小説

 彼は小説を閉じて、頭を抱え、溜息を吐いた。

 小説は好きだが、職務上の理由で読まされるなど。

 疲れた。

 小説が嫌いになりそうだ。

 だが、文句を言っていても仕方ない。

 重い腰を上げて立ち上がり、電話をかける。

 すぐに相手が出る。

『こちら、異世界警察トルフスト支局、特殊政治犯罪課警司長けいじちょう、エワディーユ』

「こちら同所属、準使正じゅんしせい、イサナグ」

『読んだのか』

 エワディーユの一言目は、それだ。

「はい」

 最重要指名手配犯、アルロイスタシヤ・ヌウェラ・ハディ・アジュバーンが、被害者に残した小説。

 それが何故か、イサナグの手元にあったのだ。

 アジュバーンの失態か、それとも、挑発か。

 いくらデータを解析しても、ミテワジャ発・マノク着の、異世界間文学経由移動のコードが含まれていること以外は、暗号の一つすら出てこない。

 しかし、マノクには、異世界間文学経由移動の到着点など存在しない。

 つまりこれは、ただのノンフィクション小説なのだ。

 異世界警察は、挑発に乗ることにした。

 何度逮捕しても、アジュバーンは、その超人的な変身法則操作能力によって、データや記憶、思考や行動を操作し、逃走を繰り返す。

 その力は、全世界を征服するまでのものであると予測される。

 異世界警察の権威をぎ、イサナグの故郷、トルフストに汚点を付けたアジュバーン。

 今度こそ逮捕し、全世界の平和を守る。

 マノクの研究をしているのは、アジュバーンだけではない。

 異世界警察も、異世界間の治安維持を目的にマノクの位置を発見し、内密に諜報員ちょうほういんを派遣して、調査・研究を行っている。

 その諜報員の一人が、彼、イサナグだ。

 現在はマノクで職務にあたるイサナグだが、少し前までは、直接アジュバーンを追いかける立場であった。

 グレアドルで、異世界間交通からアジュバーンの身柄の引き渡しを受けたのも、彼だった。

 だが、気付いた時には、アジュバーンは姿を消していた。

 アジュバーンの変身法則操作能力――。

 否。自分の、力不足のせいだ。

 あの時、自分が彼を逃がさなければ、こんなことにはならなかった。

『できるか』

「はい」

 イサナグは、相手に見えないにも拘わらず、力強く頷く。

『アジュバーンのは、常にそこにある。一秒たりとも無駄にできない』

「分かっています」

『十分注意するように』

「はい」

 マノク人の中年男性記者の姿をしたイサナグは、電話を切って、外に出る。

 ここはちょうど、被害者が乗ったエレベーターが出現した、ニホン。

 被害者もニホン人だったのなら、アジュバーンはまた、ここに現れるかもしれない。

 人を探しているふりをしながら、閑静かんせいな街並みを歩く。

 さあ、かかれ。

 美味い餌がここにある。

 来い、アジュバーン。

 俺はここだ。

 さあ、来い。

「アルロイスタシヤ・ヌウェラ・ハディ・アジュバーン」

 アルロイスタシヤ……。

 アーロ。

 ここに来て。

 アーロ。

 いつか、なんて。

 待てないよ。

 アーロ。

 会いたい。

 もう一度、一緒に。

 ずっと一緒に、旅をしよう。

 アーロ――。

「あっ……!」

 街並みから浮いた、よく知った服を見つけて、彼女は走り出す。

 彼の方は気付かずに、建物や道路、すれ違う人々を観察しては、にこにこ笑っている。

「アーロ!」

 彼女は、大声で叫んだ。

「アーロ! アーロ……!」

 それでも気付かない彼に、彼女は大きく手を振り、人目も憚らずに叫んで、駆け寄る。

「アーロ!」

 彼が、振り返る。

 それから、驚いたような顔をして。

 そして、笑った。

 アーロと彼女は再会を喜び、それから手を取って、歩き出した。

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