第8話 孝謙(称徳)天皇(日本:在位749~758,764~770)・前編
歴史上の人物ですので常体を用いています。また、本文中の年月日は西暦・太陽暦に基づくものです。ご了承ください。
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聖武・光明夫妻には、727年に
なお、聖武天皇には
――というのが通説ですが、安積親王の母県犬養広刀自は
安積親王の死についても、表向きは
744年に安積親王が亡くなり、完全に
即位当初は母である光明皇后が孝謙、もとい後見役となりますが、もう一人、急速に影響力を増していった人物がいました。それが
仲麻呂の父は
仲麻呂は749年に新設された
756年には聖武天皇が崩御し、その
しかし、孝謙は道祖王の女性関係に問題があるという理由で彼を廃し、
もちろん、これは仲麻呂が後ろで糸を引いていたようです。
大炊王は、仲麻呂の長男の未亡人を
そんな大炊王が即位するようなことにもなれば、仲麻呂の権力は完全に揺るぎないものとなる――。仲麻呂の政敵たちが不満を抱いたのも当然でしょう。
大炊王が
しかし、密告によりそのことを知った仲麻呂は奈良麻呂らを逮捕、激しい拷問により次々と死に追いやります。
かくして、反対派を一掃した仲麻呂。翌758年には孝謙天皇が病気の光明皇后のお世話をするためという理由で退位し、大炊王が即位します。これが
完全に掌中にある淳仁を新天皇に立て、まさに権力の頂点に立った仲麻呂。淳仁からは「
正確には、「藤原」姓の後ろに「恵美」を付けて「
「
しかし、破局は唐突に訪れます。760年に光明皇后が崩御。孝謙の母であると同時に、仲麻呂自身にとっても後ろ盾だった叔母を失ったことで、彼の権力基盤が揺らぎ始めます。
そして同時期に、仲麻呂のライバルが台頭してきます。病に
淳仁・仲麻呂派と、孝謙・道鏡派(他に
結果は孝謙側の大勝利。仲麻呂は捕らえられて斬られます。
謀略をもって政敵を蹴落として権力の頂点に立ち、また明確な政治構想も有していた名政治家という一面は確かにあったのでしょうが、叔母さんが亡くなった途端に権力基盤が揺るぎ、兵を起こせば女帝にあっさり敗北するなど、意外と薄っぺら……いえ、死者を
仲麻呂に担がれていた淳仁天皇もまた捕らえられ、親王に落とされた上で
さて、孝謙と仲麻呂の関係について、「二人はデキていた」という説をご存じの方もいらっしゃるかと思います。
去る2022年11月30日放送の『英雄たちの選択』光明皇后の回の中でも、当然のようにそう語られていました。
ただ、
もちろん、孝謙と道鏡との関係についても、天皇と寵臣との信頼関係以上のものではなかったのではないか、という見方もあります。
それはさておき、天皇の座に返り咲いた孝謙女帝。この時すでに数えで46歳。道鏡との関係とかその他諸々は、後編に続く。乞うご期待!
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