02 身代わりの娘

 香麗シャンリーはその後、胸に晒を巻き、麗孝リキョウの服を借りて着てみた。

 紅を落とし、眉を少し凛々しく描き足す。

 思いのほか中性的な美男子に仕上がった。後は少し足りないであろう身長を、しっかり底上げした靴子ブーツでも履いて誤魔化せば上々、完璧じゃない!?

 高めの身長が役立つ時もあるものだ。



 駙馬ふば選定の儀に書かれた日の早朝。

 道すがら妖に襲われないよう、魔避け効果のある香りを持つ訶梨勒かりろくの実を数粒小袋に入れ、お守りに身につけた。少し甘くスッとした香りが鼻に抜ける。


 普通の者は感じないらしいが、妖はとても嫌なにおいを放っている。

 幸いにも、犬並みに鼻の利く香麗は察知できるので、極力避ける事は出来ている。ただ、一度だけ幼少の頃に襲われて、怖い思いをした事もあるのだが…


 どうやらこの国の周りには瘴気が吹き出している山々があるらしく、そこに住まう妖は時折人々を襲う。中には、視覚や聴覚といった人間の五感を奪う、厄介な呪いをかけてくる妖も存在するのだ。

 なので、日の沈んでいるうちは絶対に外に出る事はおすすめしない。


 しかし噂によると、華香国の女帝は唯一、それら妖を封じる結界を張る能力を持って生まれてくるらしく、国全体を守っているとか。

 その能力は、なぜか代々女性にしか継承しない。故に、娘ばかり時期皇帝に選んできたのだ。


 香麗は、家から一歩出るとわたしは麗孝なんだと言い聞かせて日の出前、馬を走らせ王宮へと向かった。



◇ ◇



 昼過ぎには、華香国の王都に着いた。

 香麗シャンリーは、活気のある城下町を進み王宮まで来ると下馬し、朱雀門をくぐり、厩舎に馬を置かせてもらい、広大な前庭へ出た。白の大理石で作られた三段の基台を上り、宮廷内に入る。

 どこからか春の花の香りを乗せた風が鼻をくすぐる。

 ただ様々な香の匂いも漂い、少々鼻が利かないのが難点ではあるが。

 さすがは王宮、どこもかしこも豪華絢爛で極彩色な建物の装飾や調度品に圧倒されながら、できるだけ自然に振る舞う事に努める。

 

(ふっふっふ、存外イケてるじゃんわたし完璧… いや、俺。俺は今から麗孝リキョウだから)


 やはり姉弟なだけあって、男子の格好をすると似ているものなのだな、と思いながら、大きな硝子窓に写った己を眺めてふむふむと自己満足げに頷いた。どうやらこの呑気さは父親譲りらしい。

 昔から何でも、思いついたり興味があるとすぐに体が動いてしまう性格は全く似ていないけれど。もっとお淑やかにしないと嫁の貰い手がないわよ、と母上にも注意される始末だ。



 指定の建物入り口の傍、厳戒に警備している武官に聖旨が書かれた招集状を提示すると、武器を持ち込んでいないか体をぽんぽんと上から軽く検査された後、広い走廊を進んだ。

 恐れ多くも謁見の間で待てとの事。奥には五爪二角の龍文柄の絨毯が敷かれ、玉座が置かれている。

 そしてすでに広間には、各家から集められた同い年位の青年が五十人程居るではないか。という事は五行家一家につき十人くらいが来ているという事か。

 誰しもが見目麗しく、香麗は一人胸が高鳴った。


(なんとなんと、ここは未婚の美青年の集う桃源郷のようじゃないですか…)


 香麗シャンリーとて男っ気がないとはいえ良い歳の頃なので、良い殿方が見つかれば婚姻してみたい、という女子おなごらしい願望はじゅうじゅう持ち合わせている。


(どうせ婿に選ばれるのは一人なんだから、選ばれない方とお近づきになりたいものだわね。どうせならそこそこ裕福な素敵なお方と、とかね、でへ)


 香麗、今のところただの不審者である。

 きょろきょろと見回し美男子に囲まれてうっとりしていると、隣に立っていた青年に小声で話しかけられた。 

  

「君はどこの家の御子息? 質の良い帯飾りですね。王宮は初めてではないけれど僕は初めてお目にかかるんですよ、公主様に」


 良いなどと口に出している割に、己の格好の方が高価なんだぞという上から目線の発言だと見え見えだ。

 香麗は目を細め、そんな攀比マウント取られてもなぁと思ったが、とにかく今は精一杯男子を演じる事に気を張っているのでそれどころではない。


「楊家の分家の出です。そうなんですね、僕は王宮すら初めてでお恥ずかしい。何か粗相をしていないかと気が気ではないのです」

「公主様は凄い美人だと噂があるけれど、どうなんだろうね? せめて側室にでも抜擢されたらめでたしと親に言われているのだよ」

「はは、まぁでもこのような機会はなかなか無いから拝謁するのが楽しみです」


 招待状に書いてあった詳細によると、陛下直々に拝謁されるとの事、成程警備が厳重な筈だ。

 そうこうしていると銅鑼の音が盛大に鳴り響き、凛とした空気が張り詰め、奥の大扉が開く。

 太監たいかんたちと共に、陛下らしき女性が現れた。

 華香国の女帝・陽明天陛下だ。

 黒の上衣に赤の裳をあわせた玄衣纁裳げんいくんも、宝玉を連ねた龍付きの冠がいかにも皇帝といった流石に威厳のある出立ちに、場が緊張感に包まれる。

 陛下と言っても十七の娘の母、歳は四十にもなっていないといったところか、まだまだ若々しく美しくあらせられる。

 玉座に座られると皆が一斉に正しく立ちかしこまり、陛下に向かって手の指を胸の前で組み合わせて拱手きょうしゅをし、目線を下に落とす。つられて香麗も急ぐ。


(あのお方が陽明天陛下。そして…)


 その後ろに付いて入り、香麗と同じ歳位の女子が玉座の隣の椅子に座った。

 恐らくあの子が月鈴ユーリン公主コンジュなのだろう。

 公主とは、皇帝の娘の事だ。

 ほんの僅か、目線が交錯した気がした。


 直接ご尊顔を拝する事は失礼であろうが、この場においてはしょうがない、顔をよく見せろとばかりに、顔を上げなさいと广播アナウンスが下り、太監を引き連れ、陛下と月鈴公主直々に、少し遠巻きに我らを値踏みしていくが如く見られていく。

 何事もなく、話しかけられる事もなく、香麗の顔だけ見て前を通り過ぎ去っていった。

 身バレさえしなければいいのだ、参加したという事実があれば。

 出来るだけ目立たぬよう、すぐに下を向いた。


 それにしても、月鈴様。初めてお目にかかったが、噂に違わず美しいお方である。まるで芍薬の花のようだ。

 綾絹の扇子で顔を殆ど隠しておられるが、それでもわかるお育ちの良さから醸し出される品と雰囲気、良質な伽羅の香り、立居振る舞い、たわわなお胸。(それは関係無い)何なら身長も普段の香麗より高い。これはとんでもなく美人ではないか!


(こりゃかわいい系の我が弟には似合わないかもしれないな… おっと失礼)


 名家の末端といえどド貧… ごほん、慎ましく暮らすわたしとは大違い過ぎて思わず笑いそうになる。同じ歳であろうに。わたしなんか芍薬の花壇の隅っこの水たまりに存在する水蚤ミジンコじゃないの…


(あぁ、そろそろ豪華絢爛な建物も美しいお姫様も見目麗しい男子も光が強過ぎて疲れたわ、早く帰りたい… 参加賞とかいって何か美味しいもの貰えるといいなぁ…)


 一通り値踏みをして通り過ぎると、やがて太監や陛下、公主たちは奥の間に消えていった。

 それから三十分も経った頃だろうか。

 本日はご足労頂き云々、等と文官の模範的な挨拶で締められ、謁見の間にいる全員に解散とお達しが下ったので、何とか演り切った香麗はホッと胸を撫で下ろした。


(さ、暗くなる前に帰ろう! またいつも通り王宮など縁なく平穏に暮らすのだ。あ、お土産何も貰えなかったじゃんね… 折角王都に来たのだから、珍しい香りの原料でも市場で探してお茶でもしようっと)


 婿に選ばれる方はどなたなのかしら、後から通達が行く感じ? 興味は湧きつつも部屋を出る男子の後ろに着き、さっさと目立たないよう部屋を出ようとした。


 矢先である。

 部屋にいた武官に腕を掴まれ、後ろを振り向く。

 他の者に聞こえないよう、小声で告げた。


「貴方は第一候補となりました、このまま残っていただきます――」

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