幕間・真田くんと神々

 花廻り屋さんが、突然、小泉さんを抱き寄せたかと思うと、彼にキスをした。唇と唇をあわせた大人のキスだ。

 わたしとさくらは、ポカンとその様子を眺めていた。あまりにも唐突なことだったので、どう反応すればいいのかわからなかった。

 妣だけは動揺していない。

 映画やドラマなんかで、キスシーンくらい見たことがあるが、実際に目の前でキスをする人を初めて見た。

 さくらも初めてキスをしている人を見たのだろう、「ふわぁ」と甘い声を漏らしている。

 いつか、わたしもさくらとキスをするのだろうか? なんて彼女の愛らしい唇を見て思った。わたしの視線に気がついたさくらは、恥ずかしそうに俯いてしまう。

 ふむ。可愛い。


「ふぅ……」


 花廻り屋さんは、小さな喘ぐようなため息と共に、小泉さんから唇を離した。頬がわずかに朱色に染まっている。それが少し意外だった。

 超然としている彼女が初めて見せた、人間らしい表情だったからだ。


「クフフフ。失礼いたしましたわ」


 わたし達の視線に気がついたのか、花廻り屋さんは言い、小泉さんの腰に回していた手を離す。小泉さんは、糸の切れたマリオネットのように地面に崩れた。


「小泉さん、大丈夫ですか?」


 わたしは、顔を真っ赤にして地面に崩れて動かない小泉さんに駆け寄ろうとするが、花廻り屋さんが手をかざして制止する。


「小泉くんは、大丈夫でございます。少し眠ってもらっているだけでございますわ。クフフフ。うるさいので」


 花廻り屋さんは口角を吊り上げた。


「どういうことですか?」


 さくらが花廻り屋さんに尋ねる。


「小泉くんの魂を眠らせて、あの方の兄の神魂(しんこん)を招き入れたのでございます」


 花廻り屋さんは、妣を煙管でさして答えた。

 さくらは「はぁ」と答える。あの「はぁ」はよくわかっていないときに出る相槌だ。

 花廻り屋さんの解説役である小泉さんが居ないと、彼女の行動が突飛すぎて何をしでかすかわからないぞ。


「クフフフ。見ていればわかりますわよ。それより……」


 花廻り屋さんは妣に視線を向ける。


「そのような見窄(みすぼ)らしい格好で、愛する方の前へ出るのでございますか? 女神の一柱ならば身だしなみを……」

「あ……う……」


 花廻り屋さんのお説教に、乙女のような声を漏らす妣。反論をしないようなので、花廻り屋さんの言い分を納得したのだろう。確かに、今の姿は見窄らしい。


「あなた様の持っていた神の鉾をいただきましたし、少しだけご奉仕してあげますわ」


 花廻り屋さんは、着せ替え人形を前にした女の子のようにはしゃぐ声を出した。さくらもニコリと笑い「手伝います!」と宣言する。

 花廻り屋さんは、着物の袖の下からメイク道具を取り出すと、妣へメイクをほどこし始めた。さくらは櫛で妣の髪を丁寧に梳く。

 髪の色は銀と黒でまったく異なるが、二人の姿は姉妹のようだ。

 昔は、さくらのお店屋さんごっこに付き合ったっけな……。

 わたしも手伝おうとするが、さくらに「秋兄さんは小泉さんを診ていてください」と制された。ここは大人しく従っておこう。



 気絶をしている小泉さんの様子を診てしばらくたった。


「う……うぅ……」


 小泉さんがわずかに呻いた。

 どうやら意識を取り戻したようだ。だが、違和感がある。なんだろう、と思いつつ小泉さんが起き上がるのを手伝った。


「大丈夫ですか?」

「……うむ。いきなり呼ばれたのでな。アレは容赦がない……」


 小泉さんの声だが、音域が低く、なんというか、落ち着きのある雰囲気だ。

 背も大きくなっていた。背の高いわたしと同じくらいまで、成長している。童顔だった顔には、気苦労ゆえについたのだろう深いシワが刻まれていた。


「小泉……さん?」 

「なんだ……人の子?」


 人の子? わたしのことか? わたしが現状を説明する前に、


「お久しぶりでございますなぁ、お兄様」


 花廻り屋さんが声をかけた。『お兄様』という部分に厭味や皮肉を込めて、演技のように口にして、小泉さんに声をかける。

 小泉さんの肩が跳ねた。


「! 花廻り屋……様……」


 小泉さんは、絶望を直視した表情をしたのち、跪(ひざまず)き首(こうべ)を垂れた。そして長ったらしい口上を申し上げる。祝詞(のりと)のような、とても古い言い回しで、わたしは小泉さんが何を言ったのか分からなかった。

 ただ、花廻り屋さんを、『八雲さん』ではなく、『花廻り屋様』と呼んだというのだけは印象に残った。


「小泉くんの声で、様つけはやめてくださいまし。お兄様」

「お兄様だなんて……御冗談は……。ひらにひらにご容赦を……」


 平身低頭に徹する小泉さん。言い回しが時代劇のキャストのようだ。

 それを、つまらなそうな表情で見下ろす花廻り屋さん。

 わたしと同じようにさくらも、小泉さんの変わりように驚いているようで、「小泉さん、頭を打った?」と小声で訊いてきた。「打ってないと思うが……」と答えたが自信がない。


「クフフフ。ご紹介いたしますわ。あの方の兄でございます」


 わたしとさくらは「え」と声を漏らす。

 あの方とは、妣のことだろう。

 つまり……目の前にいるのは小泉さんだが、中身が妣のお兄さん、ということ? 妣は女神の一柱らしいので、お兄さんも神様なのだろう。

 小泉さんの身体に神様を降ろしたということか。本当に? いや、でも、小泉さん曰く『花廻り屋さんは嘘をつかない』ので、本当ということか。


「それで……この度はいったいどのような御用でございますか?」


 お兄さんが、戦々恐々の様子で、花廻り屋さんに尋ねた。


「以前、あなた様が、お願いをしてきたじゃございませんか?」

「は、はい」

「どのような、お願いでございましたかなぁ? 今、ここでおっしゃってくださいまし」

「それは……人の子がいる前では憚(はばか)ります」


 わたしたちがいるから、答えることができないと言った。花廻り屋さんは、わたしたちをチラリと見たが、跪き首を垂れるお兄様へ答える。


「構わないじゃあございませんか。人間が何人いようと、構わないではございませんか。ねぇ? 教えてくださいまし」

「う……。わ、我が妻へ謝罪をしたいと……申し上げました」

「なぜ、謝罪をするのでございますのかなぁ?」


 答えがわかっていて、わざと質問しているのかな?

 花廻り屋さんが妙にイキイキとしている。


「それは……」

「クフフフ。それは?」

「嫌がる妻の姿を……無理矢理、覗いてしまったことを……」


 さくらが、誰にも聞こえないくらいの声量で「うわ、最低」と呟く。

 わたしが言われたわけではないが、少しお腹が痛くなった。


「そうでございましたなぁ。若さゆえのあやまちでございますなぁ」

「は……はい……まことに……」


 花廻り屋さんは、一通りお兄さんをいたぶり満足したのか、うっとりとした表情をしていた。神様を跪かせて苛める、この人は本当に何者なのだろうか? 


「クフフフ。そんなあなた様に、会わせたい方がおりますわ」

「は、はぁ」


 パンパンと手を叩く。花廻り屋さんの後ろの隠れていた妣が、おずおずと現れた。乱れていた髪は丹念に梳かれ、ボロボロだった肌もメイクで整えられている。服も焼け焦げたボロだったが、今は洋服を身につけていた。

 無人のアパートの中から借りてきたのかな?


「すごいでしょ」


 さくらが、自慢気に尋ねてきた。


「うん。すごい。綺麗だ」


 わたしの答えを聞くと「惚れちゃダメだよ」と冗談めかしく釘を刺した。わたしは生まれてこの方、ずっとさくらに首ったけだ。

 わたしは隣に立ったさくらの手を握った。さくらは何も言わなかったが、手を握り返してくれた。それがすごく嬉しかった。

 あとは、神々の兄妹げんかの顛末を見守ろう。


「兄様……お久しゅうございます」


 妣が消え入りそうな声で囁く。その囁きを聞いたお兄さんは、妣の名を口にした。妣の名は独特の発音でわたしには、よく聞こえなかった。


「……はい」


 妣は頷く。

 黄泉国の軍団を引き連れて、さくらを追ってきたときとはまるで違う立ち振る舞い。どちらの側面も妣なのだろう。


「兄様に今一度逢いたく……花廻り屋にわがままを申しました」

「なんと!」


 お兄さんは驚いた顔をして、花廻り屋さんへ視線を向けた。花廻り屋さんは、興味の褪せた顔をして煙管を吸っている。


「兄様に謝りたきことがあります」

「謝る? お前が謝ることはなんにもない。我こそがお前に謝らなければならないのだ」

「…………」

「あのとき、お前に恥をかかせてしまった。我は自分のことしか考えず、お前の気持ちを考えていなかった。すまなかった」

「そんな。兄様に嘘をついた妾が悪いのです……申し訳ございません」


 お兄さんと妣は、互いに顔を見合わせると、さめざめと泣きだした。二人は優しい抱擁(ほうよう)を交わす。


「仲直りできたみたいだね。よかった」


 さくらが言った。


「ああ。本当に……」


 わたしもニコリと笑い答える。



「人の子よ。礼を言う。……何か礼の品を渡したいが」


 お兄さんが、優しく微笑み言った。

 神様という存在にお礼を言われるのは、なんとも不思議な気分だ。


「よろしいでございますか?」


 花廻り屋さんだ。


「そろそろ、小泉くんが起きそうなので、お身体を返してくださいまし。さすがの小泉くんのお身体でも、神霊の魂を入れたままでは不都合がございますゆえ」

「これは人間の依り代なのか? 素晴らしい肉体だ」

「まだ見習いで、器がまだ完成しておりません。それにこの子は、本来は審神者でございます。神意を鑑定して正しく人々に伝える存在でございますゆえ、依り代は不向きでございます。今回は仕方なく、あなた様を降ろさせていただきましたが」

「そうだったか。しかし、礼の品を……。その、我のメンツが……」

 花廻り屋さんは黄金色の瞳を鋭く細めて、「知りませんわ、メンツなど」とあっさり答える。声のトーンが低く、殺気がこもっているように感じた。


「う……。人の子よ。すまない」

「お気になさらず。それよりも、あの方と別れの挨拶はしなくていいのですか?」


 妣の方を見てお兄さんに訊く。お兄さんは、妣と名残惜しそうに最後の抱擁を交わす。


「また会おうぞ。愛しき君よ」

「はい」


 ぎゅっと抱擁を交わした瞬間、糸の切れた人形のように小泉さんの肉体から力が抜けた。妣は小泉さんの肉体を大切そうに地面へ横にする。


「人間……」


 妣に呼ばれ、わたしは首を傾げる。


「礼を言う。お前のおかげで、兄様と仲直りができた」


 わたしは、ニコリと笑い「いえいえ」と答えた。実際、背中を押しただけで、その後は何もやっていない。お兄さんを召喚した花廻り屋さんと、肉体へ降ろした小泉さんがいたらこそだ。

 それに、メイクを施したさくらの存在も大きい。


「お前も、ありがとう。兄様と違い妾から渡せるものがない。すまぬ……」


 妣は、わたしの隣にいたさくらにも礼を述べた。さくらは屈託のない笑みで応える。


「だったら、この子を黄泉帰らせてもよろしいでしょうか?」


 わたしは妣に訊ねた。結婚を義理の両親に申し込むときって、これくらい緊張するのだろうか? なんてことを考えた。


「お願いします」


 さくらも頭を下げる。たぶん、さくらもわたしと同じことを考えていると思う。双子だから、考えていることがすぐわかる。

 黄泉比良坂までさくらの魂を連れて来たけど、黄泉国の女主人の正式な許可が欲しかった。ダメと答えられたら、また全力で逃げるだけだけど。

 妣は「ああ」と頷く。「黄泉国からの解放を認める」


「ありがとうございます!」


 わたしたちは二人で妣に頭を下げた。晴れてさくらの魂を現世へ持っていくことができる。


「花廻り屋……様……。世話をおかけした……」

「お支払いいただいたお代分、過不足なくのご奉仕でございますわ」


 花廻り屋さんは、不可思議な鉾を手にして、つまらなさそうに答えた。

 妣は、踵を返すと黄泉国へ戻っていく。巨大なヨモツシコメも、妣について黄泉国へと去って行った。

 ただただ廃墟だけが残った。

 わたしは、安堵のため息をつく。よく生き残れたものだ……。

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