第29話 マルグレーテ一世(デンマーク,ノルウェー,スウェーデン:在位1387.8.10~1412.10. 28)

 本エッセイのトップバッターを務めていただいたのは、現在世界で唯一の女性君主であるデンマークのマルグレーテ二世陛下でした。

「二世」ということは、当然「一世」も存在したわけで。

 それが、今回ご紹介するマルグレーテ一世。デンマークからノルウェーに嫁ぎ、両国の権力を掌握。さらにはスウェーデンの実権も握り、三ヶ国の実質的君主として君臨した女性です。

 人呼んで「北欧のセミラミス」。「ロシアのセミラミスエカチェリーナ二世」に続いて、伝説の女王セミラミスシリーズ第二弾です。


 このお方、実は正式にはどこの国の王位にもいてはおらず、本エッセイへのエントリー資格としてはちょっと微妙なのですが、実質的には女王扱いをされていますので、良しとしましょう。

 ちなみに、タイトルで「在位期間」としているのは、正確にはデンマークの摂政としての在任期間です。



 デンマークってどこだっけ? という話は二世のところでしましたので、ここでは同国の歴史について簡単に触れておきます。


「デンマーク」とは、「デーン人の土地」という意味。北方系ゲルマン人(ノルマン人)の一派であるデーン人が築いた国です。

 デーン人と言えばヴァイキングとして知られていますね。実際には略奪ばかりしていたわけではなく、交易の方がメインだったとも言われていますが、11世紀にはクヌート大王(990頃~1035)がイングランドに侵攻、デンマーク、ノルウェーなどにまたがる北海帝国を築き上げます。漫画・アニメの『ヴィンランドサガ』の舞台となった時代ですね。


 しかし、クヌート大王の血統はその息子の代で途絶え、激しい王位争奪戦が続いた末に、1157年、ヴァルデマー一世(1131~1182)が王位にき、バルト海方面に進出します。

 しかし、その子ヴァルデマー二世(1170~1241)の時代には、ドイツの勢力と対立し、王とその世子せいしが誘拐されるといった事件もあって、領土の大部分を失うこととなります。


 その後、王位を巡る混乱で8年間ほど空位となった時期なども経て、ヴァルデマー四世(1320~1375)が即位。デンマークの再建を図ります。

 このヴァルデマー四世と、王妃ヘルヴィ(1320頃~1374)との間の娘として1353年に生まれたのが、本項の主人公・マルグレーテ一世です。



 マルグレーテは、1363年、弱冠じゃっかん10歳にしてノルウェー王ホーコン六世(1340~1380)のもとに嫁ぎます。

 後に自分が北欧三ヶ国の盟主となるなどという未来は、もちろん幼い少女は想像もしていなかったことでしょう。


 13歳年上の夫は、政務で忙しく幼い妻にあまりかまってやることはできませんでした。

 幼い王妃マルグレーテの教育係となったのは、マルタ=ウルフスドッター(1319頃~1371)という女性。

 彼女は今日こんにちでもなおスウェーデンで尊敬を集めている聖ビルギッタ(1303~1373)という女性の娘で、マルグレーテは生涯この母娘おやこへの敬愛を忘れることはありませんでした。


 マルタから、マルグレーテはキリスト教(カトリック)の教えと、さらには政治についても学んで育ちます。

 その一方で、17歳の時には一人息子のオーロフ(1370~1387)が誕生しました。



 さて、マルグレーテの父ヴァルデマー四世が治めるデンマークは、この当時、バルト海沿岸地域の経済的覇権をかけて、ハンザ同盟と争っていました。


「ハンザ同盟」――名前は聞いたことあるけどどういうものだったのかはよく知らない歴史用語のトップランカーですね(断言)。

 どんなものだったのか、思い切り簡単に説明しますと、「ハンザ」とは昔のドイツ語で「団体」の意味。商人たちの組合組織、いわゆる商人ギルドです。


 そして商人ギルド――「商人ハンザ」からスタートしたこの組織は、14世紀中頃には、商業都市の連合体――「都市ハンザ」へと発展していきます。

 ドイツの都市リューベックを盟主とし、ドイツ北部一帯から、バルト海沿岸にかけての諸都市の経済的な結びつき。それがハンザ同盟です。


 ただし、「同盟」と言っても、政治的に統一された意思を持っていたわけではなく、また同盟全体としての軍事力を持っていたわけでもないのでご注意を。

 あくまでも、経済的利害を基盤とした比較的緩やかな結びつきです。


 デンマークとハンザとの争いの発端は、ヴァルデマーがスウェーデン南部のスカニア(スコーネ)やゴットランドを占領したこと。ゴットランドにはハンザのメンバーであるヴィスビューも含まれており、両者の戦争に発展します。


 当初は、デンマーク艦隊がハンザ諸都市連合の艦隊を打ち破るなど、デンマーク優位だったのですが、そこからハンザの反撃が始まり、最終的にはヴァルデマーとホーコン六世が敗北。1370年のシュトラルズントの和議で、デンマークは、ヴィスビューの解放、スカニアの租借、バルト海におけるハンザ同盟の自由などを受け入れさせられ、さらには、デンマーク王位継承についてのハンザの拒否権まで認めさせられます。


 何故、ハンザがデンマーク王位にまで口を挟もうとしたかと言いますと。


 マルグレーテの夫ホーコン六世は、スウェーデンおよびノルウェーの王だったマグヌス=エリクソン(マグヌス四世:1316~1374)の次男で、ちょうどマルグレーテと結婚した時期、1362年から1364年にかけては、スウェーデンも父王と共同統治していました。


 しかし、1364年に父マグヌスが追放されると、ホーコンがスウェーデン王となることを嫌がったスウェーデン貴族たちは、ドイツ・メクレンブルク=シュヴェリーン公国のアルブレヒト三世(1338~1412)をスウェーデン王に擁立します。スウェーデン王としての名はアルブレクト。以後、そちらの名で呼ぶことにします。


 このアルブレクトの出身国であるメクレンブルクは、ハンザと結びついており、アルブレクトの兄であるメクレンブルク公ハインリヒ三世(1337頃~1383)の妻は、ヴァルデマー四世の娘(つまりマルグレーテの姉)・インゲボー(1347~1370)。その子であるアルブレヒト四世(1363以前~1388)をデンマーク王に就(つ)けようという腹づもりだったのです。



 1375年、ヴァルデマー四世が亡くなると、ハンザ同盟は当初の思惑通り、アルブレヒト四世の擁立に動きます。

 しかしマルグレーテは、一枚岩ではないハンザに対し、メクレンブルクにスウェーデンのみならずデンマークまで与えてしまい、バルト海を牛耳ぎゅうじらせることになってもいいのかとくさびを打ち込みます。

 そしてその一方で、デンマーク王国参事会を味方につけて、息子オーロフにデンマーク王位を継がせることに成功します。


 その後、1380年にはマルグレーテの夫であるホーコン六世が亡くなり、マルグレーテはオーロフにノルウェーの王冠もかぶらせます。

 そして彼女は、デンマーク王オーロフ二世・ノルウェー王オーラヴ四世の摂政として、両国の実質的な君主として君臨することとなります。


 、スカニアの近海に多数の海賊が出没するようになりました。海賊たちに、ハンザは大いに悩まされます。

 彼らがマルグレーテに、海賊をどうにかしてくれと頼み込むと、彼女は、それはさぞお困りでしょう、バルト海の治安維持には我がデンマークが責任を負いますと快く請け負い、デンマーク海軍を出動させます。

 すると、、ハンザは再び安心して商業活動を行えるようになったのでした。めでたしめでたし。


 ――と、白々しい書き方をしましたが、裏で糸を引いていたのは言うまでもなくマルグレーテ。いわゆる私掠船しりゃくせん戦術というやつですね。

 エリザベス一世がスペイン相手に用いたことで有名なこの私掠船しりゃくせん戦術、時代的にはマルグレーテの方が先輩ということになります。


 もちろん、ハンザの側でも、マルグレーテが黒幕であることは重々承知していたものの、決定的な尻尾を掴むことはできず、ハンザが突き付けた損害賠償請求に対しても、マルグレーテはしらを切り通します。

 結局ハンザは、マルグレーテを敵に回すとバルト海での商業活動が困難になる、という現実を見せつけられるだけに終わったのでした。


 そしてそのような状況を背景に、かつてシュトラルズントの和議でハンザが得た権利の期間更新交渉においても、マルグレーテは強気に出ます。

 当然のように更新を求めるハンザに対し、彼女はこう言い放ちます。


「王が死んだ今、特権も死んだ」


 亡き父ヴァルデマーと結んだ約束なんて、私の息子には関係ありませんよ、というわけですね。


 ハンザは当然腹を立てましたが、なにせ彼らは商人です。ここでマルグレーテに妥協した場合の得失と、徹底的に争った場合の得失とを天秤にかけ、後者になしと見るや、渋々ではあったでしょうがマルグレーテの言い分を飲んだのでした。



 こうして着実に存在感を増していったマルグレーテに、新たな悲しみと危機が襲い掛かります。

 1387年8月3日、彼女の愛息あいそくであり政治権力の基盤でもあった一人息子オーロフが、17歳で亡くなってしまったのです。


 この当時、北欧諸国は女性の王位継承を認めていませんでした。この時点で最も有力な王位継承権者は、マルグレーテの姉の息子であるメクレンブルク公アルブレヒト四世。

 しかし、マルグレーテはまたしてもデンマーク王国参事会の支持のもと、正式な女王でこそないものの、次期国王の選出権も有する事実上の最高権力者として承認されます。


 これに対し、強く異議を唱えたのが、メクレンブルク出身のスウェーデン王アルブレクト。

 彼としては、メクレンブルクのものになるはずだったデンマーク・ノルウェーを、なおもマルグレーテが支配し続け、それどころか自身のスウェーデン王の地位すら脅かされたことで、危機感を覚えていたのです。

 もっとも、彼のスウェーデン支配が揺らいでいたのは、ドイツの流儀を貫き通そうとしてスウェーデン貴族たちの反発を買った彼自身のせいでもあるのですけどね。


 結局のところ、デンマークの貴族たちが慣例を破ってまでもマルグレーテを支持したのは、これまで自分たちの権益を守ってくれてきた彼女と、ハンザの利益代弁者である(少なくともそう受け取られていた)メクレンブルクと、両者を天秤にかけて前者を選んだということなのでしょう。

 そりゃそうなるわな。


 マルグレーテとアルブレクトは、1389年2月24日、スウェーデン南部のオースレで戦い、その結果アルブレクトは敗れて捕虜となります。

 そしてアルブレクトはスウェーデン王位を奪われた上で6年間に渡り投獄の憂き目を見ることとなったのでした。


 1395年にハンザの仲介で釈放された後も、アルブレクトはスウェーデン王位請求権を放棄せず、フィタリエンブリューダー(「食糧兄弟団」の意)という妙に格好いい名前の海賊集団を雇い入れて、マルグレーテに抵抗し続けます。

 しかし、大局を覆すことは叶わず。メクレンブルク公国に戻り、1412年4月1日にこの世を去ったのでした。



 アルブレクトをくだしたマルグレーテは、姉インゲボーの娘の子・ボギスラフ(1382~1459)を養子に迎えて「エーリク」と名を改めさせ、1389年9月8日、ノルウェーの王冠をかぶらせます。

 もちろん、摂政の立場で実際に政治を行うのはマルグレーテであることは、言うまでもないでしょう。


 実はこのエーリク、メクレンブルクの血も引いている(彼の母方の祖父はアルブレクトの兄・ハインリヒ三世)のですが。当主のアルブレヒト三世すなわちアルブレクトは獄中ですし、影響力の及ぼしようもなかったでしょう。


 あるいは、マルグレーテとしては、他に候補者がいないという事情もあったにせよ、一応はメクレンブルクの顔を立ててやったつもりだったのかも知れません。


 マルグレーテは、1396年にはエーリクをスウェーデン王およびデンマーク王にもけ、三ヶ国の実質的統治者となります。

 翌1397年には、スウェーデン南部の都市カルマルにおいて、「カルマル同盟」を結成。

 ここに、デンマーク・ノルウェー・スウェーデンによる、名目上は対等な、しかし実際にはデンマーク優位な同君連合が成立しました。


 かくして、バルト海・北海をやくする巨大帝国が誕生したのです。


 ただ、スウェーデンでは早い時期から独立の機運がくすぶり続け、デンマークによる激しい弾圧(ストックホルムの血浴:1520年)の末に、グスタフ=ヴァーサ(1496~1560)が独立してグスタフ一世となり、ヴァーサ朝を開きます。

 クリスティーナの曾祖父ひいじいさんにあたる人ですね。


 その後も、デンマークとノルウェーの同君連合は(前者が主、後者が従の状態ではありますが)長く続き、1814年のキール条約によってノルウェーが独立し、ようやく終わりを迎えることとなります。


 マルグレーテは、エーリクにイングランド王ヘンリー四世(1366~1413)の王女フィリッパ(1394~1430)をめとらせ、あわよくばブリテン島にも手を伸ばそうと目論んだようですが、さすがにこれは、エーリク夫妻が子供に恵まれなかったこともあって、上手くいきませんでした。


 1412年10月28日、マルグレーテは3年前に占領し、一度奪われるも再び取り戻したドイツ最北端の都市・フレンスブルクにおいて、船の上で急死を遂げます。

 死因はペスト――当時ヨーロッパを席巻せっけんし、人々を恐怖のどん底に叩き込んだ死の病であったといわれています。


 アルブレクトの死がこの半年前ですから、彼は草葉の陰で、もう少し長生きしていればと歯噛はがみしたかもしれません。

 もっとも、彼の年齢も年齢でしたし、マルグレーテが亡くなった時点で生きていたとしても、逆転は難しかったでしょうけどね。



 デンマークの王女から、幼くしてノルウェー王妃となった少女は、かくして北海帝国のあるじにまでおおせたのでした。

 しかし、その道のりは、父や夫、そして息子との相次ぐ死別と、それに伴う危機の連続であり、それらを乗り越えた果てに掴んだ栄冠だったのです。

 あるいは、マルグレーテが真に望んだものは、巨大帝国の玉座よりも、家族との穏やかな日々であったのかもしれません。



 ――と、長々と語ってまいりましたが、マルグレーテについては私が何千字も費やすより、零(@zero_hisui)様のツイッター漫画をお読みいただく方がはるかにわかりやすかったりするんですけどね(笑)。

(ttps://twitter.com/zero_hisui/status/1551037833829183488)



 さて次回は、自らセミラミスの再来と称した古代パルミラ王国の女王・ゼノピアの登場です。セミラミスシリーズはまだまだ終わらない(笑)。乞うご期待!

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