11 月下の騒動 其の一

紫釉シユ殿ではないですか?! どうして…」


 祝宴で挨拶したのを覚えている。月鈴ユーリンの幼馴染だと。女帝制度に反対している派閥に属する、陛下の異母兄の息子、と言っていたか。


「月鈴様… 月が綺麗なので、帰り道遠回りして散歩をしていたところ、瘴気が辺り一面に充満したかと思ったら妖獣が現れて突然襲われてしまい…」


 なるほど、この辺り一帯に妖のにおいが残っている。

 呼吸も浅く顔面蒼白、とても具合が悪そうだ。

 確か宴の夜に騒ぎがあった時、宮廷内に妖獣が出るようだと太監たいかんである陰陽師の凜風リンファが言っていたのを思い出した。


「起きられますか? とりあえず花繚宮こちらに入って横になってください」

「すみません、このような所でご迷惑を…」


 紫釉はそういうと、意識が薄れていくのかぐったりと目を瞑った。

 月鈴シンチェン麗孝シャンリーは、肩を貸しながら何とか門の方から宮に引き入れ、取り急ぎ紫釉を玄関に横たわらせる。どこか怪我でもしているのだろうか。


 月鈴シンチェンは、医官を呼んできますと言い残して奥へ入ってしまった。

 

(あぁもう、公主の立場ともあろうに自ら呼びに行ってしまった、女官たちに言い伝えれば良かったのに! お姫様キャラが全然イタについてないじゃん!)


 やがて、何事かと女官がわらわらと集まってきた。


麗孝リキョウ様、どうされましたか?!」

「すみません、門の外で彼がお倒れになっていて、どうやら妖に襲われたらしいのです。ちょっと玄関を借りますよ。何かあったら危ないので皆さんは奥に入っていてください! あと、月鈴様が医官を呼びに医局に向かわれてしまったのでどなたか後を…」

「かしこまりました!」


 そう言うと女官たちはばたばたと行ってしまい、二人きりになった。

 紫釉は、朦朧としつつ少し薄目を開く。


「… 月鈴様の婿殿ですか…」

麗孝リキョウと申します、宴にてお目にかかっております。お気分はいかがですか? それにしても散歩とはいえ、何故なにゆえ夜更けにこのような所に。今、医官を呼んでおりますので少し辛抱…」

「何故か、それは貴方に用があったからですよ」

「… わたくしに?」

「中々に花繚宮からお出にならない、と伺っておりましたので、さてどうしたものかと思念しておりましてね… 出てきてくださって助かりました」


 紫釉は、懐から魔瘴石を取り出した。

 そこから瘴気が吹き出し、石に封印されている妖獣が現れる。

 祝宴の夜に現れた奴と同じような妖だ。

 四凶しきょうの残留思念を持つ妖獣、窮奇きゅうきと言ったか、大きな虎のような見た目の恐ろしい牙を剥いた。


「お前を殺せば、今度は月鈴ユーリンは僕のものになってくれるかもしれないですからね」

「!?!」


 では、あの祝宴の時も狙われていたのは月鈴ではなく麗孝という事になる。

 だとすると、月鈴の件とは全く関係が無いのだろう。

 どうやら妖獣が封印されている魔瘴石は、花繚宮の結界を抜けられるらしい。これは危険物だ。


『ガウゥウウ!!!』


 妖獣は麗孝シャンリーに襲いかかってきた。

 すんでの所で避けたが、鋭い爪で左腕を深く引っ掻かれて血が飛び散る。


「痛った…!!」

「貴方さえ現れなければ、幼い頃より懇意にしていた僕と一緒になろうとしていたのだ、貴方さえ!」

「いやいやいやそんな事言われても知らないですって!!!」


 月鈴が紫釉と、本当のところはどういう関係で仲だったのか知るよしもないけれど、酷いとばっちりだ。


(あぁ本当、後宮に来て早々こんな事に巻き込まれるなんてツイて無さすぎる! もう最悪!)


 麗孝シャンリーは、小袖に入れていた妖避けの香水瓶を取り出すと、派手にぶちまけた。

 妖獣が怯む。

 その隙に、戻ってきた月鈴シンチェンが駆けつけ、剣で斬り伏せた。


「大丈夫ですか! いったん簡易で結界を張りますわね」


 月鈴シンチェンは、何処に隠していたんだか細い注連縄で自分と麗孝シャンリーの周りを手早くぐるりと取り囲み、霊符のようなものを添え、地面に置くと言霊を唱える。


「結!」


 再び襲いかかってくる虎の妖獣が結界に触れた瞬間、バチバチと火花が飛び、火傷を負ったような状態となった。さすがは「火」の家系の術。

 どうやら縄が張られた中には入って来られないようだ。

 手負いの妖獣は暴走して、瘴石を手に持つ紫釉の方に襲いかかった。


「危ない!!」


 紫釉が喉を噛み切られようとして後ろに避けたものの、勢いよく壁に頭を酷く打ちつけてしまった。頭に血が滲み溢れる。

 月鈴シンチェンは結界から素早く出ると、背中を見せている妖獣をばっさりと斬り伏せた。


「… 動かない… か。何とか退治できたかしらね。急ぎ陰陽師の凜風リンファにも連絡を… 紫釉殿?!」


 気を失ったまま、頭から流れる血が壁を伝い、血溜まりが出来ている。


「今回は例の件とは関係ないな。にしても、夜分遅くて医官のジジ… じゃない、爺様が捕まらない。女官が引き続き呼びに行ってもらっているが… それに、月鈴がこいつをどう思っていたか知る由もないけれど…」

「とにかく紫釉様が酷く頭を打って意識が飛んじゃってる、何とかしなきゃ…」

「お前だって左腕をやられて怪我してんだろうが、ちょっとは自分の心配…」

「私の弟も、小さい時に妖にやられて体を悪くしたの。同じようにやられている人を放っておけない!」


 麗孝シャンリーはそう言うと、いったん手帕ハンカチで頭の血を拭い、気合を入れて紫釉を背負った。


「おるあぁぁ! うぎぎ、重っっ!!! 蔵に運びますっ、近くて助かる!」

「えぇ?! 何で蔵… 俺が担ぐ…」

「可憐な姫君が男性を担いでるとか人目に付くとバツが悪いんですから、月鈴シンチェン様はおとなしくしててくださいませ!」

「いや、ちょ、でも、わぁ… たくまし…」

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