第7話 知能情報エンジン

 かつて僕が関わった人たちの魂がランダムに燃やされていた。

 それは衝撃の事実だった。僕はがんが寛解したと喜んでいたけど、その裏では誰かが犠牲になっていただけなのだ。魂を薪にされた僕の関係者には気の毒だと思った。しかし、ここで立ち止まっているわけにはいかない。僕には情報熱機関を実用化するという崇高な使命があるのだ。

 僕は都築教授と共同で悪魔の力を再現する方法についての研究を始めた。彼女は、それであなたが満足するなら、好きなだけ研究しなさい、と協力的な態度を示した。しかし、従来の熱機関と作動原理が大きく異なるため、研究は難航を極めた。というか、コンピュータの能力に限界があり、研究が上手く進まなくなっていた。


「チクショウ、どうすれば君の力を真似できるんだ」と僕は愚痴をこぼした。「君個人の能力としては確かに凄い。はっきり言って神業だ。しかし欠点もある。同時に二つの仕事はできない。燃やす魂は、君と契約した本人かその関係者に限られる。まあその課題は置いとくにしても、工業技術の場合、神業ではなく、誰にでも再現できる方法が重要なんだ。一つの可能性としては、君の分身を複数体用意することだが、どう思う?」

「いつも研究、お疲れ様」と彼女は労いの言葉をかけた。「私のコピーを作るっていうのは、いいアイデアだと思うよ。問題は情報処理デバイスの方をどうするかだよね。私がやっている仕事は、人間の魂を燃やし、物理世界のエントロピーを下げて、奇跡を起こす。この仕組みに汎用性を持たせるには、巨大な記憶デバイス、そして量子演算が可能なコンピュータが必要になると思う」

「そんな高性能コンピュータなんかどこにある?」と僕は尋ねた。

「この際、あなたが作ればいい」と彼女は言った。「ブラックホールの情報量が、その表面積に比例するように、人間の脳を並列につなぐことで大容量記憶装置が作れると思う。それは従来のコンピュータみたいに、情報を一個ずつ処理するんじゃなくて、〇と一を重ね合わせた量子ビットで一括計算して、結果を確率的に出してくれるはず」

「要は、人間の脳みそを使った薪ストーブか」と僕は言った。「まさに悪魔の仕業だが、もしもそのアイデアを実行するとしたら、どんな人間を薪にすればいい?」

「合理的に考えるなら、子どもの脳が最適ね」と彼女は言った。「記憶容量がたくさん残っているし、神経回路を作る力も強い。貧民街にいる子どもをさらってきて、隔離施設に収容すればいいんだよ。人類発展の尊い犠牲になってもらおう。魂を燃やすって言っても、傍から見れば認知症が進むだけだし。それに、生まれたての子どもが金になるってわかれば、人間は子作りに励むでしょう。産めよ、増やせよ、地に満ちよ」


 僕は都築教授と連名で、『知能情報エンジン』の理論と可能性について論文にまとめた。その論文は一流科学誌『ネイチャー&サイエンス』に掲載され、大きな反響を呼んだ。そして実際にマウスや人間の脳を並列につなげて、その魂を燃やす情報熱機関を作り上げた。技術の基本特許も取得し、株式企業を立ち上げた。初めは人権団体に難色を示されたが、すぐに会社は莫大な利益を上げるようになった。

 人間は魂を燃やされる「薪人間」と「暖を取る側」に大きく分けられた。「薪人間」からは人権が剝奪された。もはや法的システムが中世時代に後退していたのだが、その指摘は大多数の「暖を取る側」によって黙殺されてしまった。「薪人間」は、法律上は戸籍が抹消され、死人とか人間狼扱いになってしまうので、何をされても文句が言えないのだ。


 それから長い月日が経った。『知能情報エンジン』は瞬く間に全世界に広がった。成熟国家でも人口は急激に増加し、巨大産業文明が発達した。「薪人間」の生産ペースを追い越さない限りは、エネルギーを無駄遣いできるようになった。大気中の炭酸ガスをかき集めて、炭素と炭素の結合を作るみたいなエネルギーの浪費も平気でやるようになった。

 そのうち、生命も意のままにデザインできるようになってきた。はじめのうちは、人間のバグみたいな機能を修正する方向に技術開発のリソースが向けられた。例えば、糖質を食べ過ぎても太らない身体、寝たきりでも腐らず、筋肉が維持できる身体が開発された。さらに窒素原子を上手く循環させることで、外部から肉とか魚といったタンパク質をほとんど取らずに済む人体がデザインされた。

 不老長寿の研究も熱心に行われた。何度も蘇生するベニクラゲや、非常に寿命が長いハダカデバネズミの遺伝子解明が進み、人体へ応用されていった。死とはエントロピーを捨てられなくなることで訪れる現象である。ベニクラゲのように巧みにエントロピーを外に捨てることで、ほとんど不老不死の身体が完成した。


 今のところ、太陽は輝き続け、地球は絶対六〇〇〇度の放射エネルギーを受け取っている。その一方で宇宙は膨張してマイナス二七〇度という極低温の冷たい状態を保っている。地球で増えたエントロピーなど、エネルギーの流れに乗せて、いくらでも宇宙空間に捨てることができた。

『知能情報エンジン』は、メモリ消去を行う際、何の特徴も持っていない、のっぺらぼうの電波を宇宙空間に向けて放射した。それはブラックホールが放射する電波によく似ていた。多くの情報が失われており、何も有効なデータが読み取れない、非常にエントロピーの大きな電波なのだ。『知能情報エンジン』は地球のエントロピーを下げ、次々と豊かな構造を生み出していった。

 巨大産業文明は絶頂期に達し、人類はかつてないほど栄えた。


「どうです、人生に満足できそうですか?」

 メフィストは僕にすり寄ってきて尋ねた。

「情報熱機関を巧みに利用したクリーンエネルギー、不老不死の身体、巨万の富、絶大な政治権力、いつまでも若く美しい奥様に、二人の優秀な娘さん、温かい人間関係。もう十分でしょう、ここで時間が止まれば最高だって思いませんか?」

「果たしてそうだろうか」と僕は言った。「人間の幸福は絶対的なもので、他者からの評価で決まるものではない。これで人類は百万年の幸せを手に入れたと言えるだろうか。まだだ、まだ何かが足りない気がする」

「もう、欲張りな人ですねえ」と彼女は言った。「一体何が不満なんですか?」

「自画自賛になるかも知れないが」と僕は言った。「君を真似した情報熱機関は最高の発明品だったと思う。しかし、本質的には空間に取り付けた窓を小人に開閉させて、粒子の選択をしているに過ぎない。決して自らエネルギーを生み出しているわけではない」

 当たり前のことだが、地球を暖めているのは太陽だ。石炭も石油も、元は何億年も掛けて太陽のエネルギーが結晶化したものだ。やはり太陽は偉大だ。原始宗教の多くが太陽を神と崇めた気持ちが、今の僕にはよくわかる。

「僕たちは実際、エネルギーの流れに乗せて、上手くエントロピーを捨ててきたと思う。だけど、太陽が滅ぶ時、地球もまた滅ぶ運命にある。それがひどく虚しい」


「あら、気付いてしまったんですね」と彼女は残念そうに言った。「でも、太陽が燃え尽きる前にロケットで地球を脱出しても同じことですよ。仮に第二の太陽と地球を見つけて移住しても、その太陽にも寿命がありますからね。いくら星の核融合と言っても永遠ではありません。水素燃料が尽きるまで、せいぜい百億年の命です。だから結局、どの天体に辿り着こうと、あなたがた人類は滅びる運命にあるのです」

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