ボール・ボーイ・ブルース
志村麦穂
ボール・ボーイ・ブルース
「チャンスは残り三回です」どこか楽しげに声は告げた。
彼女の提案したスリー・ストライク制は、汗で煮しめたユニフォームと蒸発する土の匂いを思い出させた。ボールの駆け引きはあっても、投球ミスはない。状況によってはファウルで粘ることも許されるだろうけど、バットをかすってもストライクと判断される恐れの方がよほど大きい。バッターにとっては、当てるか、否かの直球勝負。外せばそれで終わりだ。不利な点があるとすれば、バッターがストライクゾーンの広さを知らないことと、審判の判断基準がその日の気分で変わってしまうこと。昔の野球の育成ゲームで、このゲームバランスだったなら酷評されること間違いなしだったろう。
あれは真夏日の照り付ける、六月中日のグラウンドだった。
ぼくは高校三年、最後の夏で、負ければ即引退の地区予選の決勝だった。いや、記憶の中で美化しているだけで、実際には一回戦だったかもしれない。いずれにせよ、負ければ終わりという意味では、一回戦も決勝戦も変わりはない。一点を追う九回裏、ツーアウト二塁、三塁の場面で、バッターボックスにはぼくが立っていた。ホームランは要らない。ヒット一本で運命が変わる瀬戸際に立っていた。
喉はカラカラに乾いているのに、額からは嫌な汗が止まらなかったのを覚えている。バットを握る指の感覚がなくなり、バッティンググローヴのなかで凍えていた。あんなにマウンドが近かったのははじめてだった。キャップの下で、相手投手の焦げた顔が上気している様子をつぶさに見てとれた。相手の投手は一年生で、中学時代から名の知れた生徒だった。ボールコントロールと緩急の駆け引きが持ち味で、リリーフで彼が登板して以降、ぼくらは一点も取れていなかった。
ピッチングマシンがアームをもたげるように、正確な動作を繰り返すピッチャー。彼の振りかぶる仕草がやけにスローに視えた。
ぼくが野球を始めたきっかけは、ひとえに父の教育方針だったからだ。
伝統的な純粋な肉体のみで行うソリッド・レギュレーションの野球。視覚補正コンタクトはもちろん、サポートスーツの使用禁止、AIによる統合作戦指揮の禁止、機能補正のある先端工学器具、およびサプリメント類使用の禁止。小学生でもバックスクリーン直撃を叩き出せる高反発バットや、人類史上初めて100m走で9秒を切ったドラッグ・スパイクは使えない。使用器具から選手の育成方法まで、反先端科学的とさえ受け取られることがあるほど古風な――原始的と揶揄する意見もある、教育スポーツである。制限なしのフューチャー・スポーツがメインストリームとなった今、
父は昔ながらの教育者で、学校教育に科学的知見が持ち込まれることを嫌っていた。勤続30年という長きにわたり教員として中等教育に携わってきた父は、自身の経験を基にした教育方針に確固たる自信と拘りがあったのだろう。近年、文科省から出された学習指導要領には随分反発していたようだ。その父の教育方針の最たるものが、伝統的手法に則ったスポーツによる精神修養と社会性の養成である。
父の教えでは、効率や理屈は差し置いて、汗を流し苦労をすることが是とされ、時代に逆行した厳しい戒律を順守することが美徳とされた。
「若いうちは苦労をしろ。大人のいうことには従え。自分の身体で経験しろ」
口酸っぱく繰り返された三原則だ。病的なまでに先端デバイスを使うことを嫌っていた。小学生の時分は、鉛筆に紙の分厚い辞書。電卓さえ使うことを許されなかった。技術に腰掛け怠けると、人間は脳から腐っていくのだと唾を飛ばして何度叱責されたことか。
「ストォライッ」
初球見逃し。内角低めに落ちてきたフォークは、ぼくの視界から消えた。
腕は石膏で固められたかのように、微動だにしなかった。
顎を伝う汗の感触を、一拍遅れて呼吸が追い掛けていった。
父が倫理規定違反における三審制の、最初の黄色いランプが点灯したとき、ぼくは彼女からひとつめのストライク判定を下されていた。彼女から出されたサインを見逃したことが原因だった。正式に付き合い始めて、最初のデートでのことだった。プラン通りに上手くエスコートできたと胸をなでおろしていた帰り道、完全なる不意打ちのストライク宣言。
「我慢の限界だわ。私はあなたのストラップじゃないのよ」
ぼくは首を傾げた。彼女は気の強いところがあったけれど、デートでは少なからずぼくの顔を立てようとしてくれていた。直接的な指摘や拒絶は避け、趣味に合わず興味がなくとも時間と忍耐を割いて付き合ってくれた。途中でプランを変更する提案もしてくれたし、ぼくの思い込みが間違っていることもそれとなく教えてくれた。チャンスはあった。サインもあった。ぼくは当初の考えを守り通すことに固執した。敗因は明確だった。気が付いたのはすべてが終わったあとのことだったけれど。
野球で学んだ社会性とやらは、女性の機微を読むことに対して何の役にもたたなかった。
反抗期はあったけれど、ぼくは父の教えに反したかったわけじゃない。むしろ、父の教え方にも何らかの筋道の通った理屈があって、現代社会においてもまったく無用の長物ではないと証明したかった。あまりにも長すぎた自らの青春時代が、時間の無駄だったなんて、誰だって思いたくはない。
そんなぼくの想いを挫くように、父の倫理規定違反を知ることになった。
教育現場における犯罪や行き過ぎた指導行為を防ぐ目的で導入された、倫理規範自動取締装置――通称オクルス。屋内、屋外を問わず設置された監視カメラの映像と、各教員に装着を義務化された健康アプリ――血圧や心拍の上昇などから心理状態を推定する――から、各教員や生徒の様子を分析し、文科省の定めるところの倫理規定に逸脱する体罰や生徒間でのいじめなどの行為が確認されれば、指導教員に即時警告される。当該の指導教員には再教育カリキュラムが義務付けられ、三度警告を受けると資格なしとして懲戒免職となる。無論、一度目であっても倫理逸脱の程度が著しい場合や、犯罪行為を行った場合には再教育プロセスを経ずに警察の厄介になる。
当時のぼくは大学生で、最初の失敗で落ち込んでいた。そのせいもあり父の変化に気付くのが遅れた。部活指導などで休日も家を空けることが多かったのに、謹慎期間のせいで平日にも関わらず、父が家にいたのだ。
講義に出る気にならず、彼女と顔を合わせるのが気まずかった。自主休講して帰宅した所に、ばったり鉢合わせするぼくと父。お互い家にいるはずのない時間。口火を切ったのは父だった。
「お前、そんなことでまともな人間になれると思っているのか。大学に入れるためにいくらかかったか、わかっているのか」
教師の直感か、サボりはすぐさま見破られ、頭ごなしの説教が飛んでくる。
「ちゃんとしろ」
いくつかの要因が重なった結果だ。ぼくはたった一言に理性を飛ばされた。
「あんたの教え方が悪かったせいだろッ!」
肩を掴まれた手を振り払っただけのつもりだった。大きくよろめき尻もちをついた父は、唖然とした表情でぼくを見上げていた。ぼくが父に対し声を荒げたのははじめてのことで、父は口を開けたまま閉じることを忘れてしまった。
見下ろした父はずいぶん小さく、がたいの良さはたるんだ贅肉へと変わり、つむじから赤らんだ頭皮が透けていた。
「男のくせに泣くな、女々しい」
父が十四歳の男子生徒にむけて言い放った台詞だ。
その発言が差別的と判断されて違反になったらしい。
ぼくが突き飛ばしたせいで悪化した腰痛は、父の背を丸く、さらに小さなものにした。差別発言を向けた児童の家へ謝罪に出かける父の後ろ姿は、ひどく老いてみえた。
「スォライ、ツー」
ぼくは学食で彼女と向かい合っていた。
昼時を過ぎ、講義の始まった食堂はひと足が落ち着いて、彼女の声ははっきりと聴きとることができた。付近のテーブルに座っていた学生が、気まずさに耐えかねて移動するほどに。その言葉の棘は強く僕を刺した。それでもぼくは、なにかの間違いを信じてもう一度聞き直した。それが彼女の神経をさらに苛立たせることはわかっていた。
「自分の、頭で、考えられないの?」
今度は一言ずつ区切って、彼女は自分の怒りをぼくに伝えた。
しかし、ぼくとしては前回の失敗の反省を活かした行動だっただけに少なからず落胆した。他人の機微への疎さを補うために、わからないことは聞く、という初歩的な解決策で臨んだ。直接聞くことが、もっとも確実で齟齬が発生しない手段に違いないと考えたから。ぼくは彼女の気持ちを汲みたい一心で、逐一伺いを立てた。それが結果として彼女の機嫌を損ねた。
「教えられたことを、教えられた通りにできるようになれ」
父の教えだった。
自己判断の身勝手な行動は慎め。監督やコーチ、教師や先輩のいうことに従え。どんな状況でも正しい練習で身に着けた成果を出せるように、ひたすら反復練習。挨拶、声だし、ランニング。僕の学んできたことのすべて。彼女のいうケースバイケースの自己判断を下すには、あまりにも蓄積が足りない。人生というルール下での練習不足。
正しい練習法を誰からも教わっていない。だから、訊くしかない。
ぼくと彼女の間に齟齬があったとすれば、その一点だった。
二球目は130キロ、ど真ん中ストレート。
完全に振り遅れたバットは宙を切った。
見事に翻弄され、あとがないぼくに今さら目を慣らす猶予もない。敗色濃厚で諦めムードの蔓延した自陣ベンチでは、すでに後輩たちが撤収を始めていた。同級生は項垂れ、溜息をつき、あるいは打ち上げの予定を話し合っている。どうして野球に降参がないのか、あのときほど疑問に思ったことはない。すぐにでもバットを投げ捨て、荷物をまとめて帰りたかった。
あと一球、あと一スウィング残っているのに、自陣は誰も応援していないし、期待もしていない。ぼく自身も含めて、誰も打てるなんて思っていない。塁に残った走者さえ身構えていない。
見なければいいのに、ぼくの視線は観客席へと向かった。
がら空きのスタンド。その最前列に父の姿がみえた。父はぼくにむかって、何事か大声で叫んでいた。極度の緊張と暑さで熱中症になりかかっていたのかもしれない。耳鳴りがひどく、父がなにを言っていたのか聞き取れない。繰り返し、繰り返し、ひとつの単語を。口の動きを目でなぞった。
思い出せない。父がぼくになにを伝えたかったのか。
罵倒だろうか。不甲斐ないぼくへの、泣き出しそうな、情けない姿への。
父は一度目の違反以降、前にも増して頑なになった。自身の教育方針を固持し、教育現場における教師像に自身の絶対的な正しさを投影した。それ自体は社会的な流れからすると間違った行動ではなかった。父の堅持する正しさが、時代にそぐわないという一点を除いては。
めまぐるしく変化するテクノロジーに合わせて、教育現場もまた変化の過渡期にあった。勉学という側面だけで学校教育を取り上げるとき、すでに各学校の指導教員に一任する理由がなくなった。慢性的な教員不足、リモート学習、各教員の指導力という不平等の是正。昨今では理想的なカリキュラムを、画一的に実施することが技術的に可能になった。個人成績のデータ管理から個別の課題に合わせた真に補助的な課題の実践で、これまで学習塾が担っていた役割も果たせるようになった。テストは格付けのツールではなく、全員が達成するべき目標になった。
勉学を教える役割が削ぎ落された教員に求められたのは、より人間的な教育。道徳、倫理、社会性などの情操教育が、教育者の役割として一層重要視された。父の提唱する「伝統スポーツによる人間教育」はその一環だ。
情操教育は正解の視えにくい分野であったため、各教員が個性的な指導を実践していき、その成果はオクルスによって判定・集約された。システムの目的は不適格な教員をあぶりだすことではなく、あくまで情操教育の正解といえるカリキュラムを作成することにあった。しかし、システムが示したのは、人間による情操教育の限界だった。
人間は不完全な生き物だ。その不完全さを個性と呼ぶのは過ちだろうか。
父は二度目の違反者となった。
行き過ぎた教育指導。子供の危険な行動に対して、声を荒げて怒鳴ってしまったのだ。理屈を説明して理解させるのではなく、頭ごなしに怒鳴りつけ、恐怖とトラウマによって行動を制限するやり方。父にしてみれば、思わずやってしまったに過ぎない。つい力が入っただけ。二十年前なら通用したやり方だ。子供に危険を分からせる、何をやってはいけないか学ばせるには、恐怖は必ずしも悪いとはいえない。ただ、オクルスはそう判断しなかった。
オクルスのなかに植え付けられた理想的な人間像は、父とあまりにもかけ離れていた。
その設定さえも、社会の産んだ妄想に過ぎないというのに。
教育現場で父のように教員に適さない人間は珍しくなかった。むしろ、求められる完璧さに答えられる人格者など存在しなかった。教員は違反を恐れて、当たり障りのないことを言うだけの、無害な傍観者に成り下がった。結果、システムが下した結論は、教育現場での人間不要論だった。
代替アンドロイドの導入と倫理パートナー制度の提案が、父を追い詰めたのだと思う。
人間と見分けのつかない精度のアンドロイド登場は、人間不要論とあまりにも上手く噛み合ってしまった。
学校を半ば追い出されるような形で退職した父には、もうぼくしかなかった。ぼくが父の教育成果を体現することを求められた。ぼくが父のあとを引き継いで、完璧な人間の教育者になることを、父の教育理念を達成することを強要した。
「子供を親の理想的な複製体にしたかったんだ。完全な教育アンドロイドだよ、ぼくは。父がぼくに求めた成果は、教育現場に導入されたアンドロイドを越える、完璧な人間の教育者だった。どんな状況においても正しく振舞う、絶対規範人間。けれど、その実は父を追い出した社会への復讐道具でしかない」
父が黴の生えた教育方針に固執した理由が今ならわかる。捨てられようとするゴミ箱の中身に、自分が含まれていたら誰だって抗う。父は時代や社会が捨てようとするゴミを漁って、まだ使えるものがあると示したかったのだろう。
退職してから父は、思い通りにならないぼくへの憤りを隠さなくなった。
大学生ともなれば、親から思考や行動を制限されることに抵抗感がある。ぼくにしてみれば、父の思惑と彼女から浴びせられた発言が、脳内で真っ向から対立する形となった。素直に命令に従わないぼくにしびれを切らした父は、ついに手を挙げた。
しかし、父は腕を振り上げることができず、拳は胸に落ちた。昔の怪我で肩より上に腕をあげることができなかったのだ。いつの間にか身長差が顎を下げねばならないほどで、軽すぎる拳は肉体的な痛み以上に心に沈み込んだ。
父はすっかり老いてしまった。
「そこでぼくはやっと気が付けた。どこかに夢見ていたんだ、自分のなかにある絶対的な父親の背中というものを。父も人間で、間違いもすれば、弱いところもある。そんな当たり前のことを理解するのに、こんなにも時間がかかってしまった」
父もどこかで踏ん切りがつくのを待っていたのかもしれない。すべてを投げだしても許される、自分の守り通そうとした矜持さえも捨てられる機会を欲していたのだろう。きっと、誰かに最後の一押しを、背中を押して欲しかったのだ。それをぼくに預けたことは、父親なりの最後の親子の絆だったのかもしれない。
「父が自殺を図ったのは、ぼくが家を出たすぐあとのこと。幸いというか、皮肉というか、父の命を救ったのはオクルスの一環の健康管理アプリだった。装着者の異常を検知して、すぐさま救急とぼくの端末に連絡がいったんだ」
緊急連絡先にぼくの番号が登録されたいたことは驚きだったけれど、父の端末に登録されていた番号は他になかった。
助かったといっても意識不明の重体だった。
病院のベッドで生命維持装置に繋がれた父の手を握って、ぼくは何を言えばいいかわからなかった。どう向き合えばいいか、答えが出せなかった。でも、まだなにか、親子の間にやり残した会話があるんじゃないかと思った。今ならなにか、言ってあげられるんじゃないかって。
がんばれ。がんばれ。ただそれだけ。
ほかに言うことがなかったから、繰り返した。がんばれ、がんばれと何度も、何度も。
「それで思い出したんだ。あの時、スタンドで父がなにを言っていたのか。がんばれ、がんばれ。父もそれだけを必死で繰り返していた。スイングのアドバイスでも、不甲斐ないぼくへの罵倒でもなくて。がんばれ、がんばれって、喉が枯れるくらい。最後まであきらめずに応援していたのは父だけだった」
もしかしたら父は託そうとしていたのかもしれない。自身は肩を怪我してしまい追えなかった、野球の夢を息子の僕へ。命令に従うロボットとしてではなく、気持ちを繋いだ子供として。
「適合率6パーセント。残念、まだ人間とお付き合いするのは早いみたい。自分のお話ばかりじゃなくて、相手との会話を楽しんでみてね。聴き上手なひとを目指せるといいかも」
女性型のコミュニケーション・アンドロイドが、三度の判定を経て、規定通りの落第台詞を機械的に吐き出した。ぼくの記憶のなかでは、ちょうど彼女から三下り半を突きつけられたのも同じ話をしていた辺りだった。アンドロイドを使っての社会性訓練サービスだなんて、父が聞いたら呆れるだろうか。ぼくは彼女との正解を探すために、アンドロイドに彼女の設定を重ね着させて、何度もシミュレーションを繰り返す。
与えられた三度のチャンスを繰り返し続けて分かったことは、ぼくは読みの精度が極端に低いということだった。相手の考え、会話の流れ、機嫌や感情。昔からサインを読むのが苦手だった。視線や仕草、指先の動きや足踏みからみえる緊張感。そう、肝心なところで読み違えてきた。
彼女のことも。
父のことも。
あつい、あつい、あの夏のバッターボックス。
無慈悲に振りかぶられるピッチングマシン。二球目のコントロールは正確だった。130キロの球を目で追って打てるほど、ぼくの動体視力は優れていない。速いか、遅いか。考える余裕は残されていなかった。絶望する隙間も与えられなかった。
ピッチャーが振りかぶった。
キャップの影から覗いた視線が、勝利に向けてぎらついているのが視えた。
ボールが指を離れる。
体は走り、気付いた時にはバットはすでに十分スイングしきっていた。
止められないなら振り切るしかない。
一か八か、当たることを祈って。
思い出すのは試合後の父の言葉だ。
「逃げずに、よくがんばった」
めったに褒めない父がそういって、不器用に頭に手を載せたのだ。
試合が終わっても涙なんて出てこなかったのに、その一言でいろんなものが溢れてきた。
父の運転する帰りの車のなか、後部座席で声を押し殺して泣いていた。バックミラー越しに映っていただろうし、しゃくりあげる音は静かな車内によく通った。けれども父は、女々しいだなんて言わなかった。そっと、カーステレオのスイッチを入れたんだ。
晴れ渡った夏の空に、試合終了のサイレンが響き渡った。
ボール・ボーイ・ブルース 志村麦穂 @baku-shimura
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