12 月下の騒動 其の二

 月鈴シンチェンが口を挟む間も無く、紫釉シユを背負うと気合と根性で蔵に運び込んだ。

 月鈴も後ろから付いて来る。

 自分の事は二の次でいい。とりあえず布か何かで紫釉の頭の傷をきちんと止血しなくては、とはいうものの、そんな早々都合のよい物なんて無い。


「くそぉ、男装なんてしてらんない! こっち見ないでくださいよ!」


 香麗シャンリーは服を緩めると胸に巻かれたさらしを外し、包帯代わりに紫釉の頭をぎゅっと強く縛った。


月鈴シンチェン様、気付けの香を作るので紫釉様をよろしくお願いします」

「あ、あぁ」


 香麗シャンリーは襟を正して髪を括り直すと作業服を被り、手早く棚に並べた香油を取り出し、調香していく。


「…弟君の体が弱いのは、妖に襲われたせいなのか」

「正確に言うと、体が弱いというわけではないです。目が見えません」

「何…」

「八歳の時、姉弟だけで留守番をしている時に家が妖獣に襲われたんです。わたしをかばって妖が放った呪いを受け、視力を取られてしまった。視覚を奪う妖だったようです。だからここに来させるわけにはいかなかった。姉としてできる事は何だって代わってあげなきゃ、と思っています」

「呪い、か… 厄介だな」

「だからわたしもずっと、弟の呪いを解く方法を探しているんです」

「そ、か。呪いをかけた妖を殺せば解けるらしい、と聞いた事はあるけれど… こっちも何か力になれる事があったらいいよな」


 呪いをかけた妖とやらを見つければいい。そうなのか。

 答えの手がかりが見えたただけでも、ここに来た意味があったかもしれない。宮廷の然るべき方々に伺えば、もっと情報を集められるのだろうか。

 だからといって今のわたしでは、見つけたってそんなもの相手に戦う力は無いけれど…


 取り急ぎ、出来た香油を白磁の小皿に移し入れ、紫釉の鼻に近づける。


「それは?」

「薄荷と少量の樟脳ですね、気付けに効果のある香りです」


「……ん」

「紫釉様、気が付かれましたか?」

「あれ、ここは…」

「花繚宮からすぐ、祭礼局のある奥手に位置する蔵です」

「妖にやられた後、僕は… きみは一体… それに月鈴ユーリン様も…」


 月鈴シンチェンは厳しい顔で紫釉を睨んだ。


「紫釉様、花繚宮に入り込んで、妖獣を使って事故と見せかけ、婿殿を殺害しようとなさった事は本当ですか?」

「すみません、どうかしていたのです…  あれ、お声が少しいつもと違…」

「し、少々喉の調子が悪いのです、ごほっ。それより…」

「あぁ、すみません。…わたくしが月鈴ユーリン様に好意を抱いている事はご存知な筈。父が女帝廃止の動きをする派閥の者だから疎まれているのではないかと思っていましたが、昔からずっとわたくしに優しく接してくださった。もしかすると貴方様も好いてくださっているのではないかと過信していたのです」

「そう、ですか」

「ところが十七になり、婚約されたと聞き及びました。それにここ一ヶ月、姿をお見かけする事も無くなった。以前なら話しかけてくださったのに、お見かけして目が合っても他人のようなふりをなさる。絶望しました。失恋で死んでしまいたいとも思った…」


 紫釉は、袖から黒くなった瘴石を取り出した。


「そんな時、ある者からこれを貰ったのです。石には妖獣が封印されている、花繚宮に忍び込んで、これを使って婚約者を亡き者にすればいいと。自分で人を殺めるなんて事は恐ろしくて出来ない。でもこれを使えば自ら手を下さなくてもいいとそそのかされて使ってしまったのです… 絶望していたとはいえ、許し難い事をしでかしました、もうここにはいられない。麗孝シャンリー様はどこに…  ひとまず謝らなければ…」


 紫釉は有能な人材だと聞き及んでいるのに、このような事で罰せられるのは勿体ない。それに月鈴ユーリンが目を覚ました時に、仲の良かった幼馴染がそのような事をしでかし、罰せられたと知ったら少なからず悲しいはずだ。

 それよりも、この一件を大事おおごとに扱われて、わたしたちの事を部外の者にあまり詮索されたくないのだ。


 紫釉はハッと現実に戻り、香麗シャンリーを見た。


「… ところできみは?」

「わたしは祭礼局に仕える調り師で、下っ端のいち女官でございます」

「しかし女官の格好では… というかその服、左腕の傷… まさか…」


 香麗は、シーと口に人差し指をあてる。

 持っていた手帕ハンカチを素早く紫釉の口元にあてると、瞬時にがくりと気を失った。


「一時の記憶を無くす菖蒲の香油を染み込ませたものです、次に目が覚めたら今夜の事は忘れているはず。妖術でもないですよ。医術では麻酔に使われているものです。危険なのでこの香りは普段使う事がないんですけど、いたしかたありません」

「そ、か。いつの間に、やるじゃん。てか香麗だって怪我してんだから、早く医官を連れて来ないと…」

「わっ、わたしは頑丈なので大丈夫ですっ、後で見てもら… っ…」


(あ、なんか張り詰めていたものがプツッと… ホッとしたらフラフラ、する な…)


「お、おい、香麗?!」


 あれ?!

 目の前がチカチカ、あ、真っ暗…

 音が遠のいていく。


 星塵様が何か話しかけている…


 わた、し、… 貧血…


 そして、その夜の記憶は途切れてしまった――

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