09 宮廷の香り師 其の二

 お付きの宦官を引き連れて蔵に入ってきたのは祭礼局の長で、星塵シンチェンの上司、浩然ハオランといった。

 大人の色香漂う長身で、甘く優しい声、どこか憂いを含んだ端正な顔立ちが美しい。現在、正一品なる上位四人の側室のうちの一人なのだそうだ。


祭礼局ここに新しく入った女官は貴女ですか? ヤン香麗シャンリー

「お、お初にお目にかかります、よろしくお願い致しますっ!」


 香麗の方はお初でもない。祝宴で挨拶された事を思い出した。


「ここで香水を作ってくれるのだろう? ものは試しに、わたしにも一つ作っていただきたい。陛下の好みそうなものが良いのだけれど、どんな香りがいいかな?」

「承りました。そうですねぇ、先日陛下は新鮮な薔薇の香りを基調として茉莉花ジャスミンをほんの少し足した、みずみずしい香りのものをお使いでした。ベースは沈香だった気がします…」

「おや、香麗は陛下にお会いした事があるのですか?」

「あっ、あ? あーそ、えっへへ…」


 すっとぼけてしまったが、気に止めずつっこまれなかったので、いいとしよう。


 この女帝が君臨する国での側室という立ち位置はなかなかに複雑で、現在の陛下においては後継が居るのだから争いを生みたくないという意思が固く、夫が亡くなっているにも関わらず正室は置かず、側室にお渡りになる事もないらしい。

 かといって優秀な高官なのだから、蔑ろにもする事なく然るべき部署に登用し、他の者と婚姻を望む者は、陛下の了承を得れば自由に側室から外れる事が可能だ。

 その際は、内廷である後宮から出て外廷で暮らし仕事をする事にはなるのだが。

 ただし正一品ともなれば、みすみす地位を明け渡す者などいないだろう。

 故に、陛下の気を惹きたい者も多い。なにせ陛下はまだ三十代で若く美しいのだ。


 月鈴ユーリンの件は、単純に考えれば側室の中の誰かが企んだのではないか、とも星塵は思っていた。正式な夫が殺され一人娘が亡き者になれば後継が消え、自動的に側室から正室になれる好機が訪れるからである。


「では、少しお肌に触れてもよろしいでしょうか」

「どうぞ?」

「失礼します」


 香麗は浩然の手首の袖口を捲り、肘窩から少し上の部分を真ん中三本の指で軽くたたき、鼻をあてて何かを確かめた。


「香水はつける人の肌状態や本来のにおい、弾力とか水分量によっても変わってしまうのです、ちょっと先に確かめさせてください」

「へぇ、面白い」

 

 ぺしぺしと優しく触ると、うん良い感じと呟き、紙にに何やら書き留める。


「何かお好きな香りとか、こんな感じの匂いが好き、苦手、とかありますか?」

「そうだね、甘くない方がいいかな。幸せな気持ちになれる香りだと嬉しいな。きみが感じたわたしの雰囲気でお願いしたい。その方が面白いからね」

「わかりました。では試作してみますので、少しお日にちをください」


 楽しみにしていますよ、と言いながら浩然はお付きの宦官を引き連れ、悠々と事務所の方へ帰っていった。



「緊ー張ー! さすが側室のお方、とても素敵じゃないですか、胸がキュンですよこれは…」

「俺といるのはストレスが溜まるのにな、大違いだな…」

「…そんな子どもみたいに拗ねないでくださいよ」

「拗ねてないし。俺だってそこそこだと思ってるし」

「何ブツブツ言ってるんですか、そもそも初見が女子だったでしょう」


 そう言いながら袖を紐で襷掛けし、黒髪をきゅっと縛り直す。

 柳行李かごから大きな木の机に硝子の器具や小瓶を、対切に並べていく。

 無数の香油瓶、試し紙、ビーカー、硝子ピペット、天秤、乙醇エタノール、精製水…

 祖母から受け継がれてきた調香の道具たちだ。

 まるで魔法道具のよう。

 そうね、調香は幸せの香りを作り出す魔法なのかもしれない。

 祖母もきっとそうやってきたもの。


「さて、浩然ハオラン様の特別な香り、お作りいたしましょう――」

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