10 不穏

「お互い想い合っているとばかり思っていたけれど、違ったのですね。突如、まるで他人のような態度を取られるなんて…」


 新月で暗い宵闇に紛れ、宮廷の片隅に一人佇む男がいる。

 男は絶望のあまり、生きていても意味を見出せず自死しようと木に括り付けた縄に手をかけた。

 その時、後ろから声をかける者がいた。

 

「待ちなさい、死ぬことはないさ。いいものをあげようか。邪魔な奴を消せばいいのさ。これを使えば自分の手も汚さずに済む、証拠も残らない」


 そういうと、石のようなものを数個手渡した――





 さて、宮廷内での噂。

 宦官や屈強な武人、少年、ともまた違う中世的な見た目の麗孝シャンリーはそれなりに異質で、宮廷においてちょっとした噂の存在となっていた。

 常に月鈴ユーリン公主のお側、花繚宮にて過ごされているという設定なのでなかなか外に出ず、お目にかかれないという事もあり、なおさら興味をそそるらしい。

 どうやら宴の時に手を差し伸べた宮女が、素敵なお方だったわと噂をした。狭い世界、良くも悪くもそういった情報は蜘蛛の子を散らすが如く、韋駄天よりも早く駆けめぐり広まるのである。



 香麗シャンリーは今夜も祭礼局での雑務と自身の作業を終え、花繚宮へ向かう。

 浴堂で男装する前に浩然ハオランに香水の試作を届けたが、不在だったのでお付きの宦官に渡しておいたが、月鈴の部屋に戻るのに随分遅くなってしまった。

 それに加え、今宵の星塵シンチェンは少々不機嫌のようで…


「なぁ、婿殿がちょっとした噂になっていると耳にしたんだけど」

「聞いちゃいましたか、ここにきてわたし人生初のモテ期ですよ、フフ… 女性としては複雑ですけど…(悲)」

「出過ぎた行動して目立つと速攻消されるぜ。大人しくしてくれよ、女官たちに色目使って面白がるなよ」

「何を姫君、妬いておられるのか? わたくしはそなたの婚約者ですぞ?!」

「冗談」


 星塵シンチェンは、ぐぐっと戯けて両頬を引っ張った。


「うぎっ、ねぎらってくれてもいいじゃないですか、貧乏弱小家の者が宮廷で暮らすとか若様には解らないかもしれないですけど、あんな宴に参加するだけでもすーんごいストレスだったんですよ?! それもこんな宮中のごたごたに巻き込まれて…」

「そもそもお前が飛び込んで来たんだろうが。…ふぅん、婿殿、どうすりゃ満足です?」


 香麗を真っ直ぐに見つめ、顔を近づける。

 化粧を落とした無防備な顔で、男子の薄着姿ときたものだ。

 星塵はするりと無造作に纏めた髪を解くと、香麗はあっさり架子床ベッドに押し倒されてしまった。


「労ってほしいんだろ?」


 予想以上にしっかりした骨格。普段の身長でいると星塵の方が三寸10センチ程高いうえ、力が強く組み伏されて動けない。

 女子の格好をして容姿スタイルを隠しているとわからないけれど、まごう事なき男なのだ。思わずドキドキしてしまったではないか。

 くそぅ、男として負けた…!!(そうじゃない)


「はは、冗ー談。顔真っ赤。からかいがいがあって楽しいなぁ。今夜はもう遅いんだからとっとと寝るぞ」

「嫌い! バカ! てかそもそも毎日一緒に寝る意味あるんですか?! 婚約者といえど普通別々でしょう」

「一応見張ってんの、逃げねぇように。まぁ婚約者なんだし? お互い知っといた方が仲が深まっていいじゃんか。女官たちだって、仲睦まじいわねって思うだろうさ」

「勝手に逃げたりしませんってば…」


(この件が片付いたら、わたしは早く帰りたいんだけどな…)


 知ったところで、住む世界が違うのだ。

 陛下の御子息と運命の恋だなんて、おこがましいにも程がある。

 早くまた普通の自由な生活に戻りたい。

 そういえば、と思い出し、小袖に入れた小袋を取り出す。


「寝る前に、月鈴様の部屋に行ってもいいですか?」

「何? いいけど」


 香麗は奥の衝立を避け、月鈴の眠る部屋に入ると、小袋を架子床ベッドの横の机に置く。

 眠り姫のように、綺麗な顔で目を瞑ったままだ。

 だが、確かに彼女は息をしてちゃんと生きている。一体どうやったら呪いは解けるのだろうか。


薫衣草ラベンダーにマジョラムの香油を染み込ませたものが入っています。ちょっと蔵から原料はお借りしました。悪夢避けに効果のある香りなの、ちょっとでも癒されてくださるといいな、と思いまして」


 嗅覚は五感の中でもっとも原始的で、直接脳に伝わる感覚。

 せっかくなら届くといいなと、思いを込めて作ったものだ。

 へぇ、と星塵は感心して、良い香りで揺蕩う。


「この香りは弟も好きなんです、元気にしてるかなぁ…」


(お姉ちゃんはそこそこ元気でやってるからね! うん、何とか早く帰れるようにしないと)


「そうだ、香麗シャンリーにこれ預けとくわ」


 星塵は、金とぎょくで出来た小ぶりの腕輪を手渡した。

 裏を見ると、王宮の紋章が小さく刻印されている。


「母に貰ったものだ、何かあった時に助けてくれるかもしれないから持っておくといい」

「こ、こここんな大切なもの預かれません…」

「あんたを信頼してるって事だよ」


 申し訳ないような、ありがたいような。少しこそばゆい気持ちになる。

 その時、嫌なにおいが鼻をかすめ、ぞくりと不穏な気配がよぎった。


「…星塵様、何か外で嫌なにおいがする…」

「えっ」

「妖がいる時のにおいだ…」

「犬みたいだな、面白ぇ」



 危険かとは思ったが放っておけず、然るべき格好に着替え直し、二人は部屋の外に様子を見に出た。

 月鈴シンチェンは廊下ですれ違った女官を引き止める。


「何か変わった事はないかしら」

「いえ? 特には… どうかされましたか?」

「いえ、いいのです、ありがとう」


 そう言うと一礼して通り過ぎて行った。

 だが、先ほどよりも嫌なにおいが濃くなってきているのに気になった。


「わたし、ちょっと外見てきましょうか」

「危険だ、俺も行く」





 足早に外に向かう。外の方が一段とにおいが濃い。

 もうすぐ満月だというのに今夜は暗闇が深く、もやが出ている気がする。

 瘴気のような嫌な空気が漂っているようだ。


以来、花繚宮には陛下が強い結界を張ったのに、どこか弱まっている箇所があるのかな、俺が張り直すか…」

「結界術が使えるのです?」

「あぁ、そうだ。本来なら代々女にしか遺伝しないらしいけどな。使える者を殺すのは勿体無い。俺が生かされている理由の一つさ、何かあった時のための保険にね」



 すると、花繚宮の門のすぐ外の壁際に、男が一人倒れているのを発見した。

 麗孝シャンリーは、急ぎ起こして顔を見た。


「大丈夫ですか?! あなたは…」

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る