月花の神子と運命の黒

かける

【1】〈月花の神子〉

 

 松明の濁った煙が漆黒に流れる。雨上がり。村の周りの草原や林から、濡れた草木の匂いが立ち昇るが、伊砂那の足元はぬかるみきった泥の道。後ろ手に縄で縛められ、村人たちに囲まれ引っ張られ、連れられてきた先には、武装した一団がたむろしていた。


 統一された武器や衣服を纏う一団ではない。着たきりの着物に欠けた鎧。手入れのされきっていない、こぼれのある槍や剣。その粗野な出で立ちだけでも、低俗な野盗の集団と知れた。


 それでも、村人たちにとっては恐怖の対象だ。だから彼らは野盗たちに、伊砂那いさなを差し出すことにしたのだ。

 彼女は、特別であったから。


 雨を呼んだ黒雲が、駆ける風に追い立てられて空を飛ぶように流れていく。その雲間から、月明かりが射しこぼれ、彼女の乳白色の肌と、か細い輪郭を照らした。瞬間。

 その場の誰もが、感嘆に息をのんだ。

 肩口までの伊砂那の黒髪。それが、月光を受けるとともに、銀色に染まり変わったのだ。


「間違いない! こいつは本当に〈月花げっか神子みこ〉だ!」

 野盗の頭目とおぼしき男が、歓喜の声をあげた。


 奇妙な興奮にどよめきたつ空気に、ひとり、伊砂那は沈んだ眼差しを伏せる。

(仕方ない……。これは私の不注意だ)

 野盗たちは、伊砂那が――〈月花の神子〉が村にいると嗅ぎつけて、襲ってきたのだ。


 最初は、歓待だった。村長のひとり娘を、たまたま旅の途中の伊砂那が助けたからだ。ゆえに、旅の疲れを癒してほしいと、一宿一飯を申し出られた。その厚意を受け取ったのが、良くなかった。


 〈月花の神子〉は、月明かりを受けるとその髪の色が銀色に煌めく。だから、夜には伊砂那も注意を払っていた――つもりだった。


 だが実際は、夕暮れ時からの雨雲と豪雨に、月は出ないと油断していたらしい。

 夜半よわ。雨が上がった空の隙間から、いまのようにこぼれた月明かり。それに照らされて髪が銀色に染まり変わった一瞬を、あてがわれた離れの窓から、盗み見られたことに気づかなかった。それも、村のうちで最も性質の悪い男に。


 その結果が、これだ。悪しきものは、より悪しきものへ繋がって、男は己が村の安全より、野盗仲間でのほまれを選んだ。


「しかし、かしら。〈月花の神子〉さまは、陽牟加ひむかの〈まほろぼ〉においでというじゃねぇっすか。こんなつまらねぇ村にいるとは思えねぇ。なんらかのまやかしで化けてる、偽物じゃないんですかい?」


 首領の喜びに水を差す声があがったが、その口元に浮かぶ下卑た笑みが消えることはなかった。整えもせずに雑木のようにはやした髭をなぜながら、男は伊砂那を舐めるように視線で嬲る。


「んなこたぁ、俺もきちんと考えてるわ。いいんだよ、どうせ、本物かどうかは……」

 男の腰から抜き放たれた刃が閃いた。

「殺せば分かる」


 切っ先が、微動だにしなかった伊砂那の首筋を真横に掻き切った。吹き上がる鮮血に、彼女を引き連れてきた村人から悲鳴が上がる。


 〈月花の神子〉は、月の天女の祝福を得た、不死の者。その血一滴で、傷が癒える。その血を飲めば、不老不死となる。

 そう、言い伝えられていた。


(だから――……)

 見つかれば、不死を望む者に血を求めて殺される。

 分かっていたことだった。


 己の血飛沫を見つめながら、ゆっくりと伊砂那は背中から倒れていった。ぐしゃりとしたぬかるみは、春先の雨ゆえ、まだ冷たい。凍えた感覚が衣服を貫いて、肌を突き刺すようにどこか痛い。だがそれも、朧に溶けて消えていく。切れ切れの雲間から降る月明かりが、ぼんやりと霞んだ。


 けれど致死の傷を負ってなお、心の臓は動いている。ただ、眠りに落ちるように、五感が消えるだけだ。しばらくすればまた、首の傷は癒え、伊砂那は起き上がれる。

 喜びの声が聞こえた。胸元に耳を当てた手下から、鼓動の音の確認を取ったからだろう。首領の男が、杯を持てと叫んでいる。


(不死……。この血のもたらす呪われた不死の、なにがいいのだろう……)

 喉を焼き焦がす痛みとともに、落ちゆきそうな意識の片端で伊砂那は訝る。

 彼女の上にかがみこみ、杯に血をそそごうと伸びる腕が、不明瞭に映った。

 その時。


 その腕が、肘のところから切り離されて天高く空を舞った。

 今度は己が血飛沫に上がる男の絶叫と、どよめく周囲の驚きが、遠のきかけた伊砂那の意識を叩いて響く。


「いやぁ、出遅れた出遅れた」

 肩に温かい感触がした。抱きかかえられている。そう薄っすら認識すると同時に、伊砂那の視界に、かすか、彼女を抱き寄せている相手の腕が入り込んだ。黒布に覆われた腕だ。手首に飾りが巻き付いている。


(赤い、勾玉……)

 それだけが、暗い夜の闇の内、いやに眩く光って見えた。


「〈月花の神子〉を求めるのは、自分たちだけとでもお思いか?」

 笑みを携え、低い声が歌うように言う。挑発を纏う口調だが、その声質は、柔らかく心地いい。その声の主が、伊砂那を軽々抱き上げた。


「俺たちの方が、もっと前から探してた。もらっていくよ」

 怒声と惑い叫ぶ喧噪の中、悠長に宣言したその顔が、抱き上げられた腕の内から見えたような気がして――しかし、しかと分からないまま、伊砂那は眠りに等しい死に落ちていった。



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