第44話

 目を覚ますと、わたしは宇宙空間を漂っていた。


 遠くには真っ黒な球体と、それの周囲を周回する人工的な球体たち。


「サジタリウス……」


 ブラックホールの外にいた。あの女が言っていたことが本当に起きた。でも、どうやって。


「ちょっと――」


 周囲を見回す。わたしに似た女性の姿はどこにもない。


 いたのは、マークちゃんだけ。


 体をSに似たポーズで硬直させ、くるくると回転している。わたしは宇宙服から二酸化炭素を放出し、マークちゃんへと近づく。


「マークちゃん!」


 呼びかけに返事はない。だけども、体には傷一つない。ブラックホールに吸い込まれたのに、引きちぎられちゃいないし、スパゲティのように引き延ばされてもいない。


 それはわたしも同じだった。体どころか、宇宙服にさえ傷はなかった。


 理由はわからない。でもたぶん、あの女性が何かしてくれたに違いない。命を助けてもらっただけに感謝してもしきれない。


 だけども、今はそれどころじゃない。


「自爆まであと五分」


 マークちゃんの口からそんな言葉が飛び出して、わたしはびっくりした。オープン回線によるその無線は、この宇宙にいるありとあらゆる生命体に対する最後通告のよう。


「マークちゃん! しっかりしてよっ!」


 わたしは肩を掴んでがくがく揺さぶったけども、返事はない。外部からの入力をすべて拒絶して、殻に閉じこもっているみたいだ。


「そ、そういえば」


 残り四分、という言葉を耳にしながら、わたしは女性が言っていたことを思い出した。マークちゃんの首元に、リセットボタンがある。わたしにしか押すことができないボタンが。


 わたしは身じろぎ一つしないマークちゃんの首筋に手を伸ばす。宇宙服越しだから、何も感じない。どこを押せばいいのか試行錯誤していると、肩のラインと正中線が交錯する地点にかすかなへこみを見つけた。ボタンがあると言われなければわからないような小さなへこみだった。


 人差し指に力を込めて押し込むこと一分。

 

 何も起こらない。


「強制終了プログラムの起動を確認。……プログラムを停止しました」


「どうして!?」


 わたしの疑問に答えるかのように、マークちゃんの口が動く。


「ブービートラップによって停止しました」


「な……」


 わたしは唖然とした。このリセットボタンが使えないとしたら、マークちゃんを再起動させることができない。


 このままでは、マークちゃんが自爆するのを止められない。


「いや、確か」


 わたしは女性との会話を思い出す。こうなることは想定済みであるような口ぶりだった。リセットボタンが使えなかったら、どうにかしてフリーズさせろと言っていた。


 どうにかしろって。


「なんて投げやりなんだ……!」


 今更ながら、怒りがこみあげてくる。煙草をスパスパ吸っていた女性の顔が瞼の裏に浮かぶようだ。


 文句の一つや二つ言ってやりたいところだけれども、今はそんな余裕ありはしない。


 あと三分でどうにかしなければいけないんだ。じゃないと、マークちゃんが爆発して、今度こそいなくなってしまう。


 絶対に嫌だ。

 

 それに、女性との約束もある。簡単にはあきらめられない。


 マークちゃんをフリーズさせる方法……。


 …………。


「残り二分」


「あーもうっ! 何にも思いつかない!」


 わたしは頭をポカポカ叩く。ヘルメットにこぶしが当たるばかりで、痛みはまったくない。宇宙服を着ていることをすっかり忘れていたのは、目の前にマークちゃんがいたからだ。


 マークちゃん。


 わたしはマークちゃんを改めて見る。光のない目をあらぬ方向へと向けていた。その視界の先には、何もない。


 虚無がどこまでも広がっているだけ。


 わたしはマークちゃんが向いている方へと立ちふさがる。それでもマークちゃんはわたしのことを見てはくれない。


「ねえ、マークちゃん。わたしはあなたにすっごく感謝してるんだよ?」


「残り一分」


「……わかった。自爆したいなら勝手にしなさいな。わたしも勝手にさせてもらうから」


 返事はなかった。前のマークちゃんならうろたえるか前言撤回するか、もしくは落ち込んでそうだけど、やっぱり、プログラムに乗っ取られているらしい。


 プログラムに詳しいわけではないわたしには、どうしようもなかった。


 わたしにできることといったら、想いをぶちまけることくらいだ。


 ――素直に、わがままにさ。


「そうよね。素直になるべき、だったよね」


「自爆プログラム起動まで残り三十秒」


「マークちゃん。わたし、あなたのおかげでここまで来られた。本当は自殺するつもりだった」


「二十秒」


「生き返ったって意味ないもの。両親はひどいし、友達もいないしさ」


「十秒」


「あなたのおかげで生きる目的ができたわ。それに、今は死にたくないって思えてる。これってマークちゃんのおかげなのかな……?」


「五、四……」


「マークちゃんのことが好きよ」


 わたしはマークちゃんを抱きしめた。


 これで爆発されたっていい。死んだっていい。


 想いの丈をぶつけられたんだから、悔いはない。


 耳元でカウントダウンが聞こえる。


 ……2、1。


 ゼロ。

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