純粋な

 翌朝、アーロとツイヤは、空気の澄んだ外へ出て、思い切り伸びをする。

「んー……!」

「ん」

 伸びをしたら、力を抜いて、息を吐く。

「んはー……」

「はあ」

 そしてまた、伸びをする。

「んー……!」

「ん」

「んはー……」

「はあ」

 田舎暮らしの夫婦の仕事は、畑仕事。

 好きなだけ、伸びと脱力をすると、ツイヤとアーロは、自分たちの畑へ出て、仕事を始める。

 今日の仕事は、草取り。

 果樹の周りに茂った草を、鎌で刈り、そのまま置いておく。

 刈った草が朽ちれば、果樹の栄養になるのだ。

「暑いね、ツイヤ」

「そうね」

 昨日は秋だったが、今日は夏。

 クレイト世界の季節は気まぐれだが、様々な生物たちとクレイト世界は、仲良く生きている。

 とは言え、ツイヤはなかなか、この世界の気候に慣れない。

 アーロは、クレイト世界の法則を操り、時間を戻す。もう少し涼しかった、あの日まで。

 ツイヤがいた場所には、クレイト人の益荒男ますらおがいた。

 トルフスト人と違うのは、肌と髪の色が均一であることと、背骨せぼねの数が一つ多く、指の数が一本少ないことだ。

「お、アーロ。おはよう」

 男は笑って、何事も無かったかのように手を動かし始める。

 彼は、ケゼス。

 孤独な異世界留学の途中で、戦争の激化により、故郷に帰れなくなったアーロに仕事と家を分け与え、面倒を見ている。

 クレイト世界は、他の世界とは異なる時間で動くことができるため、戦下せんかにあっても、比較的安全だ。

 しかしアーロは、農作業しかすることのないクレイトに嫌気いやけが差すのか、度々たびたび、危険な異世界へ出ていってしまう。

 アーロは、色々な世界を見たくて、色々な人に会いたくて来たのだから、じっとしていられなくて当然だと、ケゼスは思う。

 ケゼスはただの農民であったが、時間の法則を操る能力は、クレイト世界の軍人にも劣らなかった。

 アーロが黙っていなくなっても、ケゼスは、妻とアーロと暮らす家の時間を戻して、アーロを連れ戻す。

 しかしケゼスは、それから、アーロを異世界へ行かせるのであった。

 ただし、一人で行くのは許さない。

 ケゼスは、みずからアーロに付いていき、楽しみの為だけに無理やり変身させられる役を、一身いっしんに引き受ける。そうすれば、アーロの罪は、法律違反だけになるからだ。

 そして彼は、あらゆる組織そしきから狙われるアーロを、安全な場所まで連れ帰る――というより、彼がアーロに付いていくことで、アーロがここに帰ってこなければならない理由を作っている。

 アーロは、この世界に戻ってくる度に、時間の法則を操って、外出の間に過ぎた、彼とクレイト世界の時間を戻す。

 しかしケゼスは、アーロが、時間の法則を操ることで、ケゼスの記憶を修正していることを知っている。

 アーロは、他人を犠牲にすることで自分を満たす自分に、いかり、悲しんでいるのだろう。

 だからこそ、記憶の修正が乱雑なのだ。

 ケゼスがもう、付いてこないように。家庭があるのに、これ以上、アーロに身体を売らないように。

 それでも彼は、危なっかしいアーロを見守り続けたかった。

 アーロとケゼスは、長く伸びた草を握って、刈る。刈ったら置いて、また刈る。

 アーロの膝上までを隠していた草は、次々に地面に倒れていく。

 懸命に生きる草たちや、草を食べて生きる虫たちに謝りつつも、アーロとケゼスは、生きるために、草を刈る。

 汗が流れる。

 手が痛む。

 腰が、膝が、痛む。

 それは、ケゼスには心地良いものだが、アーロには、自分を罰するものなのかもしれなかった。

「なあ、アーロ」

 アーロのいる場所から、ケゼスの顔は見えなかったが、彼が笑っているのが、アーロには分かった。

「なあに」

「俺の奥さん、可愛いだろ」

 ケゼスはこの間、結婚したばかりだ。

「どこがって、全てがだよ。だがお前には、その可愛さを理解してほしくない。だって俺のだから」

 ケゼスは照れもせずに、妻を可愛がる。

 アーロが、その邪魔をしているというのに。

「心配だけど……」

 ケゼスの声が、すっと暗くなる。

 彼の妻のお腹には赤ちゃんがいて、このごろは、身体の具合があまり良くない。

「でも、楽しみなんだ」

 ケゼスが、また笑う。

「早く赤ちゃんに会いたいって、ずっと二人で話してるだろ」

 彼は、アーロがいても、妻との時間も大切にする。

「ぼくも、ケゼスさんと奥さんの赤ちゃん、早く会いたいなあ」

 アーロには、旅の連れも、父親も、母親も、きょうだいも、友達も、恋人もいない。

 ケゼスは、アーロは、自分の惚気話のろけばなしなど聞きたくないだろうということは分かっていた。

 にもかかわらず、アーロにどんな話でもするのは、彼なりの愛情だ。

 彼は、つかう必要の無い仲間として、アーロの傍にいたかった。

 ケゼスは、アーロの持つ力は、全世界を変えるものだと考えている。そんなアーロに、何のしがらみも無しに関わってくれた人など、これまで、誰一人だれひとりとしていなかったに違いない。

 とは言え、ケゼスがアーロと関わるのは、もちろん、慈悲じひからではない。

 ただ、アーロのことが好きだからである。

「赤ちゃんが生まれたら、一番にアーロに会わせるよ」

「ほんとに?」

「本当だよ」

 アーロには、約束なんてどうでも良かった。

 惚気話がどうとか、そんなことも、どうでも良かった。

 ただ、優しすぎる彼の幸せを願っていた。

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