第11話

 たーちゃんを送り出した後、アキちゃんは3年間、長野で蕎麦打ちの修行をしていた。お父さんの命の灯が消えそうなその時、お父さんはベッドの上で宙を見つめながら、「ああ、うまい蕎麦が食べたいなぁ」と小さくつぶやいた。アキちゃんの頭の中から、その言葉が離れることがなかった。

「最期にお蕎麦を食べさせてあげたかったなぁ…」

 そんなことを思いながら、アキちゃんはお父さんがいなくなった家の中を片付けていた。そのすぐそばで、たーちゃんは何度も宙を見上げながら、抱っこをねだるように両手を精一杯天井に向かって差し伸べた。1日に何度も何度も、「キュー、キューゥ…」と言いながら両手を挙げていた。きっと、お父さんを忘れられないのだろう? もしかしたら、たーちゃんにはこの部屋にいるお父さんの姿が見えているのかもしれない。しかし…。会社を忌引きしていたアキちゃんだが、お父さんに蕎麦を食べさせてあげるべきだったという後悔、そしてこのまま仕事に戻ったとして、1日中この部屋にたーちゃんを1人で放っておいていいんだろうかという戸惑い…。悩むアキちゃんは、ある日決心した。

「たーちゃんを信頼できるたっちゃんに預かってもらおう。その間、私は会社を辞めて蕎麦打ちの修行に思い切り打ち込もう」

 そう決心すると、アキちゃんはスマホでたっちゃんの番号をタップした。

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