第7話
JR中央線のある駅前にある牛丼屋。夜中から早朝がシフトのおとーさん、勤務明け間近のおとーさんはいつもこの時間、ヘトヘトだった。まだ20代前半の若さだったおとーさんだったが、体はもうボロボロに疲れていた。
「あっ、今日も来ている…」
昇りかけた陽の光が淡く差し込む牛丼屋の店内。一晩寝ないで働き続けたおとーさんはこの時間に厨房からカウンター越しに客席の時計を見るのが習慣だった。
「あと少しで上がりだぁ…」と言う時間にいつもその女性はやって来た。
「また、焼き鮭朝定食かなぁ?」
案の定、その女性はいつもその定食を注文し、出来上がった食事に箸をつけ、ゆっくりと口に運んだ。
このひとはここで朝食を摂ってから出勤するのだろうか? それとも大学に通学するのだろうか? 清潔感溢れるオフィスカジュアルなその服装からは、どちらとも判別できかねた。
「いつも美味しそうに食べるよなぁ…」
色白で清楚なその面持ちには、いつも微かな笑みが浮かんでいる。一口ずつ噛み締めるように焼き鮭を味わうその様子は、いかにも美味しそうであり、見ているだけでおとーさんのお腹はグーグーとなるのだった。
「ありがとうございました!」
女性は定食を食べ終え、店を出て言った。おとーさんは、そのひとが座っていたカウンター席を片付けにかかった。テーブルを布巾で拭いていた時、ふとテーブルの片隅に置き忘れた小さなイヤリングに気付いた。
「イヤリング…」
おそらくさっきの女性が忘れたシルバーの小さなイヤリングだった。追いかけるにしても、すでに女性の姿は雑踏の中。見つけることは難しかった。
「仕方ない。店で保管しておこう。おれ、明日もシフト入っているし、あのひともまた食べに来るだろう」
おとーさんは店の忘れ物入れの中にそっとそのイヤリングを入れた。そして、シンクに山積みになっている洗い物を片付け始めた。
「いらっしゃいませ。あっ、お客さん…」
店内に淡い日差しが差し込むいつもの時間。おとーさんは、あの女性が店に入ってくるのに気づくと、声をかけた。
「昨日、お忘れ物をしていませんか?」
「ええ、確かに。イヤリングがないと気づいて…」
おとーさんは、レジ横の忘れ物入れの中から紙に包まれたイヤリングを丁寧に取り出し、カウンターの席に座る女性の前にそっと置いた。
「こちらですよね。昨日、すぐに気づいて預かっておきました」
「まあ、ありがとうございます。母の形見の大切なイヤリングなんです。失くしたって思って落ち込んでいました」
その女性はうれしそうにお礼を言うと、受け取ったイヤリングを耳に付けた。そして、「焼き鮭定食をください」とオーダーした。
注文を受けて鮭の切り身がグリルに入れられた。ジュージューという音とともに鮭の焼ける香ばしい匂いがキッチンに漂った。
鮭を焼きながら、おとーさんはふと不思議に思った。
「あの人、なんでいつも鮭定食なんだろう? この店には他にも、牛丼はもちろん、納豆定食やハムエッグ定食、カレーだってあるのに…」
「お待たせしました!」と鮭定食を提供しながら、おとーさんはこの疑問を女性に問いかけた。
「だって、鮭は焼くのに時間がかかるでしょ。その分、長くこのお店にいることができるから…」
そう言うと、女性はニコッと笑い、鮭定食に箸を付けた。
「ごゆっくりどうぞ」
この女性の言葉の意味に気づいたおとーさんが「あーっ!」と声を上げたのは、この日の夜中のことだった。
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