身がもたらしてくれたのだと信じ、後々まで彼を敬い奉り続ける事を誓った。


 少女は、ラクレス教典の中にある、壮大な神々の物語を思い浮かべながら、眼下に広がる森林の海を眺めていた。


 彼女の名は、ラ=ス=ユウ。


 清らかな者という意味の、ラを名に持つ者。

 ターメリッダ神殿で生まれ、そして育った巫女姫。生まれながらに清らかであると言われる、聖人ラ=ス=レオとカライマ国第三王女ミーヤとの間に生まれた娘だ。

 ラ=ス=レオは、守人。つまりユウは、守人の娘である。


 守人は、国の象徴だ。国王でさえも、守人の前ではひざまずく。政治を担う権力はないが、人々の信頼と尊敬を一身に受けている存在だった。

 それは、神官達とは次元の違う存在。人でありながら、人ではない。人の姿に身をやつしてはいるが、神と同じ位置に座っている者だ。


 地上に於いて、唯一の清らかなる魂。


 そのレオには、現在三人の子供がいた。

 長男であるレイと、次男のティマ、そして末っ子のユウだ。

 ユウとティマは、ターメリッダ神殿で神学を学んでいる。長男のレイは、守人と共に都にあるカンダルラの神殿に住んでいた。

 ユウとティマは、この神殿を出る事は一生ない。守人や守人に仕える者以外で、ラの者が聖地を出る事は許されていないのだ。


 当然、ユウとティマは結婚も出来ない。ラの名前を持つ者で結婚を許されているのは、守人を継ぐ者だけ。いずれ神の入れ物となる、後継者を生み出さねばならないからだ。

 長男レイは、いずれ父を継いで守人となる。故に彼は、兄弟の中で一番清らかな存在であると信じられていた。


 「ユウ様、そろそろ舞台の準備が整います」

 部屋の窓にもたれて、森の生き生きとした景色を眺めていたユウは、扉の外で告げる声ではっと我に帰った。

 神殿の庭にある大きな日時計が、既に10の時を刻んでいる。


 これから、成人を迎えたレイの為、祝いの儀が行われる予定。ユウは、その席で祝福の舞を踊る事になっていたのだ。

 今日の儀式には、多くの来賓が来る。そして、招待された多くの参拝者も・・・・。

 ユウは、小さく身震いした。

 想像しただけで、息苦しくなるような緊張を感じる。


 ラの名を持つ女性の中で、たった一人の選ばれた者のみが、神への奉納舞を踊る事を許されていた。奉納舞を踊る事によって、場や一般の人々が清められると言われ、当然儀式に於いて舞巫女が果たす役目は、大変重要なものなのだ。


 去年まで大地の舞は、レオの姉であるリアが踊っていたが、彼女が歳を取った為、ユウが受け継ぐ事になった。

 初めて、人前で舞を踊る。

 それを思い出し、緊張が再び全身を覆う。


 「どうぞ、こちらへ・・・・」

 「はい、今行きます」

 静かな少女の声に促され、ユウはそわそわと窓の側を離れた。


 白一色に統一された部屋を横切り、細かい彫り物が刻み込まれた木の扉を開ける。それと同時に、声の主はさっと身を引いて頭を垂れた。


 ユウは、守人の娘。巫女や神官達は、その姿を間近で直視してはならない掟がある。守人の子を直視出来るのは、舞を踊る時だけ。今日、初めて神殿の者達もユウをじっくりと見る事が出来る。だから、その日を誰よりも待ち焦がれているのは、実は巫女や神官達なのかもしれなかった。


 ユウが部屋を出ると、迎えに来た少女は、伏したまますっと前に出た。そして、大理石を敷き詰めた廊下を、先導するような形で歩き出す。


 ユウは、そのすらりとした後ろ姿について歩きながら、少女———確かパティオと言う名———の揺れるお下げ頭を見つめた。


 パティオがユウの先を歩くのも、神殿の決まりだ。巫女や神官は、清らかな人の後ろを歩いてはいけない。何故なら、後ろを歩けばその姿を見てしまう危険があるからだ。


 巫女や神官達は、神殿の中でさえも人の汚れがあると言い、聖者が通る場所に聖水をまきながら歩く。パティオもまた、手に持った小さな瓶から、聖水をすくってふりまきながら歩いていた。


 長く真っ白な廊下。等間隔に並ぶ長方形の窓から、柔らかな朝の日差しが差し込んで、少女の黒髪を輝かす。ユウの紅の髪とはまた別の、地味な美しさがあった。


 「パティオ・・・・でしたね。私は、緊張しているようです」

 沈黙を破るように、ユウは後ろから少女に声をかけた。


 他の巫女には絶対にしない事だが、パティオは唯一自分に近い年頃の巫女だったので、何時も話しかけてみたいと思っていたのだ。

 こんな若い巫女が、ユウの近くに来るのは珍しい。


 神殿の巫女は、大体五才から十才くらいの間に修業に入る。それでも、たとえ僅かだったとしても俗世に係わった人間は、人生の半分以上の期間を修業で費やさねば、清らかな人間にはなれなかった。


 そして、清らかな人間でなければ、守人や官皇子達、巫女姫等の側には近付く事が出来ないのだ。

 それなのに、パティオはユウを迎えに行くという命を受けていた。それはつまり、彼女が赤子の時からこの神殿にいると言う事になる。

 俗世に触れる前、神殿に入った娘なのだ。


 「パティオ、返事をして下さい」

 パティオは、ユウよりも頭二つ分ほど背が高い。無言のまま歩き続ける娘の横に並んで、ユウは少女の顔を下から覗き込んでみた。


 少女の額にある大地の印が、ユウの目の中に映る。その色で、巫女の位が分かった。パティオの紫色は、五位を表す。一度俗世に触れた巫女なら、三十年修行をしても得る事は出来ない位だ。


 あっと声を上げて、少女が顔を背ける。

 そして、焦ったように聖水を辺りに何度もふりまいた。

 その行為に、ユウは少しだけ表情を曇らす。それでも、尚も少女に近付いて言った。


 「そんな事、しなくてもいいのです。どうして、話してくれないのですか?ほら、ご覧なさい、緊張で手がこんなに震えているのですよ」

 自分の細い指先を伸ばし、瓶を握る少女の手に触れた。


 ユウとしては、ごく単純に親愛の情を示したつもりだった。パティオに自分の気持ちを伝えたいという一心で、知っていながら神殿の掟を無視したのである。


 しかし相手は、凄い勢いで後方に後ずさり、ひざまずいて床に額を擦りつけた。

 細い肩が、微かに震えている。

 ユウは、少女の背中を見下ろし、大きく溜め息を吐いた。


 パティオは、確か十五歳。ユウより一つ年下だ。

 カライマでは一般的な褐色の肌、少し赤みのある黒髪と、同じ色の瞳が収まったアーモンド型の目を持っている。

 服装は、簡素な純白の長衣。同じく純白の布を頭からすっぽり被って、目から下を隠すようにレースのベールを着けていた。


 このように、神殿の巫女は人に顔を見せてはならない。神に仕えている巫女は、神のみにしか素顔を晒してはならないのだ。

 ただし、ユウはその必要はない。直視される舞の時だけ顔を隠すが、それ以外は相手の方が顔を見ないので、隠す必要はないのだった。


 「そんな事をしなくてもいいから、顔を上げて下さい」

 少女の姿を恨めしげに見つめながら、ユウは寂しそうな声を出した。

 そんな事をして欲しかった訳じゃない。彼女はただ、パティオと話がしたかっただけだ。

 けれどパティオは、ひざまずいたまま首を横に振る。顔を覆う白い布が、それに合わせて揺れていた。


 パティオという巫女は、歳の割りに随分しっかりしている。それに明朗活発で、とにかく働き者だ。

 巫女長が、そんな話しをしていたのを聞いた事がある。

 しかし、ユウの前では何時も、彼女は無言で顔を伏せているだけだった。


 そういうしきたりなのは、良く分かっている。今まで、ずっとそれに従って来た。

 でも時々なら、ちょっとくらい話してもいいだろうに

・・・・・。


 ユウはまだ諦めのつかない様子で、パティオの方へ屈み込んだ。そして、その腕にそっと手を触れる。

 「パティオ、お願いですからそんな事は止めて下さい。私はただ、あなたとお話しがしたかっただけなのです」

 ビクっと肩を揺らし、そのままずりずりと後退するパティオ。

 それから、

 「いけません、巫女姫様が下々の者に手を触れるなど

・・・・・」

 と、戸惑ったように言った。


 ラを名前に持つ者は、聖なる者。触れられた者は清められるが、聖者は汚れのため熱に冒されると信じられているのだ。

 だから神官長や巫女長でさえも、聖者に触れる為には、断食して聖水で身を清めないといけない。


 ・・・・しかしユウは、そんなしきたりには無頓着だった。彼女は好きな人には触れたいと思ったし、それで熱が出ても構わないとも思っていた。

 神殿の者達は、こうした巫女姫の行為に、親しみを感じる一方で大きな戸惑いも感じているようだ。巫女姫が触れてくれるのは、たとえようもない程に嬉しい。けれど、神殿の者達はそれを許されていない。神殿の者として、掟を破る訳にはいかないのだ。

 正直言ってユウの行為には、困ってしまうのである。


 巫女姫として大事に、大事に育てられ、純粋で無垢な心のまま育った少女は、神殿の者達の複雑な心境は分からない。

 ユウは、自分が構わないと言うのに、何故皆が掟を頑に守ろうとするのか、その気持ちが理解出来なかった。


 実際こうして触れてみても、熱が出た事など一度もない。

 本当は皆、清らかなのではないだろうか。それを、気付いてないだけなのでは・・・。

 ユウはそう思って、パティオに優しく告げる。


 「大丈夫ですよ、あなたは汚れてなんかいません。あなたは巫女なのだし、私はあなたが清らかな事を一番良く知っています」

 笑って彼女を安心させようとしたが、パティオは余計に身体を固くしただけ。とんでもないと言いたげに、激しく首を振った。


 「いいえ、ユウ様。あなた様は、私達下々の者に触れてはならないのです。私のような者に触れて、あなた様が病気にでもなったら、私は悔やんでも悔やみきれません」

 頑に言い張る少女に、ユウはまた深い溜め息を吐く。

 自分を思ってくれるのは嬉しい。だが、大好きな人達に触る方が、もっと嬉しかった。

 何故、ラの者は人に触れてはならないのか。何故、気軽に民と話しをしてはならないのか。

 ユウは、それがどうにも不思議でならない。

 我が名を誇りにしてはいるが、この窮屈な境遇には満足出来なかった。


 好きな相手に触れる事も出来ず、人前では話し掛ける事も出来ない。

 身の回りの世話をしてくれるのは、ラの名前を持つ年配の巫女か、位の高い年老いた巫女達ばかりで、同じ年頃の娘と接する事も稀だった。

 身近に接する事の出来る巫女で唯一、パティオだけが近い年頃の娘なのである。ほんの一時だけだとしても、一緒にいられる事が嬉しくて仕方無いのに。


 「・・・パティオ、私はあなたとお話しがしたいのです」

 ユウは、もう一度請うように言った。

 しかしパティオは、やはりユウの願いを叶えてはくれそうになかった。

 「ああっ———、ユウ様。どうぞ、どうぞそれ以上、私に話し掛けないで下さい。お願いします、触れてもいけません。私は、あなた様を汚したくはないのです」


 彼女の言葉通り、神殿の者は自由に巫女姫と会話する事さえ出来ないのだ。

 言葉は気、触れる事の次に汚れを運ぶ行為だとされている。

 パティオは本来明るい娘であったが、掟通りユウとは話さないよう心掛けていた。話したくても、話しをする事を許されていないのである。

 「・・・・分かりました」

 諦めたように呟いて、ユウはパティオから身を引いた。


 これ以上言うのは、パティオを困らせるばかりなのだと、ユウも分かっていた。

 パティオと話したい、触れ合いたい、楽しい時を過ごしたい、そんな強い思いを、ユウはぐっと押さえ込んだ。


 代わりに、寂しさがこみ上げて来て、目の奥が熱くなってくる。

 パティオの方は、さっと立ち上がり、そそくさと前を歩き出してしまった。まるで、逃げるように先を歩く少女の背を、悲しそうに見つめるユウ。

 仲間外れにされた、子供のような表情だった。


 ユウは、何時もこうして、揺れ動く感情を持て余していた。けれど、それをユウは口に出したりはしない。出してはいけないのだと思っていた。

 ユウの顔を直視出来ない神殿の者達は、そうした彼女の複雑な気持ちに気付かない。パティオもまた、ユウの寂しさを思いやるより、神殿での掟の方に重点を置いていたのだ。


 しばらくして、ようやく着替えの間に辿り着いたパティオは、ほっと安堵の溜め息を吐いた。

 勿論、ユウの事を考えているからこそ、というのは分かる。それでもやっぱり、ユウは、パティオのそんな態度が酷く恨めしかった。


 

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