#5 「Remain」




 ライブハウス"Remain"。

 自宅から徒歩10分程度の場所にある義母の職場だ。


「……いつぶりだったかな」


 白い吐息が空へ昇っていく。


「前に連れて来た時はまだ5歳くらいだったと思うよ~」


 慣れた手付きで鍵を回し、洒落た装飾の施されたドアを開ける。

「う~、寒い寒い。暖房っと」店内の空調設備の電源を入れていく。


 内装は黒を基調とし、壁には灰色のレンガ調の壁紙が使われている。

 椅子やテーブルなども同様の色だ。


「在処は自由にしてていいよ。あと1時間くらいであの子達もくるからね~」


 手際よく準備をする義母に感心しながら、店内の壁に貼られた写真やサインを見て回る。

 その中にはメジャーデビューを果たしたバンドもあり、ライブハウスの知名度も上がっているのが見てとれた。


 そうして次にステージ付近をゆっくり歩いているうちに隅や装飾品のあるものが目についてくる。

 在処は指で装飾品に少し触れた。


「――――これは」


 目の色が変わったように表情が切り替わる。

 早歩きでカウンターの内側にいる義母のところへ向かった。


「お義母さん」


「ん? どした「掃除道具ある?」……うん、あるけど」


 義母は察した。

 在処の顔、声のトーンから幾度となく経験してきたあの状態に入っていると。


「よしっ」


 必要な掃除道具を取り出し、手際よく「これはあそこ、こっちは装飾……壁の写真のところは」独り言をつぶやきながら手を一切止めることなく掃除を始めた。


 在処は基本的にキレイ好きだ。

 家事をする時も細かいところの埃や塵などの汚れを面倒くさがらずにしっかりと取り除き、

 毎日気持ちよく過ごせる環境作りには余念がない。


 それから1時間近くが経過した頃、従業員が出勤し始める。


「店長、おはようございます」「おはよっす」「……おはよう」


「みんなおはようね。今日もよろしく!」


 従業員の1人、前髪に緑のメッシュを入れた女性が普段と違う店内の様子に気づく。


「あれ、店長。なんか店ン中めっちゃキレイになってないっすか?」


「あ、あーそれはね「お義母さん、一通り見えるところはやっといたよ」……この子がやってくれたの」


 在処は奥から背伸びをしながら出てくると、義母以外に3人いることに気づいた。

 そのうちの1人とは過去に何度か面識があり、義母に連れられて一緒に食事をとることもしばしばあった。


「あら、在処ちゃんじゃない。なあに店長、娘さんに掃除させてたのかしら?」


「んぐ」


「あはは、私が我慢ならずに強行しただけなので勘弁してあげてください佳代さん」


 苦笑いする義母をフォローする。


 一方、初対面となる他の2人は「ああっ! この子っすね! 店長のちょー可愛い娘さん!」「……やば、かわいい」と各々反応を示す。

 先に元気の良い緑メッシュの女性が自己紹介をする。


「在処ちゃんでいいんすよね。あたしは芦田 結城あしだ ゆうき! ピチピチの23歳!

 今は佳代さんからPAのお仕事とか色々教えてもらってる感じっすね!」


「在処です。いつも母がお世話になってます」


「え、めっちゃ礼儀正しい」


 人懐っこそうな笑顔でハキハキと喋る様は、在処から見ても好印象だ。

 在処自身は底抜けに明るい性格をしているわけではないので、少し勢いに押され気味ではあるが。


「在処、この子すごく元気でしょ。良い子なのよ~」


「ちょ、いきなり褒めないでくださいよ。照れるじゃないっすか」


「褒めてるからねえ」


(芦田さんとの仲は良さそうだし、安心だな。

 佳代さんとは学生の頃からの付き合いで元から仲は良いからこっちも問題なし。

 あとは……)


 次に美しく艶のある長い黒髪が特徴的な、和風美人が口を開いた。


「……雨宮 秋乃あめみや あきの、です。まあなんというか、色々やってます」


「秋乃はね、私のマネジメント業務の手伝いとか佳代のPA業務の手伝いをやってもらってるの。

 すっごく優秀な子だから毎日感謝してもし足りないくらいよ」


「……店長、褒め過ぎ」


 頬と耳を赤くし、照れる様は可愛いというよりも美しいという言葉が似合う。


「それってお義母さん、べん「違うよ」、おい」


 明後日の方向を見る義母に思わず男が出てしまう。


「佳代さん。うちのお義母さんをよろしくお願いしますね……こんな感じなので」


「そうね。家事も炊事も普段から在処ちゃんがやってるものね。

 ライブハウスの掃除までさせちゃって本当に……」


 背後に火柱が見えるような迫力を感じる佳代の表情におもわず「ひぃ」と声が漏れる義母。


「なにとぞ~、なにとぞ~」


 必死に佳代へ頭を下げる義母を見て、思わず笑みが溢れる在処。

 ライブハウスの従業員との仲も良好そうだと思い、安堵する。


「そういえば」


 佳代が唇に指を当て、思い出したように言った。


「在処ちゃん、最近ギターを始めたって聞いたけれど。ここのスタジオ少し使ってみる?」


 突然、提案されるも肝心の道具を持ち合わせていない。


「えと、ギター持ってきてないです」


「大丈夫よ。私の車のトランクにスペアギターがあるの。それを使っていいわよ」


 そこで在処は義母に目線を送ると、やたらいい笑顔でウィンクをしているので、問題なしとのことだ。


「あ、じゃああたしがドラムとかやっちゃったりしていいっすか? 普段1人でやってるんで寂しいんすよ~」


「……私も、ベースあるわ」


 他の2人も何故か乗り気である。


(スタジオでギターを弾いてみる話が一瞬で合わせをやる話になってる!?

 最近やっとこの身体で弾くのに慣れてきたところだし、やってみたくはあるが)


 あれよあれよという間にスタジオへ連れて行かれ、連続でウィンクをして遊んでいる義母だけが取り残された。





「あれ、みんなスタジオ行ったらカウンターも受付も私だけなんだけど。

 ちょっとー、みんなちゃんと店開ける時は戻ってくるんだよーっ!」


 そう叫び、義母はぽつんと途方にくれた。















「!? 佳代さ……ん」


在処は酷く動揺していた。

見た目も身体も9歳、心はおじ、お兄さん。


「ストラップの調整するからちょおっと失礼するわね~」


「は、はいぃ」


頬を赤らめながら弱々しく返事をする。

その様子を眺める他の2人は黄色い声を上げていた。


「きゃーっ! んぎゃわいい!」「……同意」


ドラムスティックを器用に回しながら興奮するピチピチの23歳。

ミステリアスな黒髪の女性は口に手をあて、「……ほぉ」と口角を上げているであろうことが容易に読み取れる。


一方、在処の内心は混乱の最中であった。


(ギターストラップの調整してるだけだからっ! 俺にやましいことは何一つないから!)


1人でできることを補助してもらっている気恥ずかしさと大人の女性が密着している緊張感で脳がオーバーヒート寸前。

他者からしっかり者に見えても、所詮は女性付き合いが苦手な一般男性メンタルに変わりはなかった。




機材の準備は手際よく短時間で終わり、まずは在処がどの程度弾けるのかを聴いてもらうことになった。

在処を除く3人は過度な期待はしておらず、経験年数、年齢相応の実力だろうと思っている。

相手はまだ年端もいかぬ子どもである。楽しむことを最優先にしていい。



――――弾きます



一言。


左手の指が滑らかに動きだす。

ピックが弦を抑える指に合わせてリズミカルに連動する。


音の雑味は殆どなく、必要な音が透き通るように3人の耳を駆け抜けていく。



曲名は〘まぶた軽い朝〙。


バンド活動一本に絞り、すべてのバイトを辞めた日の翌朝に思いついた曲。

歌詞の内容は身も心も軽くなったように感じる喜びやこれからの展望を描いていく楽しみに満ちたものだ。


(雲ひとつ無い青い空。肺の中にあった重い空気を全て軽く新鮮な空気と入れ替えたかのような爽快感。

あの頃は悩みが一気に吹き飛んで全能感にも似たものがあったなぁ)


在処はしみじみと昔を思い出しながらメロディを、歌を紡いでいく。


「~~♪」


身体が変わったことで以前よりもクリアな声質で響き渡る歌声は3人の耳に心地よく浸透していった。







 ******……






「すごすぎぃっすぅ~……」


結城は惚けたよう顔でスティックを持つ手をだらりと下げていた。


「……声が良くてかわいくてギターも弾ける。最強か」


秋乃も同じ表情でせわしなく口元にあてていた手を右往左往させ、行き場のない思いを発散させている。

ミステリアスな風貌から怪しい挙動を繰り返す不審者お姉さんにイメージチェンジしてしまっているが。


「在処ちゃん、ギターこんなに上手だったのね。曲もオリジナルよね?」


「あっ、はい。〘まぶた軽い朝〙って曲です」


それを聞いた佳代は目を輝かせて興奮気味に言った。


「作詞作曲までできるなんて……とんでもない原石、いえ、ダイヤモンドを見つけちゃったわ」

(でも、在処ちゃんは楽しんで弾いていたし。大人の都合で道を捻じ曲げるのも良くないわね。

後で念のため2人には釘を刺しておかないと)


若い、上手い、作曲できる。

こういった要素を高いレベルで併せ持つ人を他者は放っておかない。

むしろそれを最初に見つけた者として利を得ようとすることも珍しくはないのだ。

佳代は瞬時にそう判断し、当然在処の才能を知っているであろう店長に任せるべきと考えた。


「えへへ、ありがとうます。

あんまり褒められるとなんだか恥ずかしいですね」


この男、先ほど佳代と密着していた件もあってか、佳代の言葉に対しては感受性が跳ね上がっている。

照れている途中で「あっ」と重要なことを思い出す。


「あの、合わせ……するんですよね?」



「「「あ」」」



すっかり忘れていたと言わんばかりに3人はあんぐりと口を開いた。


この後30分ほど、リズムがズレたりしたものの楽しく演奏をする4人の姿があった。

その様子をトイレに行く振りをして見守る義母。

そして誰もいない受付。



この後、しっかりクレームが義母に届いたのは言うまでもない。







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