第40話
少しして、第五廃棄室の扉が開いた。窓から目をそらしてそちらを見れば、スミスさんだった。
「許可は取り付けたよ」
「ありがとうございます」
「大したことじゃないから気にしないで」
ほら行った行った。
そう言いながら、スミスさんがわたしの背中を押してくる。バシバシと叩かれているようで、ちょっと痛いけども、それが心の不安を麻痺させてくれた。
わたしは小さく礼をして、扉を開く。
第五廃棄室の中には、クウさんと話したあの和室で顔を合わせた面々もいた。つまりは兵士たち。彼らの視線がわたしへと集中する。
はじめはいぶかしむようなものであったけども、すぐに同情へと変わっていった。
「マークちゃんはどこ」
わたしが言うと、兵士の一人が奥の部屋を指さした。そこにはゴミが入れられる場所があって、ボタン一つで排出可能だからあんまりいじくるなよ、とかなんとか忠告を受けた。
ありがたい忠告に、わたしは返事をし、さらに奥へ。
潜水艦の扉みたいに重厚な扉をくるくる回す。その先に、マークちゃんはいた。
一目見て、わたしは悟った。
「マークちゃんじゃない……」
それはマークちゃんだったもの、と言った方が正確だった。
背後で、分厚い扉が大きな音を立ててしまった。びっくりしてしまうほどの音だったけども、マークちゃんはピクリとも動かない。
マークちゃんは椅子に座らされていた。手錠とか足かせとかは特になし。逃げ出す恐れがないからってことだろうか。
でも、わたしにとっては都合がよかった。拘束されているマークちゃんの姿なんて見たくない。
「ねえ」
返事はなかった。わたしのことを見ようともしない。虚空を見つめ続けている。
肩をゆすっても、目の前で手を動かしてもやっぱり反応はなかった。
わたしは椅子の隣に座る。
横にいるマークちゃんはピンと背筋を伸ばして、ただただ一点を凝視している。その目には何が見えているんだろう。それとも、何も見えちゃあいないのか。
「ねえってば」
再度呼び掛けても、やはり反応はなかった。
ブラックホールに近いからなのか、酸素はあるというのに息苦しい。わたしは腰にぶら下げたヘルメットを装着する。それでも苦しさに変わりはなかった。
今すぐにでも叫び出したくなる。でも、そんなことをしたら、隣にいる兵士たちにどう思われるだろう?
「襲われてるって思われるだろうなー」
そうしたら、今すぐにでもマークちゃんは投棄されてしまうかもしれない。
それは――。
何物たりとも吸い込んで放さない漆黒の球体へと落ちていくマークちゃん。
想像するだけで、背筋が凍った。
そんなの見たくない。
これまで、ずっと一緒にいた。マークちゃんがいなければ、わたしはここまでやってこられなかった。
ハーキスの宇宙船へと乗り込み、冥王星でハーリーが所有していたシルバーゴースト号を手にすることもなかった。
マルスルでは噴火に巻き込まれて何か月何年も足止めを食らったことだろう。もしかしたら、命を失っていたかもしれない。
全部全部、マークちゃんのおかげ。
それだけじゃない。この広大な宇宙という、生命が生きていくにはあまりに過酷な環境下で、マークちゃんはわたしの支えとなってくれた。彼女がいなかったら、とっくの昔に孤独に耐えられなくて、どうにかなっていたはずだ。
両親になんか言われただけで自殺したわたしなら、絶対。
「どうしたもんかねえ」
わたしは考える。マークちゃんを助ける方法はないものだろうか。
ない。あるわけもない。
わたしにはマークちゃんみたいな機能はない。自爆でもできたら脅せるかもしれないけども、わたしは頭からつま先まで人間。魔法も使えないし兵士と戦えるほどの力も頭脳もない。
人間社会でもどうにもできなかったやつが、銀河連合という地球人よりも優れた社会でどうにかできるわけがなかった。
――いや、一つだけ方法はある。
でもそれは、マークちゃんを助けることにはならない。むしろ、そう言ったことを一切合切投げ捨てて思考停止するのと同じだった。
「こんなことをするだなんてバカみたい」
マークちゃんに聞こえるよう、わたしは言った。返事がやってくることはない。別に期待してたわけじゃないけどさ、返事がないと寂しくなる。
わたしはきょろきょろと見まわす。廃棄用のコンテナは狭い。ボタンはすぐに見つかった。透明なカバーがなされた真っ赤なボタン。内側から押せるようになっているのはどうかと思うけど、わたしにとっては好都合だった。
カバーごとぶん殴る。
ピーっと一度だけ長い警告音が鳴ったと同時に、扉の方でガコンと音がした。
「外れた……?」
窓を見る。瞬く間にコロニーが離れていく。切り離されたコンテナがブラックホールへと引き寄せられていた。
わたしは椅子にもたれかかる。
かかる重力は落下とともに強くなっていくだろう。そうして、ぺしゃんこになる。わたしが先に、次にマークちゃんが。
「……何やってんだろ」
マークちゃんはありとあらゆることがどうでもいいという風に、微動だにしない。その手をわたしはつかむ。
パカっとコンテナの天井が開いたかと思うと、わたしとマークちゃんはブラックホールに落とされたのだった。
ブラックホールについて知ってること。
重力の塊で、星のなれの果ての一つ。光でさえもそのままは出られない監獄のような場所。そこに入ったものはすべからく重力に押しつぶされ原子一つひとつにまで分解されてしまう……。
その中がどうなっているかなんて、誰も知らない。光でさえも脱出できないために、確認するすべがないのだ。
そんなところへわたしとマークちゃんは落ちていく。
落ちる落ちる、どんどん落ちる。
物質がほとんどない空間を音もなく滑るようにただただ落下する。
ウサギを追いかけて穴に落ちてしまったアリスのように。
あるいは、無間地獄に囚われた罪人のように。
頭上を見上げれば、ぐにゃりとゆがんだ世界が広がっている。先ほどまでいたコロニーはヒョウタンのように引き延ばされ、今にもちぎれてしまいそう。
しかも、広角カメラで見たみたいに、見えなかったものさえも見える。でもそのすべてが、水中から見上げたみたいにゆがんでいた。向こうからわたしたちの方がゆがんでいるだろう。
体が伸ばされているような感覚がある。今はまだ耐えられそうだけど、いつか、わたしはどっかの国の刑罰みたいに引き裂かれてしまうに違いない。
なんちゅー自殺だ。
手をつないだまんまのマークちゃんを見る。なんの感慨もないらしい。その瞳はブラックホールみたいに光がない。
ブラックホール。
わたしは足元を見る。
黒々とした穴がわたしたちのことを待ち構えている。
「でも、こういうのもいいよね……?」
わたしとマークちゃんはブラックホールの中へと吸い込まれた。
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