第8話 星間ロケット開発

 誰にでも眠れない夜というものがある。

 そんな夜、僕は望遠鏡を覗き込んで星を観察する。星は天然の核融合炉だ。地球上の物質はすべて、元を辿ればどこかの星で生まれた星屑だ。星空を見上げると懐かしい気持ちになるのは、僕の身体が星屑で出来ているからなのか?

 宇宙は天然のタイムスコープだ。

 広大な宇宙において、空間の隔たりは、時間の隔たりに等しい。遠くの宇宙を覗くほど、過去の宇宙の姿がよく見える。例えば北極星は地球から四三〇光年離れているから、今見えているのは四三〇年前の姿だ。この光年という言葉には、光を通して時間と空間が結びついた非常に美しい響きがあると思う。


 この宇宙はおよそ一三八億年前に、超高温超高密度の火の玉として誕生したという。いわゆるビッグバン宇宙論を信じるなら、二〇〇億年くらい昔の宇宙を考えるのはナンセンスなことらしい。何しろ宇宙が生まれる前には時間も空間も存在しなかったのだから。

 真空とは何か? それは最低エネルギーの状態であって、決して空っぽの空間ではないらしい。完全な無でなく、常に有と無の間を揺らいでいる。最初の宇宙は、このような無の中から、素粒子よりはるかに小さな存在として突然ポコッと出現したらしい。生まれたての宇宙はまるで坂道を転げ落ちるボールのように、インフレーション膨張(倍々ゲーム式の加速膨張)を始める。

 真空のエネルギーはいくら引き延ばされても密度が変わらない性質があるので、宇宙空間が広がるほど、その内部には膨大なエネルギーが生まれる。このエネルギーが星や人間、すべての物質を生み出すもととなった。真空の相転移とともにインフレーションは終わり、真空のエネルギーは熱に変わった。こうやって宇宙は超高温超高密度の火の玉になったらしい。

 生まれてから膨張する一方だった宇宙だが、この膨張は永遠に続くのだろうか。それともどこかのタイミングで自らの重力に負けて収縮に転じることがあるのだろうか。宇宙の未来に関する興味は尽きない。


 あるいはもっと身近な問題を考える。六〇億年ほど先の未来、老いた太陽は巨大化して地球を丸飲みにする、という予測がある。仮に飲み込まれなかったとしても、とっくの昔に赤色巨星にあぶられて、火炎地獄のような死の惑星になっているだろう。その頃の地球は気温数百度、分厚い炭酸ガスの雲に覆われた金星のようになっている。人類はおろか、単純なバクテリアでさえ、とても生存できないだろう。

 そんなことを考えているうち、僕はいつしか、地球という「ゆりかご」を脱出したいと願うようになっていた。宇宙という単語には元々、すべての時間、すべての空間という意味がある。僕は究極的には「宇宙の果て」を見届けてみたい。この願いが叶ったら、凡庸で退屈な人生に満足できるはずだ。全く、人間の好奇心というものは、本当に理不尽なものだと思う。

 もっとも、一個人が「宇宙の果て」を目撃するなど荒唐無稽な話に思える。しかし、決して不可能ではないのだ。どんどん加速を続ける宇宙船に乗ることさえできれば、未来へのタイムトラベルは意外と簡単なものになる。


「高速で運動する物体ほど、時間の進み方は遅くなる」


 特殊相対性理論の導いた真理の一つだ。光の速さに近づくほど、時間はゆっくり流れるということ。光速の九〇パーセントで進む宇宙船内では、地球時間の〇・四四倍のスピードで時間が流れる。光速の九九パーセントで進む宇宙船内であれば、地球時間の〇・一四倍になる。宇宙船内で一年経つ頃には、地球では七年の歳月が経っているということ。

 光は質量も大きさも持たない。一切の抵抗を受けず、この宇宙の制限速度そのもので走れる特別な存在とも言える。どんな物体も光より速く移動することはできない。しかし、ひたすら加速していけば、限りなく光速に近づくことはできるだろう。その時、宇宙船内の時間の進み方は極端に遅くなる。例えば、船外で何百億年、何千億年経とうが、船内ではたったの二週間ということが実際にあり得るのだ。

 

 僕は娘の一人に、恒星間航行を目的とする次世代ロケットの開発を命じた。

「金はいくらでも出すから、反物質ロケットとか作れないか?」

 反物質とは、通常の粒子と質量は同じだが、電荷などの向きが反対の粒子でできた物質のことだ。物質と反物質が出会うと、光を放って共に消滅するので、猛烈な推進力を得ることができる。そのエネルギー効率は核融合をはるかに上回るらしい。

「無理、じゃないですかね」と娘は言った。「反物質には、陽電子とか、反陽子とかありますけど、加速器の中で一瞬できる程度で、とても大量生産できる代物じゃありません」

「そうか、残念だな」と僕は言った。

「少しは考えてものを言ってください」と彼女は言った。「反電子、反中性子、反陽子からできた反原子だって存在しうるはずです。しかし、反物質でできた人間、星、銀河など聞いたこともないでしょう?」

どうだろう、と僕は思った。この宇宙のどこかには反物質でできた反自分が居たりしないだろうか。もしも二人が運命的な出会いを記念して握手でもしたら大変なことだ。

「反物質には保存の問題もあります」と彼女は言った。「仮に反物質の生産が上手くいったとしても、すぐに普通の物質とくっついて消滅します。保存する容器は何で作ればいいのか、見当もつきません。エキゾチック物質とか、そういう空想上の概念を持ち出すのはナンセンスでしょう。そうした理由で反物質ロケットの開発はどうやったって無理だと私は思います。どちらかと言えば、星間ラムジェットロケットの方が、まだ実現可能性があります」

「よかったら、詳しく説明してくれないか」と僕は言った。

「核融合と聞いてがっかりしないで欲しいのですが」と彼女は言った。「このタイプのロケットは、パラボラアンテナ状の装置から強力な磁場を発生させて、星間物質、主に水素をかき集めて核融合の燃料にします。加速に必要な燃料は宇宙で調達するのです。というか宇宙空間そのものが燃料となります」

「ほう、それは期待できそうだ」

「はい」と彼女は頷いた。「核融合エンジンを起動する為の初期燃料さえあれば、理論上はいくらでも加速できますので、お父様のお望み通り、光速に限りなく近づけるでしょう。通常、星間物質は高速ロケットと摩擦を起こして船体を破損させる危険があります。そうなれば強烈な放射線で乗組員は即死です。しかし、このタイプのロケットは星間物質そのものを吸い込んで燃料にするので、この問題を回避できます。もし開発に成功すれば、人類は天の川銀河を飛び出し、銀河宇宙を旅できるようになるでしょう」

 しかし、と彼女は苦々しい表情で言った。

「水爆とか核融合とか、今までは重水素で研究を進めてきたわけです。宇宙にあるのは水素原子の方なので、技術的にはより困難なものになります。また、水素をかき集めるための強力な磁場発生装置はどうやって作るのか、光速近くの航行に耐えられる船体はどうやって作るのか、課題は山積みです。でも、やってみせます」

「わかった、君に任せる」と僕は言った。「一〇〇〇年だって待つさ」

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