第13話 クレオパトラ七世(エジプト・プトレマイオス朝:在位BC51~BC30)
エジプトと言えばやはりこの人、クレオパトラ七世。プトレマイオス朝で「クレオパトラ」の名を冠した女王としては七人目、もしくは六人目(五世と六世には同一人物説があるため)で、普通「クレオパトラ」と言えばこの人を指します。
世界三大美女の一人などと言われ、カエサル(BC100頃~BC44)やアントニウス(BC83~BC30)とのラブロマンスで知られていますね。
ただ正直言って、私自身は彼女のことについてそれほど詳しいわけではなく、そもそもローマ史も苦手(名前が覚えられないのですorz)なのですが……。頑張ってまとめてみました。なので、「今回の内容ちょっと浅くね?」とか言わないでください。泣きます。
さて、クレオパトラについて語るにあたって、まずはプトレマイオス朝のことから説明したほうが良いでしょう。
この王朝は、かのアレクサンドロス(アレキサンダー)大王(BC356~BC323)の死後、彼の家臣で後継者の一人となったプトレマイオス一世(BC367~BC282)が建てたアレクサンドリアに首都を置く国です。
なので、支配層はギリシア・マケドニア系です。
したがって、よくあるクレオパトラ像、褐色肌に黒髪おかっぱ、というのは正しいとは言えず、美女として描くならギリシア風美女、ということになります。
もっとも、プトレマイオス朝は古代エジプトの文化を尊重する方針を
特にクレオパトラは、エジプト人との融和を推し進め、エジプト語を習得してもいたと言われています。
なので、エジプト風の美女に描かれても、あの世のクレオパトラは別に嫌な顔はしないかもしれません。
というか、同時代の肖像画にも、おかっぱ頭に描かれたものも残っているようです。
また、クレオパトラの美貌については、同時代の評価はそれほどでもなかった、といった説もあります。しかし、カエサルやアントニウスを夢中にさせた魅力の持ち主であったことは間違いないので、ここは素直に美人だったということにしておきましょう。
といったところで、そろそろクレオパトラ本人について掘り下げていくことにいたします。
彼女が生まれたのは紀元前69年で、父親はプトレマイオス十二世(BC117~BC51)。母親については記録が失われていてはっきりしたことはわからず、クレオパトラ五世説、六世説、氏名不明の女性説などの諸説があるようです。
当時のエジプト・プトレマイオス朝はローマ帝国の影響下に置かれており、ファラオの即位に関してもその承認が必要とされていました。
プトレマイオス十二世は先代ファラオ・プトレマイオス十一世の直系ではなかったため、承認を得るために多額の献金を必要とし、それを増税でまかなおうとしたせいで、紀元前58年、反乱が勃発します。
その結果、十二世は退位してローマに亡命することとなりました。
この時、クレオパトラも共にローマに渡ったという説もあるようですが、はっきりしたことはわかりません。
残されたエジプトは十二世の妻であるクレオパトラ五世と、次女のベレニケ四世(BC77~BC55)が共同統治していましたが、翌57年にはクレオパトラ五世と、長女の六世が相次いで亡くなった(同一人物説もあります)とみられ、ベレニケに暗殺されたとの説が有力です。
このベレニケ嬢、贅沢を好み被支配層を見下していたと言われており、セレウコス朝(プトレマイオス朝と同様に、アレクサンドロスの後継者の一人が建てた国家)の元君主とされるセレウコス七世(?~BC58)と結婚するのですが……。間もなくこれも暗殺、アルケラオス(?~BC55)という素性のよくわからない人物と再婚します。
しかし、やりたい放題なベレニケの治世は長くは続かず、紀元前55年、ローマの支援を得て帰還した父に敗れ、夫のアルケラオスは戦死、自身は捕らえられて処刑されます。
それにしてもこのベレニケ嬢、破滅型のキャラクターとしては中々魅力的ですね(笑)。まあ、敗者の
かくして、次女を討って復位したプトレマイオス十二世でしたが、クレオパトラが18歳の時――紀元前51年に亡くなり、彼女がファラオ位に
しかしこの異母弟、姉との共同統治に不満を抱いて、紀元前48年頃にはクレオパトラをシリア方面に追放してしまいます。美人のお
さて、この頃ローマでは、有力者三人の合議による「
しかし、クラッススが亡くなったことにより残り二人の対立が顕在化。ポンペイウスと結んだ
その時のカエサルのセリフが、かの有名な「
結局、カエサルとポンペイウスの軍事衝突は前者が勝利を収め、中東方面へ逃亡したポンペイウスを追ってカエサルもアレクサンドリアを訪れます。そして、シリアに追放されていたクレオパトラを召還し、二人は出逢うこととなります。
この時、クレオパトラが自ら
「プレゼントはア・タ・シ♡」というのは全男子の憧れですが(断言)、政治軍事に卓越した才を示す五十過ぎのおっさんも、やはりこれには勝てませんでした。
まあ実際のところ、そのようなことをやってのけるクレオパトラの度胸と行動力が、カエサルを魅了したということなのでしょう。
一方、
もちろんこれは、嫉妬というよりも両者が結びついたことに対する恐怖によるものでしょう。
カエサルは、ローマに敵対的なプトレマイオス十三世を攻め滅ぼし、これまたクレオパトラと対立していた妹のアルシノエ四世(BC68または67~BC41)も捕らえて幽閉します。
それにしても、この一族の骨肉の愛憎劇はドロドロすぎて胸焼けがしてきますね。
ファラオ位に復帰したクレオパトラは、もう一人の弟・プトレマイオス十四世(BC60頃~BC44)と結婚して共同統治の形を取ります。
と言っても、実質的にはカエサルの愛人のままであり、その後ろ盾を得た彼女の単独統治でした。
そして、クレオパトラはカエサルとの子・カエサリオン――後のプトレマイオス十五世(BC47~BC30)を産みます。
カエサルは紀元前46年7月にローマに凱旋。クレオパトラも「夫」や息子と共にカエサルの別荘に滞在し、浮き名を流しました。
翌47年にはカエサルは独裁官任期を10年延長され、さらに44年2月には永久独裁官となるのですが……。同年3月15日、ブルトゥス(BC85~BC42)らによって暗殺されます。「ブルータス、お前もか」というやつですね。
クレオパトラとしては当然カエサリオンをカエサルの後継者とすることを望んでおり、もう少し時間があれば実現していた可能性もあったのかもしれませんが、この時点ではカエサルは妹の孫であるオクタウィアヌス(アウグストゥス:BC63~AD14)を後継者に指名していました。
カエサル暗殺の後、クレオパトラはエジプトに帰国。程なくしてプトレマイオス十四世が亡くなりますが、カエサリオンをファラオ位に
その後ローマでは、カエサルの正式な後継者オクタウィアヌスと、カエサル配下の有力者だったアントニウスおよびレピドゥス(BC89頃~BC13)による第二回三頭政治が行われるようなりました。非公式だった前回と違い、今回は公式に制度化されたものです。
そして彼らはカエサル暗殺の首謀者であるブルトゥスらと対立。紀元前42年には両者の間でフィリッピの戦いが起きるのですが、この時クレオパトラは、
カエサリオンを後継者に指名してくれなかったことで含むところがあったのか? それとも、愛人の仇であろうと勝ち馬に乗ることを優先したのか(結果は見込み違いでしたが)?
ここの解釈について詳しくご存じの方がいらっしゃいましたら、是非ご教示くださいm(_ _)m
フィリッピの戦いの結果は、先ほど見込み違いと書いた通り、三頭政治側の勝利。
三頭政治の一角アントニウスはクレオパトラに出頭を命じるのですが、彼の元に出向いたクレオパトラは、ものの見事に彼を篭絡してしまいます。恐るべし。
アントニウスの妻・オクタウィアはオクタウィアヌスの姉でしたが、彼はこれを離縁し、クレオパトラと結婚します。
そして二人の間には三人の子が生まれます。
姉を離縁されたオクタウィアヌスは当然激怒し、両者の対立が深まります。
そして両者は紀元前31年、アクティウムの海戦で激突するのですが……。この戦いはクレオパトラが何故か突然戦線離脱し、アントニウスもその後を追ったため、オクタウィアヌスの圧勝に終わったとされています。
しかし、何故クレオパトラはそんなことをしたのか? そもそも、エジプトの圧倒的経済力をバックに、有利な立場を占めていたはずのアントニウス・クレオパトラ同盟が何故なすすべもなく敗れたのか? まったくよくわからない戦いですね。
ここで彼らが勝利していれば、カエサリオン、もしくはアントニウスの子を王とする、ローマとエジプトに
エジプトに帰国したクレオパトラは、オクタウィアヌスとの外交交渉を試みるも上手くいかず、再戦を期したアントニウスも敗北。アントニウスはクレオパトラが死亡したとの誤報を信じてしまい、自害して果てます。
クレオパトラはオクタウィアヌスの捕虜となり、自害せぬよう監視されるも、彼に屈することを拒んで自害に成功します。一般には毒蛇に噛ませて自殺したと言われていますね。
紀元前30年8月29日没。近親者の血に
彼女は遺言でアントニウスと共に葬られることを望み、オクタウィアヌスはそれを受け入れたようです。意外と良い奴ですね。
まあ、オクタウィア視点で言えば、「異国の美女王に夫を寝取られ離縁されましたが、弟がざまぁしてくれました」という話になるのですが。
ちなみに、プトレマイオス十五世ことカエサリオンは、カエサルの後継者の資格が災いしてオクタウィアヌスに殺害されますが、アントニウスとの間の三人の子はオクタウィアが引き取って養育しました。太っ腹。
さて次回、エジプト三連発のトリを飾るのは、拙作『フリードリヒ二世の手紙』にも登場したあのお方。奴隷の身からスルタン妃へ、そしてマムルーク朝の初代スルタンの座に
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