そして

 彼女は、全二巻に及んだ小説を閉じて、頭を抱え、溜息を吐いた。

 この小説の第一巻に書かれていた、グレアドルの入界審査官の女性というのは、自分に違いなかった。

 何故あの時、最重要指名手配犯に気付かなかったのだろう。

 あの時、自分が彼を止めていれば、こんなことにはならなかった。

 しかし、彼に脳を変身させられれば、どうすることも――。

 否。

 あれは自分の、力不足のせいだ。

 今も尚、彼の共犯者にされ続けている人がいる。

 いくら被害者がマノク人だとしても、許せない。

 それに、彼女は今、マノクには何の法則も無く、マノクは全世界のうちで一番弱い存在であるということを、薄々うすうす感じ始めているところであった。

 かよわいマノク人に、こんなことをするなんて。

 やはり、許せない――。

 異世界間交通の社員である彼女は、マノクの在来の交通網の視察と、異世界間交通の交通網を張るプロジェクトに向けた視察をするために、諜報員としてここ、マノクの地球に潜入している。

 同社に勤めるトルフスト人に、マノクのヨーロッパ系女性に変身させてもらい、何とか安全な日々を過ごしていたのだが――。

 ある日、彼女の手元に、この小説があるのに気が付いたのだ。

 アジュバーンの失態か、挑発か、はたまた、被害者からのSOSか。

 いずれにせよ、彼女は、この事態を放っておけなかった。

 異世界間交通も、アジュバーンを見逃し、あちこちの世界へ逃走させている者として、彼を血眼ちまなこになって探している。

 彼女は本社に連絡を入れ、潜入調査を一時停止し、アジュバーンの追跡にあたる許可をもらう。

 彼女は、のままアパートを飛び出し、古い石畳いしだたみの街を走る。

 アルロイスタシヤ・ヌウェラ・ハディ・アジュバーン。

 どこにいるの。

 私が探せば、きっと、私のところに現れる。

 早く姿を現しなさい。

 今度こそ、お前を止める。

 だから、来なさい。

「アルロイスタシヤ・ヌウェラ・ハディ・アジュバーン」

 どこにいる。

 どこに――。

 アーロ。

 どこにいるの。

 会いたい。

 もう一度、僕と一緒に旅をしよう。

 何度でも、何度でも、旅をしよう。

 忘れたっていい。

 君はこうして、思い出を残してくれるから。

 大好きなアーロ。

 早く会いたい。

 アーロ――。

「アーロ!」

 彼は叫んで、大きく手を振る。

 建物の外壁そとかべに貼られた『放尿禁止』の注意書きを、興味津々に眺めていた少年が、振り返る。

「アーロ! アーロ!」

 彼に気付いたアーロは、とても幸せそうに、笑った。

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