第6話 悪魔の正体
大停電の復旧には半年くらい掛った。政府は仮想敵国の仕業だと説明したが、核爆発の当日に、この国の本土上空目掛けてミサイルが発射された記録は何一つ見つからなかった。混乱がある程度収束した後、僕はメフィストの正体を探るべく、K**大学大学院工学研究科の都築研究室を訪れた。都築教授の専門は情報熱力学という比較的新しい分野だ。
「情報はエネルギーに変換できる」
都築教授は静かに語り始めた。
「これは近年の物理学で明らかになった事実であって、私の妄言や冗談の類ではありません。すべての生物には熱い魂や情報を燃やして、エネルギーに変換するしくみが備わっているのです。例えば、我々の全身の細胞膜にもこの機能が宿っています。この細胞膜には、濃度勾配に逆らってイオンを運搬するポンプがあります」
「なるほど」と僕は相槌を打った。
「ATPはご存じですか?」と彼は話を続けた。「アデノシン三リン酸の略で、生物にとっては、まあエネルギーの通貨みたいなものです。ATPのエネルギーを使ってタンパク質の形を変えると、そこには情報、偏ったポテンシャルが発生します。この情報を使って、ジグザグ運動するイオンを薄い方から濃い方へと運ぶのがイオンポンプのやっている仕事です。このように、情報をエネルギーに変換する装置のことを、我々研究者たちは『情報熱機関』と呼んでいます。あるいは一九世紀の科学者ジェームズ・クラーク・マクスウェルが空想した『悪魔』と呼ぶ人もいます」
「生命はなぜこんな面倒くさい、一見回りくどいエネルギー変換システムを採用しているのか? 一つの仮説として考えられるのは、情報熱機関は『ツケが効く』ことです。もしかすると、支払いを後回しにできるシステムが生命の存続に有利に働いたのかも知れませんね。では、具体的にそのしくみを追っていきましょう。情報熱機関は、次の三つのサイクルを繰り返すことで連続的に動くことができます」
彼は手早く白板に三行のメモを書き付けた。
①悪魔は観測によって部屋の情報を取得する。
②情報を利用して部屋の「温度差」を作り出し、有効な仕事を取り出す。
③情報記憶を消去して、次のサイクルに備える。
「結構、シンプルでしょう。ただし、普通のエンジンと大きく異なるのは、燃料を必要とするタイミングです。①ではなく、③の過程で燃料を燃やすのです。先に仕事をさせて、後から燃料を注入できるのです。これでも辻褄はちゃんと合っています」
「ふむ」と僕は言った。「悪魔は情報を利用することで、古典的な熱力学第二法則を破っているように見える。しかし、情報を包括した広い意味では、やはり第二法則に縛られている」
「ええ、そういうことです」と彼は言った。
僕はそこまで話してから、教授にメフィストのことを紹介した。信じてもらえるかわかりませんが、実は僕の肩に乗っている小悪魔の娘が今回の核爆発の元凶だったんです、と。僕はある事情があって悪魔と契約し、数々の実験を進めてきたのだと自白した。
「はじめまして、メフィストです」と彼女は言った。「お会いするのははじめてですが、私の正体をよくご存じのようで光栄です。上手く見透かされちゃったみたい」
「これは、はじめまして」と教授は言った。「君があの爆発を起こした。もしそれが事実だとすれば、君はずいぶんと広大な記憶スペースをお持ちのようだ。しかし、いくら広いといっても地獄あたりに無限の記憶格納庫があるわけじゃないでしょう」
「もちろん」と彼女は認めた。「無限なんてものは大抵まやかしです」
「であれば、情報記憶のデフラグが必要になるはず」と彼は言った。「人間が夜寝る時のように、不要な情報を捨てて、記憶を整理しないと君は生きられない。その時にこそ燃料が必要になる。しかし君は自分でツケを払いたくないから、他人にエントロピーの増加を押し付けるのではないですか?」
「ピンポン」と彼女は言った。「ピンポンピンポン、察しがいいですね。そう、私は人間の魂を燃料にして、奇跡を起こしていました。この地球には一〇〇億の人間がいて、一人ひとりに脳という大容量情報処理デバイスがくっついているわけですから、これを利用しない手はありません」
「ちょっと待ってくれ」と僕は言った。「君は僕の魂を無傷で手に入れたいはずだ。じゃあ、僕が奇跡をお願いする時は、別の誰かが犠牲になっていたのか?」
「ええ、あなたの関係者にツケを払ってもらっていました」と彼女は告げた。「かつての会社の同僚、家族、学生時代のクラスメイト。そういった人たちの魂を薪にして、少しずつ燃やしてきました」
「なぜ、今までそれを黙っていた?」と僕は尋ねた。
「うーん、質問された記憶はないかな」と彼女は答えた。「ちなみに、燃やされた魂はもはやデータとして読み出し不可能な状態になります。百科事典を燃やして、灰と煙をすべて取っておくようなもの。薪にされた人間は、だんだん感情や記憶を失って、発狂、廃人化して最終的には死に至るでしょう」
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