第12話 ハトシェプスト(エジプト第十八王朝:BC1479頃~BC1458頃)

主要人物名の後の生没年記載については、今回はハトシェプスト本人も含めほとんどの人物について生没年不詳のため、原則として省略します。

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 今回ご紹介するのは、古代エジプト唯一の女性ファラオ、第十八王朝のハトシェプストです。

 いや、本当に古代エジプト史は底無し沼みたいなもので、足の爪先つまさきをちょこっとつけた程度の私が語るのはおこがましい限りなのですが。ほならね、あんた古今東西の女王様について語ってみろや、ていう話ですわ(開き直り)。


 ちなみに、「ファラオ位にいたとされる」女性は他にも何人かいるようなのですが、ファラオであったことが確実視されているのは彼女だけ、ということのようです。


 このハトシェプストさん、山岸やまぎし凉子りょうこ先生の『ハトシェプスト』や犬童いぬどう千絵ちえ先生の『碧いホルスの瞳 -男装の女王の物語-』などの作品で取り上げられたりもしていますので、色々ご存じの方もいらっしゃることと思います。


 ただ、これらの作品で描かれているハトシェプスト像とは異なる解釈も存在するようですので、そのあたりも含めて、語っていくことにいたしましょう。両作品のネタバレは避けるつもりですが(私自身、Wikiであらすじを読んだだけです)、気になる方はご注意を。



 ではそろそろ本題に入ります。

 ハトシェプストは古代エジプト第十八王朝第三代ファラオであるトトメス一世と、その妻イアフメスとの娘として生まれます。異母兄弟には、後に夫となるトトメス二世がいました。

 近親結婚!? と驚かれる方もいらっしゃるかと思います(私も驚きました)が、古代エジプトでは異母兄弟姉妹の結婚はよくあること。気にしたら負けです。


 彼女の父トトメス一世は、先代ファラオのアメンホテプ一世とは血縁関係がなく、娘婿だったかどうかもはっきりしていないようなのですが、政治家・武人としては大変優秀で、シリア方面、ヌビア(エジプト南部からスーダンにかけての地域)方面への遠征を成功させる一方、アメンホテプ一世の共同統治者としても実績を積んで、第十八王朝の最初の絶頂期を築き上げます。


 そんな英主えいしゅの崩御後、後を継いだのが、彼の下位の妃の子・トトメス二世。正妃せいひの娘である異母姉妹・ハトシェプストと結婚してファラオ位にきます。


 彼も政治手腕は優れていた――とされているようですが、事績に関する記録がほとんど残されていないため、詳しいことはわかりません。

 また、体はあまり丈夫ではなかったようで、その治世の期間については三年程度説と十数年説とがあるものの、いずれにしても若くしてこの世を去ります。


 そして、二人の間には子供が生まれなかったため、側室が産んだ王子・トトメス三世が後継者となりました。この三世については、生没年が判明しています。BC1481~BC1425です。


「トトメス」という名前がやたらと登場して紛らわしいのですが、これは傍系ぼうけいの――つまり、直系の王子ではなく王女の婿が即位して王となったような場合に、付けられる尊号なのだそうです。


 あれ、二世は一世の息子じゃないの? はい、そうではあるのですが、これは母親の身分が低かったため、彼自身の王子としての資格ではなく、王女ハトシェプストの婿としての資格においてファラオとなった、ということのようです。


 では三世の場合は? 彼の場合、妻(複数いました)もファラオの直系ではなく、彼自身も側室の子でしたが、父直々じきじきの指名により、「傍系」からファラオ位に就いた、ということなのでしょう。


 話を戻しまして、二世の遺言によりファラオ位に就いたトトメス三世。しかしその時点では幼少だったため、義母のハトシェプストが摂政となり、実質的には彼女が実権を握ってエジプトの統治を行いました。


 と、その前に。そもそもトトメス二世は何が原因で亡くなったのか? 心臓病だったと推定されているようですが、その一方でハトシェプストによる暗殺だったとまことしやかにささやかれています。最初に挙げた漫画二作品も、そういう筋立てです。

 ただ、もちろん証拠があるわけではありません。


 さて、幼い継子ままこの摂政となったハトシェプストは、次第に補佐役の範囲を超えて権力をふるうようになり、数々の神殿の修復・造営を行い、そこには自身の名や経歴なども記させました。

 そしてついには、自らファラオと名乗るようになります。


 こうしたことから、「女性の身でありながらファラオになろうとした野心家」、「夫を暗殺して権力を握った毒婦どくふ」といった評価が付きまとい、また、おおやけの場では付けひげを付け男性のように振舞ったとされることから、性同一性障害だったのではないかといった推測もされています。


 ただ、その一方で、彼女は夫から託された継子ままこにファラオ位を継承させることを第一に考えていたのではないかという見方も、近年出てきているようです。

 自らファラオと名乗り、男性として振舞ったのも、自分がめられてファラオの権威が揺らぐことを恐れたから、という見方も出来るでしょう。


 ハトシェプストは、彼女の父トトメス一世が対外拡張路線をったのとは打って変わって、軍事行動は控え国内の安定を優先させる穏健路線をりました。

 それで、政治面においては平和主義者だったという評価がされることも多いようです。


 しかし彼女の没後、トトメス三世が親政を行うようになると、継母ままはは時代の穏健路線から対外拡張路線へと大転換します。

 幸いというべきか、軍事的才能には大いに恵まれていた彼は、数々の軍事作戦を成功させて、後世「エジプトのナポレオン」とも呼ばれるようになります。


 こうした政治路線の違いから、両者の政治的・思想的断絶、さらには両者の確執といった話に結び付けられ、彼女の死についてもトトメス三世による暗殺だったのではないかと唱える人もいます。


 また、トトメス三世はその晩年になって、ハトシェプストの事績を徹底的に消し去ろうとしました。

 そのことも、両者の確執の証拠とされています。


 ただ、これはハトシェプストの死から少なくとも二十年以上の年月が経ってからのことのようですので、逆に言うとそれまでは継母のことを受け入れていたということになります。


 もちろん、心境の変化ということはあり得るのですが……。トトメス三世自身が望んだことではなく、当時男性のみが就けるとされていたファラオ位に女性が就いていたことに嫌悪を覚える原理主義者たちの強い要望に抗しきれなかったのではないか、という見方も出てきているようです。


 また、トトメス三世が息子のアメンホテプ二世にファラオ位を継承させるにあたり、トトメス三世の正統性に疑問を差し挟まれかねない要素を徹底的に排除する必要があった、という見方も有力視されています。


 ハトシェプストに取ってみれば納得のいかない話ではあるでしょうが。


 実際のところ、彼女がどのような女性だったのか、トトメス三世との関係はどうだったのか、後世の人間には想像を巡らすことしかできません。


 ただ、彼女が亡き夫に託された継子ままこへ権力を無事継承させることを第一に考えていたとしたら、対外拡張路線はり得なかっただろう、と私には思われます。


 彼女自身がものすごい軍事的才能を有していて、周囲の国々を自ら征服して回ることが可能とでもいうならともかく、そうでなければ、将軍たちに軍事を委ねることになるわけですが。

 それで将軍たちが勝利を重ねれば、それだけ発言力が強まり、トトメス三世を脅かす存在になりかねない、ということは容易に想像できます。


 聡明な(多分)ハトシェプストも当然そのことは理解していたでしょうから、彼女としてはリスクを避けて国内の安定を優先するしかなかったでしょう。


 そして、トトメス三世が十分な年齢に達した時、左手に継母ままははから継承した豊かな国力、右手に自身の軍事的才能を握りしめ、拡張路線をひた走った、と考えれば、両者の間に政治的・思想的確執といったものを想定する必要はなくなるわけです。


 ところで、ハトシェプストの亡骸なきがらは、今もなおミイラとして残っています。

 元々は1903年、ツタンカーメン王の墓を発見したことで知られるハワード=カーター(1874~1939)によって、彼女の石棺せきかんが発見されました。


 ただし、石棺自体はからで、ミイラは王家の谷の比較的下位の死者が安置されるKV60号墓と命名された墓に、棺に入れられることもなく、例えばツタンカーメン王のように数々の装飾品で身を飾ることもなく、打ち捨てられていました。


 身元特定の決め手となったのは、このミイラの欠けた歯が、ハトシェプストの名を記したカノプス壺(ミイラにした人間の臓器などを収める容器)に収められていた歯と一致したことです。


 何故彼女のミイラが石棺にも納められずそのような有様ありさまだったのかは、大変気になるところですが。

 一.トトメス三世の指示によるもの。

 二.女性ファラオ絶対認めない派の仕業。

 三.墓荒らしによる被害。

 考えられるのはこんなところでしょうか。

 前述の通り、トトメス三世とハトシェプストとの関係は決して悪くはなかったようですので、やはり二の線が濃厚かなぁ、と思います。


 なお、このミイラについて色々調べたところ、死因はがん。ということで、トトメス三世による暗殺説はめでたく否定されました。

 また、彼女は太り気味で、虫歯と糖尿病もわずらっていたようだ、とのこと。ロマンがしぼんだ、と見るか、かえって親しみがわいた、と見るかは人それぞれでしょう。


 いや、近代以前の糖尿病はマジで死のやまいですけどね。インシュリン注射も透析も無く、食事療法の概念すら無い状況ですから、進行を食い止めようもなく、合併症で体中ボロボロに……。想像するだに恐ろしいですね。

 皆様も、異世界に転移・転生なさった際はくれぐれもご注意ください。


 また、ミイラを調べた限りでは、やはり完全な女性の肉体だったようで、でも心は男性だった、という可能性はゼロではないものの、やはり性同一性障害云々うんぬんはフィクションの中だけのことのようです。


 個人的には、ファラオは男でないと、とか言う連中に対して、付けひげを付けてみせて「はい、これで私は男です。文句あっか」とうそぶきつつ、付け髭の下でぺろっと舌を出している、みたいなイメージが好みです。


 次回は、エジプトと言えばやはりこの人。クレオパトラ七世の登場です。乞うご期待!


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※本稿は、Wikipediaの他、『NATIONAL GEPGRAPHIC』2009年4月号「古代エジプト 男装の女王」の記事(Web版)を参考にしました。

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