六幕・黄泉帰りの儀式
「クフフフ。起きたでございますか?」
「……あ、はい……」
花廻り屋八雲さんの美しい顔が目の前にあり、僕は間の抜けた返事を、馬鹿のように返した。美しすぎるものが目の前に不意に現れるのも、心臓によくない。
僕は、どうやら意識を失っていたようだ。全身の筋肉がくまなく痛い。
またか……と思った。たまに起きる謎の全身筋肉痛と健忘症(けんぼうしょう)。酷い倦怠感(けんたいかん)だ。
僕は頭の中に霞がかかり、ぼんやりした状態であったが、身体のどこにも異常がないことを寝転んだまま確認する。どこも欠損がないようで一安心した。
「お加減はいかがでございますか?」
「……身体中がめちゃくちゃ痛いです」
「クフフフ。まぁ、大変」
花廻り屋八雲さんは、微笑んだ。僕もつられて微笑み返す。花廻り屋八雲さんにだけ向ける、僕の嘘偽りない微笑みだ。
「小泉さん!」
「大丈夫ですか?」
真田くんとさくらさんの声に、頭の中に立ち込めていた靄(もや)が急速に晴れていく。身体の悲鳴を無視して上体を起こし、真田くんとさくらさんへ訊ねた。
「あれ! ヨモツシコメは? 妣は?」
いきなり起き上がった僕に驚いた顔をした真田くんは、すぐに穏和な笑みを浮かべて答える。
「黄泉国へ帰りました」
「へ、はぁ? なんで?」
「小泉さんと花廻り屋さんのおかげです」
さくらさんが答え、「ふふふ」と微笑む。
僕が続けて質問をしようとしたら、背後からのびてきた花廻り屋八雲さんの手に捕まれ、無理矢理、ひっくり返された。
「値千金の活躍でございましたわよ」
「あ、はぁ……。だから膝枕ですか?」
「お嫌いでございますか?」
「う……いえ……」
花廻り屋八雲さんは、黄金色の瞳を細めて笑った。まるで宝石のような笑顔だな、なんて思う。
全身筋肉痛でまともに動けなくなった僕を真田くんが背負い、黄泉比良坂を月夜野古書店へと向かう。背中にさくらさんからの「羨ましい」という視線を受けている気がする。
「真田くん。君、身体は大丈夫かい?」
「いささか疲れました……」
いささかの疲れで済むあたり、真田くんに移植されたさくらさんの心臓には毛が生えているのかもしれない。
背負われている僕を、花廻り屋八雲さんが小馬鹿にしたように見つめる。
「なんですか?」
「意気地が無いでございますなぁ、相変わらず」
「僕は、ただの人間なので勘弁してください」
「クフフフ。そうでございますか」
花廻り屋八雲さんは笑った。
「そういえば……小泉くん。宿題はできましたか?」
僕は「う」と呻いた。真田くんとさくらさんの関係性について、僕は月夜野古書店に着くまでに答えを出さなければならなかった。
都合よく、花廻り屋八雲さんが忘れていればよかったのにと思う。
真田くんとさくらさんが、息を呑む気配がした。
無言の時間。僕は、それを切り裂くように語り出す。
「真田くんとさくらさんたちが本気なら、僕は応援したい。どうしてとか、まだ言語化はできないんだけど、真田くんとさくらさんの絆は……信じることができると思った……」
僕は思いを口にした。真田くんの背中がわずかにはねた気がした。
考えを、口にしたはいいものの、自分の言葉に自信が持てず、つい花廻り屋八雲さんへ視線を向けた。
「それが小泉くんの、心の底からの気持ちでございますか?」
「はい。僕の心の底からの気持ちです」
「でしたら、自信をお持ちくださいませ。万難(ばんなん)を前にしても揺らがない自信を」
花廻り屋八雲さんは「クフフフ」と笑った。僕の答えが、間違っているとも、合っているとも花廻り屋八雲さんは教えてくれない。
自分で答えを体現しろとのことなのだろう。
真田くんもさくらさんも、何も口にしなかったが、さくらさんは穏やかに微笑んでいた。
月夜野古書店に着くと、さくらさんの黄泉帰りの儀が行われた。
巫女のような服装に着替えた花廻り屋八雲さんが、祭壇の前にさくらさんの肉体と魂をならべた。
僕は全身筋肉痛で起きているのがやっとであったが、花廻り屋八雲さんの近くに控える。
真田くんは正座をして、花廻り屋八雲さんの行動を見守っていた。
「まずは、お嬢様の心臓を復元いたしますわ」
「は、はい! お願いします!」
さくらさんは、かしこまり答えた。
花廻り屋八雲さんは、懐刀でさくらさんの長い黒髪を切る。
さくらさんが驚きの声を上げたが、花廻り屋八雲さんは当然、無視。
そういうのは本人から許可をとるべきだはと思うが、何も言うまい。さくらさんの髪は肩にかかるくらいまでの長さになった。
黒髪の束を手に持った花廻り屋八雲さんは、何も注意することなく、さくらさんの死に装束の胸元をはだけさせる。突然だったので、さくらさんの小ぶりな胸を見てしまった。
真田くんとさくらさんから、やや殺気のこもった視線を感じ、僕は慌てて顔を伏せる。花廻り屋八雲さんの楽しそうに笑う声が聞こえた。
……本当に性格が悪い。
花廻り屋八雲さんは、黒髪の束から手を離すと、髪の束はふわふわと宙に浮いていた。ゆっくりと手を合わせてから、花廻り屋八雲さんは不思議な音色の呪文を唱える。
とても、心地のいい音色だった。疲労困憊中の僕は、ついつい眠くなってしまう。集中していないと、眠りこけてしまいそうだった。
それと同時に、あの花廻り屋八雲さんが、こんなにも柔らかな声色を出せることに、毎度のことながら驚く。
ふわふわと宙に浮いていた黒髪の束が、さくらさんの胸にある手術跡に侵入していき、ついに無くなった。ちらりと露わになったさくらさんの胸を見たが、手術跡まで綺麗に消えている。黒髪を代償に、手術があったという事実を消したのだろう。
「それでは……黄泉帰りの儀を始めましょう」
花廻り屋八雲さんは、とても真面目な調子で呟くと、また不思議な音色の呪文を唱える。
黄泉国から連れ戻してきた、さくらさんの魂が輝きだす。真田くんは不安そうな声を上げた。
「魂が肉体に戻るだけだよ」
僕は真田くんへ言った。真田くんは頷く。
さくらさんの魂が、フワッと宙に浮く。
「秋兄さん……」
さくらさんが、真田くんを呼ぶ。
「なんだい?」
「大好きだよ! ずっと大好きだよ!」
「わたしも、大好きだよ。ずっとずっと大好きだ」
真田くんは穏和な笑みで答えた。さくらさんは「知ってる」と、いたずらっ子のように笑う。
そして、さくらさんの魂はパッと消えた。
「クフフフ。黄泉帰りの儀、終わりましたわ」
花廻り屋八雲さんが言うと、「ふぅ」と息をつく。
魂さえ持ってきてしまえば黄泉帰りの儀式なんてあっという間に終わってしまう。黄泉国で魂を探すのが難しすぎるので、誰でもできるわけではないけれど。
「もう……終わったのですか?」
もっと荘厳(そうごん)な儀式をイメージしていたのか、真田くんは、少し驚きつつ尋ねた。
「心臓の鼓動でも聞いてごらんなさい」
花廻り屋八雲さんは、笑みを浮かべて真田くんへ言った。
真田くんは、さくらさんの露わになった胸の衣を元に戻した後、意を決して胸に耳をあてた。
「心臓が動いている……」
「生きているのですから、当たり前じゃございませんか?」
花廻り屋八雲さんは不思議そうに小首を傾げた。人間の死は不可逆的なものなので真田くんの反応が普通であり、それに疑問を持つ花廻り屋八雲さんの方が異常なわけだが、
「小泉くん。なにか、おっしゃりたいことでも?」
「何にもございません」
僕は口を噤んだ。
「……ん」
さくらさんが、微かに身じろぐとゆっくりと起き上がった。凄く眠そうに目元をこする。
「さくら、お目覚めでございますか?」
「あ、花廻り屋様。おはようございます……」
ん? と僕は違和感を覚える。
ささいな違和感なので、あえて気にするのを止めて、さくらさんがしっかりと起きるのを待つ。
さくらさんは、大きくあくびをする。本当に眠そうだ。朝が弱い体質なのかもしれない。
「あ~、小泉さん。おはようございます……ふぁ……」
「あ、ああ。おはようです」
「なんだか、すごく眠くてすみません……」
さくらさんはそう呟くと、眠そうにうなだれた。
「さくら? 大丈夫かい?」
真田くんが心配そうに、さくらさんの名を呼ぶ。
「あ……はい。大丈夫ですよぉ」
さくらさんは気だるげに答えると、のんびりと真田くんを見た。
「……あ」
さくらさんは小さく呟き、少し驚いたような顔をした。そして、恥ずかしそうに髪型などを気にする様子を見せ、「ふぇ」と変な声を漏らす。
寝起きの油断している姿を、好きな人に見られ動揺しているのだろう。
本当に恋する乙女といった感じだ。
邪魔者は去ったほうがいいかしら、なんて思う。
この二人にはきちんと幸せになってもらいたいものだ。
「あ、えっと。初めまして……えっと……えっと……」
さくらさんは、ぎこちなく笑う。
花廻り屋八雲さんは、口元を歪めた。
「え? どうしたんだい?」
さくらさんの反応に、真田くんは戸惑いの声を漏らした。
「えっと、前にお会いしたことありましたっけ? すみません。ちょっと寝起きで頭が回っていなくて……思い出しますね」
「な……な」
「……えっと……」
真田くんは血の気が引いた真っ青な顔で、恐る恐るといった感じに花廻り屋八雲さんへ視線を向けた。
花廻り屋八雲さんは、ついに、ようやく、とうとう、観劇したかった物語の終焉を見ることができた満足感と快感に打ち震え、嬌声(きょうせい)を上げた。
「くは! はぁぁぁぁ。あなた様の、その顔が見たかったのでございます。希望を全て奪われた、その顔を! はぁ~。クフフフ」
花廻り屋八雲さんはひとしきり笑うと、さくらさんを呼ぶ。
さくらさんはとても懐いている子犬のように、花廻り屋八雲さんの胸元へ飛び込んだ。花廻り屋八雲さんは、さくらさんの頭を撫でながら、厭味ったらしい笑みを浮かべ、真田くんへ視線を向ける。
ようやく、鈍い僕は事態を把握した。
「八雲さん! 何をした!」
僕はあらん限りの声量で怒鳴る。身体が悲鳴を上げるが、そんなことは関係ない。僕は怒った。記憶にある限り、こんなに頭に血がのぼったのは初めてかもしれない。
すると、さくらさんが、僕へ剣呑(けんのん)な視線を向ける。どす黒い情念が渦巻く、あの据わった目。真田くんへの危害を前にしたときに向ける目だ。
僕は花廻り屋八雲さんを睨みつける。
「八雲さん、何をしたんだ!」
僕の怒鳴り声なんて、まったく意に返さすに、花廻り屋八雲さんは答えた。
「クフフフ。お代をいただいただけでございます。過不足なく」
「お代? それは真田くんが払ったはずじゃないか!」
「言ったはずでございますよ、お二人から、お代をいただいたと。あの方には呪いをかけ、さくらからは、あの方への好意をお代としていただきました」
あの方とは、真田くんのことか。
花廻り屋八雲さんは、「クフフフ」と笑った。
つまり、さくらさんは真田くんへの好意がなくなり、真田くんだけがさくらさんが好きな状態になった。最悪なことに、真田くんはさくらさん以外の女性を愛することが、絶対にできない。完璧な片思いになってしまった。
しかも、さくらさんが真田くんへ向けていた好意や愛情を、花廻り屋八雲さんが、まるっと略奪したのか!
「そこまでやるか! さすがに趣味が悪すぎる! こんなの普通じゃない!」
花廻り屋八雲さんはため息をつく。
「また、普通でございますか……。普通とはいったい何でございますか? 小泉くんのおっしゃる『普通』を押し通したいならば、さくらを縊り殺しなさい」
花廻り屋八雲さんは、目を細めて言った。
「普通、死んだ者は生き返りませんのですから、ねえ」
「ぐ……」
僕は答えに詰まる。
「よろしいですか、小泉くん。あなたのおっしゃる普通なんてものは、結局は小泉くんの信じたい願望で汚れた色眼鏡でございます。違いますか? 小泉くんは素晴らしい眼をお持ちなのですから、その汚れた色眼鏡を早くおとりなさい」
花廻り屋八雲さんは、さくらさんを撫でながら笑みを浮かべる。
「……初めて見たときから、この子が欲しかったのでございます。もうさくらは、わたくしのものでございますよ。クフフフ」
「八雲さんのモノじゃありません!」
せっかくのハッピーエンドをぶち壊してまで、自分の欲しいもの、やりたいことを優先させるのは、花廻り屋八雲さんらしいけど、さすがにこんな終わりは見たくない。
「それに……まだ慈悲的ですわ」
「慈悲的?」
僕は花廻り屋八雲さんを睨む。今にも飛びかかってしまいそうな最悪の空気。
「待ってください」
真田くんが声を上げた。
「慈悲的というのは、どういうことですか?」
僕はチラッと真田くんを見た。今、そんなことを議論している場合ではないのに、彼は冷静だ。まだ、青白い顔をしているが生気が幾分か戻ってきている。
「さくらの過去は奪いましたが、未来は束縛していないということでございます」
「なるほど」
真田くんは冷静に頷いた。なんでそんなに冷静でいられるのか、僕にはわからないけど真田くんは、極めて冷静な調子で言った。
「つまり、さくらがわたしを、これからまた好きになり、花廻り屋さんから奪ってしまう可能性がある、ということですね」
「ええ。そうでございますわ。残念ながら」
花廻り屋八雲さんは、「クフフフ」と笑った。
「だからって……」
僕は声を呟く。真田くんは穏和な笑みを浮かべた。
「小泉さん。ありがとう。大丈夫です。あなたが、その眼で見て信じてくれた、わたしたちの絆を信じてください」
僕は、真田くんの言葉に、はっとした。そうだ。僕は真田くんとさくらさんの二人を応援するって、言ったんだ。それなのに、その気持ちが揺らいでいたのかもしれない。
僕は「うん」と頷いた。
真田くんは、花廻り屋八雲さんとさくらさんのもとへ、歩を進める。
さくらさんが、敵を見るときの、どす黒い瞳を、真田くんへ向けていた。
僕は心がズキリと痛んだ。でも……信じよう。
「わたしは真田。真田秋村といいます」
真田くんは、さくらさんの放つ殺気など意に介さず、穏やかに笑ってみせた。
虚を突かれたのだろう。さくらさんは、きょとんとした顔で真田くんを見た。真田くんと見つめ合うと、さくらさんは、急に恥ずかしそうに俯く。
真田くんは笑顔のまま、握手を求める仕草をした。さくらさんは、真田くんの手を握り、自己紹介をした。
「ぼ、ボクは大谷さくらです。初めまして……です。えへへ」
花廻り屋八雲さんは、穏やかに言う。
「さくら、この方は月夜野古書店の上客でございますから、よしなになさい」
「はい!」
さくらさんは、満面の笑みを真田くんへ向けた。
真田くんも優しい笑みで、それに答えた。
月夜野古書店の花廻り屋八雲さん 宮本宮 @zamaba
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