第12話 終わる宇宙

 時は流れ、ビッグバン歴で数百億年が経過した。銀河群、銀河団といった銀河の集合体も、一つの超巨大楕円銀河にまとまっていった。これを仮にスーパー銀河と呼ぶことにしよう。スーパー銀河は、暗い星、一生を終えた星、中心の超巨大ブラックホールでできている。これが銀河集合体の最終形態となる。

 これ以上、スーパー銀河同士が出会って合体するようなことは決してない。宇宙の加速膨張によって、すべてのスーパー銀河は引き離され、孤立していく運命にある。風船に何点か等間隔で印を打っておいて、大きく膨らませると、基準点より遠くの印ほど大きく遠ざかる。これと同じで、宇宙膨張によって銀河が遠ざかる速度は、各銀河までの距離に比例する。数千万光年離れた銀河同士の場合、この法則が効いてくる。


 ビッグバン歴で一〇〇〇億年が経った頃だろうか、スーパー銀河の互いに遠ざかる速度がついに光速を超えた。光速以上の現象と聞くと、奇妙な印象を受ける。物体や情報は光速を超えて伝わることはないからだ。一方、宇宙そのものが膨張する速度に関しては特に制限がない。だから例えば、秒速一〇〇万キロメートルでスーパー銀河同士が遠ざかっても、驚くには値しないのだ。

 この頃になると、宇宙のどこへ望遠鏡を向けても、他のスーパー銀河は観測できない。銀河同士の比較ができないのだから、宇宙が膨張しているかどうか検証しようがない。もし天文学者が生き残っていたとしても、ビッグバン宇宙論の証拠はすっかり失われているのだ。夜空を見上げても赤くて暗い星ばかり。この時代の知的生命は宇宙に興味が持てなくても無理はないと思う。


 初期の超高温宇宙で生まれた光は、三八万年の間、電子という雲にぶつかって散乱し、まっすぐ直進できなかった。宇宙が膨張して温度が絶対三〇〇〇度まで下がると、原子核が電子を捕まえて、光はようやく直進できるようになった。飛行機に乗っていて、雲を抜けた時のように視界が開けたので、これを地球人は「宇宙の晴れ上がり」と呼んだ。

 その電波は宇宙の膨張で引き伸ばされ、今や微弱なラジオ波になっている。この時代を生きる知的生命にとっては検出が非常に難しい。もっと波長が伸びると、スーパー銀河内の電離したガスに阻まれ、初期宇宙の光は完全に届かなくなる。

「昔々、古の神話によると、宇宙のはじまりにビッグバンというものがあった」

ビッグバン宇宙論は老人のほら話になっているかも知れない。

「昔の地球人は他の銀河を観測して、宇宙が膨張していると考えたらしい」


 クリスチーネ号が孤立したスーパー銀河を抜けると、そこはもう宇宙の終わりと実質同じではないかと思った。ここから先は、天体がまったく存在しない暗黒の虚空が広がっているだけだ。厄介なことに、いくら亜光速でロケットが進もうと、次のスーパー銀河は光速以上で遠ざかる。僕たちはこれ以上、どこにも到達できない。無限に空虚な空間を、永久に漂うだけだ。ここには燃える太陽もなければ、動く地球もないのだ。

 今や時間も空間も、完全にその意味を失ってしまった。

 時間とは何か? それは不可逆な物事の推移を通して認識する時の経過である。人間は普通、地球の自転や公転から時の経過を認識する。

 空間とは何か? それは目の前に三次元的な膨らみがあると認識すること。この点Aとあの点Bを指定し、AB間の距離を認識する場合にはじめて意味がある。この点とあの点の区別がまったくつかない時、そこに空間が定義できるだろうか? やはり天体あってこその空間、天体の運行あってこその時間なのだと僕は思う。


 宇宙の未来を考えるのも虚しくなってきた。この先、膨張宇宙にはそれほど大したイベントは残っていない。悠久の時が流れ、一〇〇兆年後、すべての星が燃え尽きるだろう。スーパー銀河は暗黒の世界になる。一〇〇京年後、中心の超巨大ブラックホールが周囲の死んだ星を飲み込み、旺盛に成長を続けている。その勢いで周囲の細かい星が弾き飛ばされたりして、スーパー銀河も解体されていく。


 一〇の三四乗年以降になると、原子核が崩壊する可能性が出てくる。原子核が消えれば、原子は消え、地球を構成していた普通の物質はすべて消えてなくなる。水素にヘリウム、炭素に酸素、鉄やその他の金属も、何もかもなくなる。宇宙に残る粒子と言えば、光、電子、陽電子、ニュートリノ、あとは他の物質とほとんど反応しない暗黒物質、それだけになる。


 あの超巨大ブラックホールだって、一〇の一〇〇乗年、気が遠くなる時間が経てば、蒸発して消え去る。一般的にブラックホールの温度は自身の質量に反比例する。つまり蒸発が進んで軽くなるほど熱くなる。一〇〇〇兆度を超えると、ヒッグス粒子も暴れだし、蒸発速度に拍車がかかる。宇宙の終末を飾る大爆発があちこちで起こるだろう。


 いっとき、宇宙は光に包まれるかも知れないが、それも一瞬のこと。やがてすべてのブラックホールが蒸発して、宇宙は空っぽになる。それだけのことだ。僕はすでにブラックホールの蒸発とか、どうでもよくなってきた。生きる気力をなくしてしまったのだ。僕は意図的に意識のスイッチを遮断した。

 それでは、宇宙よ、おやすみなさい。

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