『下宿のおばさんに』 中の上


 呼び鈴は、玄関先に、そもそもなかったのです。


 玄関の引戸には、鍵は掛かっていなかったが、つまり、それが普通だったのです。


 『こんにちは。』


 ぼくは、かつてのように、がらがらと、玄関を開けました。


 真っ正面に短い廊下が突き抜けていて、その先には小さな庭があり、ただしあまり整理はされていなくて、そこには、古い洗濯機が一台だけ置いてありましたが、その向こうは、もう隣家の庭です。


 玄関の左側には、歯磨きができるくらいの洗面所があり、その正面に2階に上がる階段がありました。


 廊下の途中の右側には、おばさんの部屋がある。


 さらに、庭にでる寸前の左には、小ぶりな台所がありました。


 おばさんは、ここで食事を作るのです。

 

 『こんにちは。』


 しかし、やはり、まるで、反応がありません。


 それに、ぼくの知っている限りでは、おばさんはすでに亡くなっているわけです。


 ここに、おばさんがいるわけはありません。


 しかし、こいつが、一種のヴァーチャル・ゲームだとしても、いや、ならばなおさら、誰かが出てきてしかるべきでありましょう。


 解説者とか、仕掛け人とか。


 なにか、やはり変だな、とは思ったわけ。

 

 そもそも、仕掛人さんが下宿の構造までよく知っているのは、何故だろう。


 きっと、関係者が、絡んでいるはずですが、おかしな話だけれども、ぼくは、いまひとつ、まだあまり、そう深くは気にしていなかったのです。


 今までには、すでに長い時間があった話ですし、誰かがぼくをびっくりさせるつもりなのでしょう。


 先輩も後輩もある。


 それに、こうなったら、やたら懐かしいではないですか。


 だから、ぼくは、玄関を勝手に上がりました。


 『おじゃまします。こんにちは。』


 ぼくは、おばさんがいつもいた部屋の戸を引きました。


 が、かなり暗くなった室内には、だれの姿もありません。


 そうして、実際に、あたりは、急速に暗くなってゆきます。



 ここは、街の中心部ではないから、あまり大きなビルは、周囲にはありませんが、それでも住宅密集地帯です。


 夕日は小高く名高いお城の山と、沢山の建物に遮られ、いつも、斜めにぎざぎざに落ちてしまいます。


 アッと言う間に。


 ぼくは、ふと気が付いたんです。


 『なんと。電灯がない。』


 つまり、一階には、どこにも照明が入りません。


 誰もいない。


 先に、近所のかつてなじみのお菓子屋さんからは、おばさんは亡くなった。そのあと、入った人はいなかった、と聞きました。


 筋が通った話です。


 しかし、その時、なんと、二階から話し声がしたのです。


 かなり、賑やかな。


 『上には、誰かいるんだ。』


 ぼくは、玄関に引き返しました。


 すると、開けていたはずの玄関は、もう閉じてしまっていて、カギが掛かっていますような。開けようとしましたが、なぜだか開かないのです。


 『なんで?』


 反対側を見ましたが、裏口も同様に閉じています。



 そうして、驚いたことに、そのあたりの空間が、急激に膨張を、しはじめたのです。



      ♨️

          


 


  

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