第5話 高高度核爆発

 僕は退院から一ヶ月後、会社に退職届を提出した。やりたいことが見つかったのだ。悪魔の力の使いどころと限界を見極め、自分で新たに事業を起こしたい。会社なんか行っている場合ではない。同僚たちには先が長くないと誤解されているかも知れない。まあ誤解させておけばいい。僕は手術の晩、一度は死んで生まれ変わったみたいなものなのだ。


 その日は実験のため、日が高いうちに県北の山に向かった。車で三時間ほどかけて、都市部から逃げるように距離を取り、緑の影が深い山に到着した。それから湖のほとりに車を止め、折り畳み式の椅子を広げてそこに座った。

「また、ずいぶんと山の中に来たものね」と彼女は言った。「今日はキャンプでもするつもり? それにしてはテントも食事も持ってきていないようだけれど」

「ここには実験の為に来た」と僕は言った。「今日も一つ、君の力を借りたい」

「はいはい」と彼女は気のない返事をした。「それじゃあ早速、実験の目的、材料、方法について簡潔に教えてもらえるかな」

「ここは西部の花崗岩エリアで、ウランが手に入りやすい」と僕は言った。「かつては国策でウラン採掘を試みた時期もあったらしい。まあ結局は失敗に終わって大量の放射性残渣が残されたわけだが。それはともかく、今回は君の力で、この一帯に薄く広く散らばったウランをかき集めて欲しい。あとはわかるだろ? 僕が欲しいのはウラン型核爆弾だ」


「今度はまた、すごいリクエストね」と彼女は言った。「あなたは個人で、核保有国の仲間入りがしたい。そういうこと?」

「それもある」と僕は言った。「だけど、核爆弾は使ってはじめて価値がある。今夜のうちに核実験がしたい。大気圏内で爆発させよう」

 いわゆる核物質のウランは地表や地中や海に薄く広く散らばっている。しかも核爆弾に使える割れやすいウランは、ウラン全体のたった〇・七パーセントしか存在しない。非常にエントロピーが大きな状態で存在している。そういう事情もあって、普通は原子炉でプルトニウムを作り、再処理工場でプルトニウムを回収して、核爆弾の材料にする。

 自然任せでは絶対にあり得ないことだが、彼女のエントロピーを下げる能力なら、割れやすいウランだけを一箇所にかき集め、純度一〇〇パーセントの砲身型核爆弾が作れるだろう。せいぜい数十キログラムのウランがあれば、臨界量に達する。


「核実験か、いいね」と彼女は言った。「仮想敵国で爆発させようか?」

「それも悪くないが、ターゲットはこの国だ」と僕は言った。「核爆弾は、平和ボケしたこの国の頭上で炸裂させる。誰が国家を牛耳るべきか、それを暴力で見せつける」

「それ、本気で言ってるの?」と彼女は言った。「私は悪魔だから、人間がいくら死んだって全然構わないんだけど、魂がもったいないとは思う。それに、古今東西の独裁者を見てきたけど、虐殺なんかやったって人生に満足はできないと思うよ」

「なぜ僕が核爆弾を欲するのか」と僕は言った。「順を追って説明しよう」


「この国では一昔前、史上最悪の核発電所の事故が起きた。まず大地震で原子炉周辺が損傷し、更に津波が追い打ちをかけた。当時運転中だった三基の原子炉の冷却ができなくなり、炉心は完全に溶け落ちた。ドロドロに溶けたそれはおそらく床のコンクリートと混然一体になって地下に沈み込んだのだと思う。僕は大停電の暗闇の中、避難所で事故のことを知った。原子炉建屋が水素爆発で吹き飛び、白煙を上げている。あの光景が目に焼き付いて離れないんだ。あれはもう、この世の終わりだと思った」


「あの事故によって一〇万人、いやもっと大勢の人が故郷を追われた。初期の核爆弾に換算して、数百発分もの『死の灰』が大気に海にまき散らされた。一度、ああいった核災害が起こると、地域の住民と共にあった歴史や文化が丸ごと消滅する。土地が失われてしまう。これは本当に恐ろしいことだと思う。

 幸いなことに、放射性物質の大半は海に落ちた。地表に向かった放射性物質は、当時の風向きにもよるが、薄く広く落ちていった。それで特定の疾病が増えたかどうか、よほど詳細な調査をしない限り、証明しようがない。だが、それらの『死の灰』は、もともとあの電力会社の所有する核発電所の敷地の中にあったものだ。あの事故によって地域住民も、国民も、本来受ける必要のない被ばくを上乗せされた。これは間違いのないことだと思う」


「核発電所は安全で事故なんか起こるはずがない。そう言っておきながら、国と電力会社は都会から遠く離れた山間僻地の沿岸に原子炉を並べた。わざわざウランを核分裂させて何をやっているかと言えば、お湯を沸かしているだけだ。蒸気でタービンを回して作った電気は長い送電線で都会へと送られてきた。事故が起きても、核発電所の恩恵を受けてきた都会の人々は誰も責任を問われない。僕にはその差別的な構造が許せないと思った。そもそも核発電所はリスクの特定ができないという致命的な問題を抱えているし、処分方法のわからない『死の灰』を未来の世代に押し付けるのはあまりにも無責任ではないか。僕はそういう思いを抱えて生きてきた」


「せっかく素晴らしい力を手に入れたんだ」と僕は言った。「前代未聞のテロリストになってやる。僕はこの国の頭上で核爆弾を炸裂させる。ただし、今回のテロで直接死者は出したくない。よって、ウランは成層圏で爆発させる。この場合、熱線、爆風、放射線は地上に届かないが、強烈な電磁パルスは半径数百キロにわたって大停電を起こすだろう」

一時的にせよ、この国を電気の使えない時代に戻してやるのだ。

「まるで悪魔みたいな発想ね」と言って彼女はケラケラ笑った。


 成層圏でのウラン集結作戦は、実にゆっくりと緻密に行われた。不完全な臨界を防ぐ為、ウラン塊は凸と凹の半球に分けて作っていって、最後に両者を合体させる。彼女はとても視力がよい。月面上のゴルフボールだって発見できる望遠鏡みたいに。僕の方は気球に乗って成層圏の様子を見に行くわけにもいかない。

 作業を彼女に任せている間、僕は車に戻って寝袋で仮眠を取ろうとした。しかし、夜の山は冷え込みが激しく、とても熟睡できたものではなかった。僕は寒さに耐えながら、長い間目を瞑っていた。彼女がフロントガラスをノックして、もうすぐ完成だよ、と言った頃には深夜の零時を回っていた。

「いよいよだな」と僕は言った。「高高度核爆発は滅多に見られるものじゃない。君も楽しみにしていてくれ」

「わかった」と彼女は言った。「特大の打ち上げ花火になるね」

 それにしても、彼女はまるで疲れた様子はないのが気になる。人間がウランを純度九〇パーセント以上に高めるのは容易なことではない。ウラン鉱石を掘ってきても、石炭と違ってすぐに燃やせるわけではないのだ。大量のエネルギーを投入して濃縮する必要がある。遠心分離とかガス拡散とかその手のウラン濃縮には非常に手間がかかる。彼女がそれだけの仕事をするにも、大量のエネルギーが必要になるはずなのだ。しかし、彼女は汗一つかいていない。彼女のエネルギー補給源がどうなっているのか、僕にはさっぱりわからなかった。


 ウランの半球を合体させた瞬間、巨大な赤い火球が膨れ上がった。その様子を肉眼やテレビで観た人々は、何が起こったのかまるでわからず、呆然とするしかなかった。真夜中に突然、強烈な人工太陽が出現して闇を切り裂くなど、一体誰に予想がついただろう?

 巨大火球がしぼんで消えると、後には幻想的な緑のオーロラが浮かび上がった。まるで夜空に発光する壮大なカーテンを広げたような眺めだった。わあ、きれい、などと言っていられるのは今のうちだけだ。核爆発の目的は虐殺でも天体ショーでもない。この後に起こる大停電の方だ。

 

 電磁パルスは、空から襲撃する津波のように、この国のあらゆる電子機器を破壊していった。運航中の飛行機は制御不能となり、次々と墜落していった。各地の工場や発電所もブラックアウトした。交通インフラと通信インフラは完全に麻痺、パソコンやスマートフォンのデータも吹き飛んだ。

 高層ビルではエレベータが止まり、閉じ込められる人もいただろう。街からは信号や街灯の光が消え、スーパーやコンビニの自動ドアも動かなくなった。この国はしばらくの間、文字通り電気を失ったのだ。病院の電気が止まって亡くなった人には気の毒だと思ったが、やはり悪魔の力はものすごい。もしも、彼女の力をコピーして大規模に運用できれば、人類の文明は飛躍的に進歩するだろう。


「ああ、すっきりした」と僕は言った。「実に晴れ晴れとした良い気分だ」

 僕は深くため息を吐いて、そのまま地面に座り込んだ。

「もしかしてさ」と彼女は言った。「あなたは核発電所の事故がどうとか言っていたけど、本当はただ、核爆発が見たかっただけじゃないの?」

「それはあると思う」と僕は認めた。「自分でも何故だかわからないけど、個人的に核爆発を起こしてみたかった。なんというか、長年の夢が叶った気分だよ」

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