第19話 メアリー一世(イングランド:在位1553.7.19~1558.11.17)

 英国史で「メアリー」と言えば、スコットランド女王のメアリー=ステュアートが有名ですが、こちらはイングランドの女王で、かのエリザベス一世の異母姉いぼし。「血塗れブラッディメアリー」の異名で知られているお方です。


 プロテスタントに対する過酷な弾圧でブラッディメアリーと呼ばれた「暴君」――ということで、前回の暴君詰め合わせに突っ込もうかとも思ったのですが、調べているうちに色々思うところもあって、独立させることにしました。


 メアリーの父親は、テューダー朝第二代国王・ヘンリー八世(1491~1547)。何度も結婚と離婚を繰り返し、離婚を認めてくれないローマ教会に対抗してイングランド国教会を独立させたことで知られる暴君です。

 いえ、決して無能だったわけではなく、高い教養も持ち合わせていたのですが、いささか感情の制御がかない一面があるという、ある意味一番たちが悪いやつですね。


 彼の結婚遍歴と、それが英国のプロテスタント化の原因となったということについては、有名ですのでご存じの方も少なくないとは思いますが、かいつまんで見ていくことにしましょう。


 ヘンリー八世の最初の妻は、スペイン王女・キャサリン=オブ=アラゴン(1487~1536)。フェルナンド二世とイサベル一世、いわゆる「カトリック両王」の末子です。

 彼女は当初、ヘンリーの兄でプリンス・オブ・ウェールズだったアーサー(1486~1502)と結婚するのですが、結婚後間もなく、アーサーはインフルエンザにかか夭折ようせつ。弟のヘンリーと再婚することをなります。


 本来、キリスト教(およびユダヤ教)の教義にのっとれば、兄の未亡人との結婚は認められないのですが、様々な思惑の果てに、アーサーの死の8年後の1509年、ヘンリーとキャサリンは結婚します。


 しかし残念ながら、キャサリンは流産・死産を繰り返し、ようやく生まれた子も幼くして亡くなるということが続き、1516年に生まれた女児が、唯一無事に成長します。

 これが、本稿の主人公・メアリー一世ことメアリー=テューダーです。


 ヘンリーはようやく生まれた娘を可愛がりはするものの、やはり正嫡せいちゃくの男児を望む気持ちは強く、キャサリンが男児を産む可能性は無いと見切りをつけると、彼女を離縁して新しい妻をめとろうとします。


 そこで登場するのが、アン=ブーリン(1501?~1536)。イングランド貴族の娘で、キャサリンに侍女として仕え、その夫ヘンリーの愛人でもありました。


 彼女を正式な妻とするには、キャサリンを離縁する必要があったのですが、当時のキリスト教では離婚は認められません。

 そこで、そもそもキャサリンは兄の妻だったので結婚は無効だった、という論法を持ち出します。

 そのことは百も承知で結婚しておきながら、身勝手極まりないのですけどね。


 が、ローマ教会は、ヘンリーとキャサリンの結婚を正式に認めていたこと、キャサリンの甥にあたる神聖ローマ皇帝・カール五世(スペイン王カルロス一世:1500~1558)が反対したことなどから、婚姻無効を認めようとはしません。


 ヘンリーはこれに激怒。ローマ教会カトリックと縁を切ってイングランド国教会プロテスタントを立ち上げ、1533年5月、強引にアンと結婚します。

 そして、これに異を唱えた重臣のトマス=モア(1478~1535)に反逆罪をおっかぶせて処刑。カトリック修道院の廃止に反対した修道士たちも多数処刑します。


 アンは1533年9月に女児を出産。計算が合いませんが気にしてはいけません。

 この女児こそ、後のエリザベス一世ことエリザベス=テューダー(1533~1603)です。

 またしても女児だったことに落胆しつつも、ヘンリーはこの娘に王位継承権を与えます。


 一方、メアリーは母が離縁されたことにより王位継承権を喪失したのですが、アンは彼女に対し、エリザベスへの臣従を要求。メアリーが「妹としては認めるが、王女としては認めない」と拒絶すると、強引に娘の侍女にしてしまいます。

 この女性ひとも中々をしてるんですよね。

 贅沢も大好きだったようですし。


 こうしてアンと結婚し子供も生まれたヘンリーでしたが、今度はアンの侍女だったジェーン=シーモア(1508頃~1537)に心変わりし、アンへの愛情は冷めていきます。

 本当にクソ野郎ですね。


 キャサリンは1536年1月に幽閉先で亡くなります。

 ヘンリーとアンはその知らせを聞いて、黄色い服を身にまとい宴を開いたと伝えられています。

 当時の英国では黄色は喜びの色とされており、だとしたらクソにも程がありますね。

 ただ、黄色はスペインを表す色であり、キャサリンに弔意を示したのだという解釈もあるようですが……、宴を開いちゃ駄目でしょ。


 そんなわけで、次第に夫の愛も周囲の人望も失っていったアンは、同年5月、国王暗殺未遂と不義密通の嫌疑を掛けられ、斬首されます。

 まあ九割方冤罪だったのでしょうが、半分気の毒、半分自業自得といったところでしょうか。


 そしてジェーン=シーモアがヘンリーの三人目の妻となります。

 この女性とメアリーの関係は比較的良好だったようで、ヘンリーに対し、メアリーとの和解を提案します。

 そこでヘンリーが持ち出してきた条件が、自分がイングランド国教会の長であることと、両親の結婚が無効であったことを認めること。

 メアリーとしては受け入れがたい条件であり、最初は拒絶しますが、周囲の説得もあって渋々受け入れます。


 ジェーンは1537年10月に、後にエドワード六世(1537~1553)となる男児を出産するも、その後まもなく死去。メアリーはこの子の洗礼の際の代母だいぼを務めます。

 しかし、ヘンリーのメアリーに対する扱いは、エリザベス共々庶子しょし扱いのままでした。


 メアリーが王位継承権を回復するのは、ヘンリーの六人目の、そして最後の妻となったキャサリン=パー(1512~1548)のおかげでした。

 彼女は王太子であるエドワードだけでなく、メアリー、そしてエリザベスも我が子のように慈しみ、ヘンリーに対し、彼女たちを嫡子ちゃくしとして扱うよう嘆願します。

 健康を害して死期を悟り、また嫡子エドワードが病弱であることの懸念から、ヘンリーは娘たちの王位継承権を認めます。


 ヘンリーは1547年に死去。当時わずか9歳のエドワードが新国王となります。

 エドワードは異母姉メアリーに対し、プロテスタントに改宗するよう促しますが、母の影響で敬虔なカトリックとなっていたメアリーはこれを拒否。宮廷にもあまり近づかないようにします。


 しかしその結果、病弱だったエドワードが回復不能になると、後継者に指名したのは異母姉メアリーではなく、ヘンリー八世の妹の孫、エドワードたちにとっては従姉の子に当たるジェーン=グレイ(1537~1554)でした。

 これは、この直前にジェーンを息子と結婚させたノーサンバランド公ジョン=ダドリー(1502~1553)という野心家の画策によるものです。


 エドワードが1553年7月6日に15歳で亡くなると、ノーサンバランド公および枢密院はジェーンを擁立。ここに、イングランド史上初の女王が誕生します。

 ノーサンバランド公はメアリーを捕縛しようとしますが、メアリーは間一髪で逃れ、イングランド東部ノーフォーク州ノリッジで即位を宣言します。


 するとメアリーのもとに多くの支持者が集まり、討伐におもむいたノーサンバランド公の軍勢を返り討ちにします。

 それを見て枢密院も手のひらを返し、メアリーはロンドンに帰還して改めて即位を宣言。

 ノーサンバランド公は、彼の息子でジェーンの夫のギルフォード、そしてジェーン共々捕縛されます。

 ジェーン女王の治世は、わずか9日間で終わりを告げることとなりました。


 メアリーは、ノーサンバランド公やギルフォードはともかく、ジェーンの処刑は最後まで躊躇ためらっていたようなのですが、母の実家であるスペインから、ジェーンを処刑しないと当時話が進められていたフェリペ王子(フェリペ二世:1527~1598)との婚約を白紙にするとの横槍が入り、やむなく彼女の処刑を決断します。


 ジェーンは、カトリックに改宗すれば命は助けてやるとのメアリーの誘いにも首を振り、従容しょうようとして断頭台に立ちます。

 偶々たまたま王家の血を引いていただけの少女は、周囲の思惑に翻弄された末に、16歳の生涯を閉じたのでした。


 さて、こうしてイングランド史上二人目の女王の座にいたメアリーは、父ヘンリー八世の宗教改革をくつがえし、それに反対するプロテスタント信者を弾圧、女子供も含め300人あまりも処刑します。

血塗れブラッディメアリー」とあだ名される所以ゆえんです。


 そして、スペインのフェリペ王子を夫に迎えるのですが、これに対しては、スペインに併呑されるのではないかとの懸念から、多くの反対の声が上がります。

 しかし、メアリーは周囲の反対を押し切って結婚。


 しかしながらこの結婚は、フェリペがスペイン王位を継ぐために本国に帰国し、ロンドンにはごく短期間しか滞在しなかったこと、そしてメアリー自身が健康を害したことから、子供を産むこともできず、ただ周囲の反感を買っただけに終わったのでした。


 メアリーは卵巣腫瘍を患い、1558年11月17日にその生涯を閉じます。

 母から王妃の座を奪ったアンの娘エリザベスを後継者と認めることに抵抗し続けた彼女も、他に後継者候補がいないことから、最後の最後になって渋々これを認め、かくしてエリザベス一世の時代が幕を開けることとなったのでした。



 メアリーに対する歴史的な評価は、多くのプロテスタント信者を虐殺した暴君、宗教改革の波を押し戻そうとした暗君、といったところかと思われます。

 しかし、宗教弾圧ならそれこそ母方の祖父母であるカトリック両王はもっともっと派手にやらかしていますし、後継者たるエリザベスも、逆にカトリック信者に対する弾圧はやっているわけで。

 それに、イングランドが本格的にプロテスタント化するのはエリザベスの統治下のことで、メアリーの治世が続いていれば、あっさりとカトリックに戻っていたのではないかとの指摘もあります。


 もちろん宗教弾圧は今日的価値観に照らせば正当化はできないのですが、クズな父親と、母方の実家スペインの思惑に翻弄されながらも、自らの信念を貫き通そうとした生涯であったとは言えるでしょう。



 というわけで、次回はもちろんこの人。エリザベス一世の登場です。乞うご期待!



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『転生したらジェーン=グレイだった件~何としても断頭台を回避します~』、誰か書いてくれませんかね(´·ω·`) ?

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