宮廷香り師と偽り皇女の内緒事

haru.

01 幕が上がる

「よし、行くか…」


 香麗シャンリーは絢爛豪華な朱雀門を見上げ、グッと拳を握り気合を入れた。とても春の陽が眩しい。

 大層底上げした黒の靴子ブーツに時折ひっくり返りそうになりながら、手には招集状という赤紙を握りしめ、覚悟を決めて前を向き、ほうの裾を翻しながら、王宮に続く石畳の大きな道を進んでゆく――



◇ ◇



 大陸の東、華香かこう国はその名の如く、華が咲き香るように栄華を極めていた。

 この国や王宮は、あやかし蔓延はびこる外の世界から、歴代皇帝により、強力な結界で守られている。


 華香国は君主をいただく専制国家であり、官僚制度が存在する。

 一世紀程昔、北方から侵入した隣国によって、呪術的なもので滅ぼされてしまいそうになった歴史がある。何が原因で敵国が去ったかはわからないが、以後後継者として戦争を起こさないよう、以降、男性ではなく女性を帝とし、穏やかに治める国家を建てる事にした。

 何より、国に“強力な結界”を張るという皇帝が使える特殊な能力が、何故か女性にしか受け継がれていかない、という理由が大きくある。

 

 ただ、宮廷内の陰謀、裏切り、呪術。それでも膿は今なお尽きる様子がない。

 東の崑崙山の龍脈を断ち切り、世界の気の流れを変えようとしている仙人がいる、という情報も気がかりではあるが、それよりも特に近年、現・女帝の陽明天ようめいてんを悩ませているのは、再び男性を皇帝とする国にしようとする一派が宮廷内に暗躍している事であった。


 当然、王宮に仕えている側室なる者は全員男性である。が、皆後宮に仕えている高官の者たちだ。

 側室というお役目も控えているため、宦官が少ないのもこの王宮の特長である。

 側室にみだりにお渡りになると、生まれた子が誰の子種なのか判らない故に、基本、皇婿こうせいと呼ばれる夫のみとしか夜伽をしない。子が出来ぬ時にのみ側室にお鉢が回ってくる事になっているので、側室と名は付いているものの拘束は無く、まず普通なら出番が無いわけであるし、当然大抵の高官は婚姻も自由なのである。

 故に、後宮に集まっている高官は美丈夫が多いので、世間の娘たちにとって後宮は、顔の美しく高貴で家柄の申し分ない殿方と出会えるとして、人気の就職先となっている。



 さて、現在。

 皇帝の娘・公主コンジュは齢十八で婚姻する決まりがある。

 この度、陽明天に可愛がられて大切に育てられた一人娘・月鈴ユーリン公主コンジュが十七となったので、そろそろ婿を取る準備をという話が上がっており、各名家には十六・七の同じ歳の頃の男子が候補として招集される事と相成った――





香麗シャンリーちゃん、前の香水、頭痛にとても良く効いたわぁ。また一本作って貰えるかしら?」

「毎度ありがとうございます! 偏頭痛には薫衣草ラベンダーの香油が一番なんですよ」


 ヤン香麗シャンリーは、近所馴染みの阿姨おばさんに香水瓶を手渡した。

 嘘か誠か、亡くなった奶奶おばあさまは昔、調り師・いわゆる調香師の仕事として宮廷にお仕えしていたらしい。鼻が利くのは祖母譲りだ。

 家の物置に、調香の道具や精油の香水配方レシピの本がたくさん残っていたのをいい事に、香麗は色々な原料を調香する趣味が高じ、聞きつけた街の女性たちが個人的に買いに来てくれるようになった。

 作る香りは幸せな気持ちになると褒めてくれると、こちらも嬉しい。

 香麗は今年で十七歳、腰まで流れる絹のような黒髪に白の上衣が映える。

 女性にしては少々身長は高めだけれど、まぁそこはご愛嬌。



 そんなある日、楊家に一通の招集状が届いた。


「は? 駙馬ふば選定の儀で麗孝リキョウが王宮に招集されているですって?!」


 香麗は虚を突かれ、手に持っていた硝子瓶を、ごとりと落とした。

 溢れた香油が足元で香りを放っていく。


 ちなみに、この国には五行という「木」「火」「土」「金」「水」を司どる五つの属性を受け継いでいる血筋の五行家という名家があり、本家の出の者は、宮廷での高官職に就いている。

 そのなかでも楊家は「金」を司どる分家の下の下の下位辺りの身分の家柄であった故に、特に家督争いなどなくすこぶる平和に過ごし、父は地方の州の官吏に付いている。

 とまぁ、名門楊家分家の長姫ながら、令嬢と言うにはお恥ずかしい、そこそこ貧、いや慎ましくも趣味に勤しみつつ平和に日々暮らしているのであった。



 そこに降って湧いた、超絶可愛いがっている一歳下の弟弟おとうと麗孝リキョウが今度、駙馬、要するに娘婿候補として王宮に参上しろとのお達しが届いたのである。

 婿になるという事は、時期女帝の夫という事だ。

 所詮女帝の夫とはただのお飾り、であれば実家が力も野心も持つ事がないような家柄が高くない方がむしろ好都合といった所で、広く召集されているのだろう。

 何より表向きには幼少期から病がちで体が弱く、知られたくない件もある。ゆえに、あまり外に出す事もなく皆で大切にしてきたというのに。

 客間に家の者を集めた父が、駙馬選定の儀への招集状を読み上げ、ため息をついた。


「まぁ、五行家の末端まで、とりあえず名家に招集状を送りまくっておるのだろう。早々頃合いの歳の息子などおらぬからな。とて華香の都まで馬で早朝出て昼には着く程度の距離だ。行ったとて手土産でも頂いてすぐに帰って来れるのではないかな? ハハ」


 父上ながら呑気なものである。

 母上が心配そうに、ため息をつく。


「そんな人攫いみたいなお達し、ふざけてる! ねぇ母様」

「急に外に、それも王宮に上がるなんて麗孝には無理ですよ。しかし聖旨を拒めば死罪なのですよね、どうしましょうか…」

「でも大姐あねさま、どうせ僕なんか人数集めなんだから、すぐに帰ってくるよ」


 麗孝が憂いのある目で微笑み、香麗の手を取り、きゅっと握りしめた。


(あぁ、お姉ちゃん子の可愛い弟よ… やだもう守ってあげたい、その優しさが宝物…)


 太陽に当たらない肌は陶器のように白く、切れ長の眼、姉のわたしからみても美男子に間違いない箱入り息子。姉ちゃんは行かせたくないのです!

 それに百億万が一、公主様のお目にでも止まったら…

 あんな魑魅魍魎のるつぼのような(想像)後宮になんぞ入る事になったら、と想像するだけで心配で胸が張り裂けそうになった。


「…姉様?」

「…香麗? どうした??」


 おもむろに、棚に入っているはさみを持ち出した。

 そう、わたしが一時だけ弟になり代わって王宮に赴けばいいのだ。

 香麗は、桃が飾りに施されている可愛い髪留めを外し、躊躇なく綺麗な漆黒の長髪を胸の辺りでバッサリと切り落とした。


「父上、母上、私が婿候補として謁見して参ります!」

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