第45話 女性天皇まとめ・江戸時代編(明正天皇:在位1629~1643,後桜町天皇:在位1762~1771)
歴史上の人物ですので常体を用いています。また、本文中の年月日は西暦・太陽暦に基づくものです。ご了承ください。
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奈良時代の
しかし、江戸時代に入り、二度女性天皇が立てられます。
今回はその事情について見ていくことにいたしましょう。
まずは一人目。江戸時代初期の
彼女の父親は第108代
つまり、明正帝は徳川家の血が入った天皇ということになります。
鎌倉、室町、安土桃山、江戸と続く武家政権。朝廷の権威を借りる、あるいは支配するために、将軍家の娘を
鎌倉幕府初代将軍・
室町幕府の歴代将軍も、京都に住まいなかば
この、ある意味禁断の方策に、和子の祖父である
父である
和子は1624年1月9日に第一子となる女児を出産。これが後の明正帝、
和子はその後男児を二人産みますが、いずれも夭折。順調に滑り出したかに見えた徳川幕府の思惑に影が差したところで、思わぬ騒動がおきます。
1629年、後水尾天皇が、幕府に断わりもなく娘の興子に譲位してしまったのです。
この突然の退位劇のきっかけとされるのが、「
「
この紫衣を授けるにあたり、朝廷にはそれなりの見返りがあって、朝廷の重要な収入源となっていました。
これに対して江戸幕府は、
が、後水尾帝はこれを無視し、従来の慣習通りに十数人の僧侶に紫衣を授けました。
このことを知った幕府(1623年、秀忠から
当然ながら、朝廷はこれに反発。仏教界も、京都
1629年、幕府は沢庵和尚ら幕府に抗議した僧侶たちを
この一件により江戸幕府は、自分たちが定めた法度は天皇の勅許にすら優越する、ということを示したのです。
この年の11月8日(旧暦。グレゴリオ暦では12月22日)、後水尾帝は突然退位し、娘に譲位してしまいました。こうして即位したのが、第109代明正天皇というわけです。
この譲位劇について、必ずしも幕府への抗議の意図があったわけではないとする見解もあるようですが、少なくとも、事前に幕府に
やはり、幕府に対してのあてつけという側面は少なからずあったのでしょう。
ついでにいうと、「後水尾」という
この
後水尾帝の人となりも、かなり我が強い性格だったようですし。
幕府との間に立たされた和子皇后のご苦労が
なお、紫衣事件はその後、1632年に大御所・秀忠が死去したことを機に
幕府の朝廷に対する優位性を示す、という目的は果たされたと言っていいでしょう。
このような経緯で皇位に
また、明正帝は夫を持つことも許されず、皇太子には異母弟の
素鵞宮は
東福門院を新帝の養母とすることで、幕府は影響力を残しますが、この頃にはすでに、幕府は天皇の外戚として朝廷を
上皇となった明正に対しても、伯父にあたる家光は、新帝との接触を厳重に制限する内容の書状を送り付けます。
これに関しては、明正上皇が幕府の思惑を離れて勝手な行動を取り始めたから、と解釈することも出来なくはないですが、やはり、明正上皇を通じて幕府が新帝を操ろうとしているなどと勘繰られることを
紫衣事件で幕府の優位性を示し、ある程度の影響力を行使できれば、それ以上のことを望むのは危険、という判断だったのでしょうか。
朝廷というところは、やはり武家がうかつに手を出せない魔窟だった、ということなのかもしれません。
明正上皇は後に出家して法皇となり、1696年に崩御します。
皇位を退いた上皇が出家することは珍しくない、というより定番コースではありますが、幕府と朝廷の思惑に翻弄された人生の果てに、明正は何を思ったのでしょうね。
これ以降、再び江戸幕府が将軍の娘を入内させることはなく、明正帝は武家政権を外戚とする史上唯一の天皇となりました。
明正天皇から120年あまり後、江戸時代2人目の女帝が即位します。それが第117代
推古帝から数えて通算8人目、現在のところ最後の女帝ということになります。
後桜町天皇は
舎子には皇子がおらず、側室である
1750年、桜町帝が30歳の若さで崩御すると、まだ幼い八穂宮が即位。これが第116代
しかしこの、智子にとっては異母弟にあたる新帝も、1762年に22歳の若さで崩御します。
桃園帝には息子がいましたが、この時まだ5歳だったため、中継ぎとして智子が即位し、後桜町天皇となります。
過去には幼帝が即位した事例もあるのですが、同様に幼くして帝位に
この時、桃園帝は、若手公家たちが幼い頃から仕えてきた
そのことから、幼帝を立ててその取り巻きが妙な発言力を持つことを懸念し、女帝を中継ぎに立てた、という次第です。
後桜町帝は、9年の在位期間の後、1771年、甥――桃園帝の皇子・
が、この後桃園帝もまた若くして崩御してしまいます。
彼には皇子がいなかったため、第113代
これが第119代
こうして傍系から弱冠9歳で即位することになった新帝を、後桜町上皇は親身になって面倒を見たようです。
1789年、光格帝が天皇になっていない父・典仁親王に
この「
時系列が若干前後しますが、1787年には、
光格帝も事態を憂い、朝廷が幕府に口出ししないという
幕府は京都市民に対し米1,500俵を放出、天皇および同調した公家たちの法度違反も不問に付します。
まあ、このあたりが朝廷と幕府の最後の蜜月と言ってよいでしょう。これ以降は、尊王運動の高まりによる討幕運動の嵐が吹き荒れることになるのは、皆様ご存じの通り。
このように、光格帝の治世を補佐した後桜町上皇は、「
また、彼女は
彼女は1813年に74歳で崩御しますが、歴代女性天皇の最後を飾るにふさわしい人物だったと言えるでしょうね。
と、いうわけで、44話(「はじめに」を除いて)に渡り50人近い女性君主をご紹介して来た当エッセイも、いよいよ
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