第26話
トーストされた食パンからは、とっくにしけている。
わたしもマークちゃんも朝食に手を触れてはいなかった。
マークちゃんはじっと、ありもしないテーブルのシミを探していたし、わたしも彼女へかける言葉ってやつを探していた。
カチコチとどこかに置かれた時計の針が、規則正しく音を立てる。その音に急かされながら、わたしはあの女神面した女との会話を思い返していた。
女はとっておきのアンドロイドとかなんとか言っていた。あれは煽りかもしれないけども、案外、本当だったのかも。だって、自爆できるアンドロイドなんてそうあるもんじゃない。その爆発一つで世界を終わらせることができるのなら、なおさら。
そうだ。マークちゃんはどうして自爆しようとしないんだろ。
本当は自爆なんてできないんじゃないか――。
「マークちゃん」
「…………はい」
顔が上がる。暗い表情がわたしの方を向く。怯えたような眼はわたしではなく、わたしがどうするのかということだけをつぶさに見ていた。
「いつ自爆してもいいわ」
驚いたような視線がわたしをとらえた。
やっとわたしのことを意識してくれた。
「別に、マークちゃんの機能を疑ってるわけじゃない。いやちょっと違うか。疑問には思ってる。都合が悪けりゃおどしてくるくせにどうしてって」
マークちゃんは口を挟んでこない。黙って、わたしの言葉に耳を傾けていた。
「わたしはマークちゃんのことは嫌いじゃないよ」
本心からの言葉であった。わたしにとって嫌いなのは、両親、ピーマン、それからマークちゃんを押し付けてきたあの女。それだけ。
「だから、たぶん。マークちゃんを返却したりはしないと思う」
我ながら卑怯な言い方だ。曖昧でわたがしみたいにふわふわしている。
でも、これが今のわたしにできる最大限の譲歩。
今日この日までマークちゃんと一緒にいたけども、なんだかんだ楽しかった。それは間違いなかった。
アンドロイドとか、自爆するとか関係ない。
「あなたとずっといるかは約束できないしするつもりもない。だって、わたしは人間だもの。マークちゃんとケンカすることだってあるかも」
わたしは息を吸う。
一介の女子高生に過ぎないわたしにできることは、ただひたすらに実直であり続けることくらい。
――あんたはまじめすぎるのよ。
両親の言葉が、彗星のごとく頭をかすめていった。
だから何だ。
脳裏に響いた言葉にわたしは噛みつく。実直で何が悪い、マジメで何が悪いってんだ。
わたしをバカにすんなっ!
脳内で叫んだって、何かが変わるわけでもない。父か母どっちか、できれば両方代わってくれたらいいんだけど。
ため息がこぼれそうになって、慌てて口を閉じる。
目の前では、マークちゃんがじっとわたしのことを見つめてきていた。
「それでもいいなら。前みたいに一緒に話しましょう」
わたしは言った。言ってやったけども、猛烈に恥ずかしくなってきた。
顔がカッカしてきて、紫外線にやられたわけじゃないのに、すっごく熱い。今なら顔の上で湯が沸かせちゃうかも。
マークちゃんがいる方からは、ずるずると鼻をすするような音がしていた。
どうしたんだろう。顔を背けながら目だけをマークちゃんへと向けると、彼女は泣いていた。目から涙のしずくをポロポロ流し、落ちたしずくたちは汚れのないテーブルの上で、クラウンみたいに弾ける。
それが視界に入った瞬間、わたしの中を占めていた恥ずかしさが吹き飛んでいった。
「どうしたのよ。泣き出して」
「す、すみませんっ」
口元をゆがめ顔をくしゃくしゃにしながら、マークちゃんが言う。言っている間にも、涙は堰を切ったようにあふれ、ダムのようにあてがわれた手の隙間から、どんどん滑り落ちていた。しまいにはしゃっくりまで上げていた。
わたしは、彼女が落ち着くのを待った。
「ごめんなさい」最後の一滴を手の甲で拭って、マークちゃんは謝罪した。「取り乱したみたいで」
「別にいいわよ。いつも取り乱してるようなもんだから」
「……取り乱してましたか?」
「まあね。すぐに自爆しようとしたり抱きついてきたりするのは、取り乱してるっていうのよ」
「そうですか……変えたほうがいいですか」
「別に。マークちゃんが望むんならそれでもいいわ」
わたしの言葉に、マークちゃんは動揺しているようだった。濡れた瞳をこれでもかと大きくして、全身で驚いているみたい。
「そんなことはじめて言われました」
「みんななんて?」
「いらないって」
「でしょうね」
なんとなく、あの女がマークちゃんを押し付けてきた理由がわかったような気がする。
マークちゃんは売れ残っていたんだ。人類保護プログラムによって、アンドロイドが配布されるようになった。無料でもらえるとはいえ誰だってかわいい子がいいし、爆弾のスイッチを持っているような子は怖いだろう。
それで、返却された。
何度も何度も、そうされることに対する恐怖心が芽生えてしまうほどに。
「あなたもワタシのことを捨てるんじゃないかって。それで……」
「自爆を匂わせたってわけね」
コクリ。マークちゃんは頷いた。
小動物のようなぶれ続ける視線。他人にお伺いを立てるような眼。その眼には心当たりがある。
「わたしもそうするかもしれない」
「っ」
「だってわたし人間だし、コロコロ考え変わっちゃうかもしれないから、絶対ってはいえないの」
でも、とわたしは続ける。
「――それは今じゃない。少なくともこの瞬間においては一緒にいたいって、本気で思ってる」
こんな歯の浮いてしまいそうな言葉、口から火を噴いてしまいそうだ。慌てて「寂しいし宇宙船操縦できないしね」と付け加えた。そんな打算がないといえば嘘になるし、本当のことだ。
羞恥心に苛まれながら前を見れば、マークちゃんは唖然としたように口を開いていた。さっきもそうだけど、驚いた彼女ってばリスみたいでかわいい。
「そんなことを言われたのもはじめてです」
「そうなの? まあ、わかるでしょ。最初から嫌がってたやつもいたでしょうけども」
マークちゃんの容姿は、体格に見合わない『胸』以外は完成されている。いやむしろ、そういったアンバランスさを好む人もいるだろう。
「でも、みんな自爆機能のことを知ったら逃げちゃいました」
「誰だって死にたくないもの」
「あなたも?」
わたしはゆっくりと頷いた。「当然。わたしだって死にたくない。でも、自爆するってんならしょうがない。わたしには止められないしね」
「……よくわからないです」
「勝手にしろってこと。わたしはあなたがついてきてもこなくても、何とかして銀河の中心まで行ってみせる」
宇宙船の動かし方とか言葉の問題とかあるかもだけど、冥王星まで来られて宇宙船まで手にできたんだ。たぶんきっと何とかなるだろう。
「あ、あのっ」
「なに?」
「ワタシ、ついていきます! ついて行って、あなたをワタシがないと生きてけないようにしますから」
「なんだかそれって、怖いわね」
「グロテスクなことは絶対しません。できなかったら――」
一瞬、マークちゃんは目を泳がせた。
「できなかったら?」
「自爆します」
「――――」
「脅すためではなく、ワタシの覚悟です」
――ですから、あなたも覚悟、してください。
泣いていたためか赤くはれたようななっていた目を、虹みたいにアーチ状にして、にっこりと笑う。それは威嚇のための笑みというよりは、本心から生まれてくる類の笑み。
わたしは束の間、その屈託もない笑みに見とれてしまった。
そうしていたのを気取られたくなくて、わたしは。
「簡単に攻略できるなんて思わないことね」
不意にときめいてしまった手前、せいぜいそう呟くことしかできなかった。
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