第30話 ゼノビア(パルミラ帝国:在位271~273)

 今回取り上げるのは、古代パルミラ帝国の女王ゼノビア。ローマ帝国の属州から独立し、本国に叛旗はんきを翻した女王です。

 彼女は自分のことをセミラミスの再来と称しており、エカチェリーナ、マルグレーテに続くセミラミスシリーズ第三弾となります。

 もっともこの女性ひと、それ以外にもカルタゴの伝説上の建国女王ディードーの再来だとか、クレオパトラ七世の再来だとか、手当たり次第に自称していたりするのですが(笑)。



 さて、そもそもパルミラ帝国とは? 現在のシリア中央部に位置する、アラビア語でタドモルと呼ばれる都市から発展し、一時はローマ帝国をおびやかす勢いを見せた国家です。

 元々タドモルは、古くからシルクロードの交易都市として栄えてきた町でした。

「パルミラ」の名は、アレクサンドロス大王(BC356~BC323)の東征とうせいの後に、ギリシャ人が「パルミュラ」と呼んだのが始まりです。混乱を避けるため、ここからは「パルミラ」で統一します。


 この地域は、長らくローマ帝国とペルシャ帝国という二大大国の争いの場となってきました。

 260年には、ウァレリアヌス帝(193,195or200~260以降)率いるローマ帝国軍と、シャープール一世(215?~272?)率いるサーサーン朝ペルシャ帝国軍とがトルコ南東部のエデッサの地で激突し、敗れたウァレリアヌスが捕虜となります。


 ローマ帝国皇帝が敵に敗れて捕虜となるという大失態は、それ以前からガタガタになってきていたローマ帝国の威信を失墜させることとなり、パルミラを治めていたセプティミウス=オダエナトゥス(?~267)という人物も、自立して王を名乗ります。

 このオダエナトゥスの後妻が、今回の主人公ゼノビアです。


 ゼノビアは、240年頃、シリアのアラブ系部族のおさ・ザッバイ(生没年不詳)の子として生まれました。アラム語での名は「バト=ザッバイ」と言います。

 母親はギリシャ人だったとも、エジプト出身の女性だったとも言われていますが、詳細は不明。ゼノビア自身、その前半生はほとんど明らかにされていません。


 ただ、かなり高度な教育を受けて育ったのは間違いないようで、エジプト語・ラテン語・ギリシア語・シリア語・アラビア語などの諸言語に通じ、また、側近で哲学者のカッシオス=ロンギノス(213~273)に師事してホメロスとプラトンの比較論などの著書をあらわしたとされています。もっとも、彼女の著書は散逸してしまい、現代にまで伝わってはいないのですが。


 また、パルミラは東方の騎馬民族の影響を色濃く受けており、ゼノビアも武勇に優れ騎馬も巧みであったと言われています。


 彼女の容姿はというと、『ローマ帝国衰亡史』をあらわしたエドワード=ギボン(1737~1794)は、次のように記しています。

 いわく、肌は浅黒く、歯は真珠のように白く、大きな黒い瞳には不思議な輝きが満ちていた、ということで、彼女が再来であると称したクレオパトラ七世にも劣らぬ美貌であったようです。



 258年、ゼノビアはオダエナトゥスのもととつぎます。

 オダエナトゥスにはそれ以前にも妻がいたようですが、この女性の詳細は不明。先妻との間にはヘロディアヌス(?~267)という子がいました。

 オダエナトゥスの妻となったゼノビアは、ウァバッラトゥス(?~273?)という息子をもうけ、また、政治・軍事においても夫をサポートしました。


 オダエナトゥスは、先述の通りウァレリアヌスの敗北によりローマ帝国の威信が地にちた状況下で、一応はローマの忠臣としての立場を演じます。

 具体的には、シャープール一世に対しウァレリアヌスの解放交渉を行ったり――結局上手くいきませんでしたが――、ウァレリアヌスの息子で後継者となったガッリエヌス(213or218~268)への支持を表明したりですね。


 そして、各地に林立りんりつした皇帝僭称せんしょう者たちのうち、中東方面に割拠した者たち――エメサ(現ホムス)のクィエトゥスなど――を攻め滅ぼします。

 これらの軍事活動により、オダエナトゥスはガッリエヌスの信頼を得るのですが、これは純粋に彼に忠誠を尽くしたというより、この機に自らの勢力圏を拡大しようという意図だったと見るべきでしょう。


 最終的に、オダエナトゥスはローマの東方属州の守りを一任される立場にまでなり、「諸王の王」(王の中の王)と称するに至りました。

 しかし、267年末、オダエナトゥスは暗殺者の手に掛かります。

 暗殺の実行犯は、彼の甥にあたるマエオニウス(?~267)という人物だったとも言われていますが、他にも諸説あり、暗殺の状況も含め、はっきりしたことはわかっていません。

 ただ、彼の先妻の子であり後継者の最有力候補だったヘロディアヌスも同時に殺害されたことは確かなようです。


 暗殺者はオダエナトゥス殺害後、皇帝を僭称したともその場ですぐに討ち取られたとも言われていますが、いずれにせよ、あるじを失ったパルミラは混乱におちいります。

 ゼノビアは夫の訃報を聞くや、息子のウァバッラトゥスを後継者に立て、自らも共同統治者となってこの混乱を収めました。

 夫の暗殺者を討ったのはゼノビア自身だったとする説もあります。

 もっとも、例によってと言うべきか、そもそも暗殺の黒幕はゼノビアだった、とする説もあったりするのですが。


 その翌年、268年になると、今度はローマ皇帝ガッリエヌスが暗殺されます。

 ゼノビアはその混乱に乗じ、サーサーン朝の侵略からローマ東部属州を護るためという名目で、周辺各地のローマ属州を制圧、270年10月にはエジプトも手中に収め、「エジプトの女王」を自称します。

「セミラミスの再来」だの「クレオパトラの再来」だのと称したのもこの時期ですね。

 宣伝工作のつもりだったのか、自己顕示欲の暴走だったのか……。


 翌271年には、ゼノビアはアナトリア方面にも軍を進め、ローマの属国だったガラティアも征服します。

 ただ、この時点まではゼノビアは、あくまでもローマ帝国に臣従しその配下として領内の混乱を収める、という建前でした。

 しかし、それでは満足できなくなったのか、同年末には息子ウァバッラトゥスと共に、皇帝を名乗るようになります。

 ここに、アナトリア半島中部からエジプトに至る巨大帝国――パルミラ帝国が成立したのでした。



 一方、若干話は遡りますが、ローマ帝国の状況はというと。

 ガッリエヌス帝は、父ウァレリアヌスの失態により落ちるところまで落ちたローマの威信を挽回しようと、皇帝僭称者の討伐や、侵入を繰り返す蛮族の撃退などに奔走します。

 また、ウァレリアヌスの頃から進められていた文官と武官の分離をさらに推し進め、騎兵隊の編成など軍制改革も行いました。


 しかし、事実上ローマから半独立状態となったパルミラと、同様の状況となった、現在のフランスやブリテン島南部を版図とするガリア帝国については手が回らず、そのことに不満を抱いた勢力のクーデターを招くこととなります。


 268年9月、ガッリエヌスはクラウディウス=ゴティクス(213~270)という人物に弑逆しいぎゃくされます。

 が、代わって皇帝となったクラウディウスもガリアの再征服はかなわず。

 270年初め、侵攻してきたヴァンダル族討伐の陣中において病没します。


 その後の帝位を巡る混乱を経て、ルキウス=ドミティウス=アウレリアヌス(214~275)という人物がローマ皇帝となります。

 彼は貧しい身分の出身でしたが、クラウディウスのもとで騎兵の総司令官にも任じられた、大変に優れた武将でした。


 自ら皇帝を名乗ってローマ帝国に叛旗はんきを翻したゼノビアに対し、アウレリアヌスは降伏を勧告するも、彼女はそれを聞き入れず。アウレリアヌスは本腰を入れて討伐に乗り出します。


 272年、アウレリアヌス率いる軍はアナトリア方面からパルミラ領に侵攻します。

 征服した諸都市に対し、寛大な姿勢を見せたことから、他の都市も雪崩を打って降伏を申し出て、一気に流れはローマ側に傾きます。


 アウレリアヌスは、アンティオキア(現在のトルコ最南端。歴史的にはシリアに属していた)近郊のインマエ、次いでエメサ(現ホムス)で、ゼノビアの腹心であるザブダス(?~273)率いる軍勢と激突します。

 二度の戦いは、どちらも同じような展開で、最初はパルミラ騎兵の勢いに圧倒されて敗走したかに見えたローマ軍が、追撃してきたパルミラ軍を包囲殲滅します。


 ゼノビアの息子ウァバッラトゥスは、エメサの戦いで戦死したとも、捕虜となって後に処刑されたとも言われています。

 ゼノビアがオダエナトゥスに嫁いだのが258年ですから、どんなに多めに見積もっても、この時まだ十代前半。母の野心に巻き込まれて命を落とすこととなった少年には、同情を禁じ得ませんね。


 アナトリア方面の広大な領土と、息子を失ったゼノビアでしたが、パルミラ市に籠城し、ローマ軍に抵抗を続けます。

 はるばる遠征してきて補給が心許こころもとないローマ軍は、ゼノビアのしぶとい抵抗にかなり手を焼いたようです。

 アウレリアヌスは元老院に宛てた書簡の中で、ローマの者たちは女一人に何を手こずっているのかと嘲笑あざわらうだろうが、それはゼノビアという女性を知らないからだ、と愚痴ぐちっています。


 しかし、アウレリアヌスは征服地の諸部族を懐柔し、補給路の構築に成功します。

 それでローマ軍が撤退してくれる目も無くなり、ゼノビアはサーサーン朝ペルシャへの亡命を試みるも、ペルシャ領内に逃げ込む寸前で捕縛されます。

 ゼノビアはどうやら、これまで対立していたサーサーン朝にも根回しをしていたようなのですが、折悪おりあしくこの少し前にシャープール一世が亡くなっており、パルミラに援軍を送るような余裕もなかったのです。


 捕らえられたゼノビアは、反乱の責任を家臣たちに押し付け、みっともなく命乞いをしたと伝えられています。

 まあ、ローマ側の史料に書かれていることですから、実際以上におとしめられていると思いたいところではありますが……。


 かくして、パルミラ帝国の重臣たちが叛徒はんととして軒並み処刑される中、ゼノビアは一人生かされ、ローマに連行されます。

 そして274年、ガリア帝国も降伏させたアウレリアヌスのがいせんしきにおいてローマ市内を引き回された後は、処刑されたとも、邸宅を与えられて穏やかな余生を送ったとも、いやそもそもローマに連行される途中で食を絶って自害したとも、言われています。



 ゼノビアを捕らえ、パルミラ帝国を滅ぼしたアウレリアヌス帝。さきほどさらっと触れましたが、その翌年にはガリア帝国も屈服させ、三分裂の危機にあったローマ帝国を救って、「世界の修復者」との異名をたてまつられます。

 また、悪貨あっか改鋳かいちゅうなど経済改革にも手を付けていたのですが、その苛烈な性格から、多くの人々の恨みを買ってもいました。


 275年、シャープール一世の死でごたついているサーサーン朝に対する遠征の途上、アウレリアヌスは部下に暗殺されて非業の死を遂げます。

 些細なことから叱責した秘書官が処罰を恐れて、アウレリアヌスの部下たちに、あんたらも粛清リストに載っているぞと脅しをかけ、暗殺をそそのかしたのです。


 ローマ皇帝としての在位期間はわずか5年ほど。その間に、パルミラを滅ぼし、ガリアを降してローマ帝国を再統一したアウレリアヌス。本当に、そのためだけに歴史に登場した感がありますね。


 もし、アウレリアヌスがいなければ、パルミラ帝国の足場固め、さらにはローマ帝国の征服、といったゼノビアの野望は成就していたのでしょうか?

 とは言え、腐ってもローマ帝国。人材はまだまだ豊富ですからね。アウレリアヌスがいなくとも、代わってゼノビアの前に立ちはだかる人物は、誰か登場したのではないかという気がします。



 さて、ここからは完全に余談。

 ゼノビアの息子ウァバッラトゥスには、息子、つまりゼノビアの孫がいたという説があります。

 彼の死亡時の年齢を考えると、いささか眉唾まゆつばではありますが。

 そして、その子の孫の孫のさらに孫にあたる人物にテオドラという女性がいて、これが東ローマ帝国皇帝ユスティニアヌス一世の皇妃テオドラ(500頃~548)だというのです。


 しかし、このテオドラ皇妃、サーカスの熊使いの子として生まれ、自身は踊り子(もちろんこの時代のこと、)をやっていたところをユスティニアヌス一世に見初みそめられ、皇妃にまで登り詰めたという、いわくつきの女性です。

 この熊使いの妻がゼノビアの血を引いていたというのですが……ホントかな?


 ユスティニアヌス一世は、元農民の子から東ローマ帝国皇帝に成り上がった人物で、かつてのローマ帝国の栄光を取り戻そうと富国強兵に奔走する一方、貴賤きせん結婚を禁じていた法律を改めてまで、テオドラを妃にえます。


 彼の強引なやり方は、当然多くの人々の反発を買い、ついには反乱を起こされるのですが、この時、叛徒はんとの勢いに圧倒され逃亡を図ろうとした夫に対し、テオドラは、「帝衣ていいは最高の装束しょうぞく」という名言でもって発破はっぱをかけます。平民として生きるよりも皇帝として死ね、というわけです。

 それで開き直ったユスティニアヌスは、反乱を起こした市民3万人あまりを虐殺し、乱を平定したのでした。

 まあ確かに、ゼノビアの末裔だと言われれば納得ですね(汗)。


 ちなみに、ユスティニアヌス一世がその剛腕でもって築き上げた東ローマ帝国の栄光は、彼の死後、その強引さがたたってたちまち瓦解。帝国は緩やかに、しかし着実に、衰退へと向かっていくこととなったのでした。



 以上、セミラミスの再来を名乗ったゼノビアについてご紹介しましたが、で、結局「セミラミス」て誰やねん、とおっしゃる方も少なくないかと思います。

 なので、次回はいよいよ、古代バビロンの伝説の女王セミラミスと、そのモデルとされるアッシリアの王妃サンムラマートについて取り上げます。乞うご期待!

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