自由な世界

「ねえ、他の世界に行こうよ。お姉ちゃんのいるところも、すぐばれちゃうからさ、そのうち、誰か来るんだ」

「そうだね」

 彼女は、アーロと手を取り合って、駅前通りの人混みを歩く。

「うーん、どうしよっかなあ? 電車は使ったし、車も乗ったし、ワープゲートも通ったし、ロケットも乗ったし……」

寝台船しんだいせんは?」

 寝台船というのは、観光地の世界で普及している移動方法で、実際には船ではないのだが、ベッドで眠って起きると、異世界に辿り着くというものだ。

「あ、それはいいねえ。でも、一度、他の星に遊びに行こうよ」

「そうだね」

 彼女とアーロのような子供が眠るには、遊び疲れる必要があるが、人目の多い場所は、早く出るに限る。

「待ってね。ええと、どこにしようかなあ」

 アーロは、ポケットから取り出したペンを、指先でくるくると回しながら、考える。

 その銀色のペンは、彼が生まれた時に、父親と母親から贈られたものだ。

 彼の生まれ育った町には、生まれた子供に、学問の象徴であるペンを贈る風習がある。

 普通の子ならば、変身と消費を繰り返すことによる劣化を防ぐため、実物を異世界留学に持っていくことは無いが、アーロに、その心配は無い。

「お姉ちゃん、どこがいい?」

「重力が小さくて、ふわふわ楽しいところ!」

 シウトレア世界の法則は、流体の法則。気体や液体などの流れが、物理法則に逆らうことがある。

 それを上手く利用して、生物が生存できるような大気を他の星に持ち込み、観光地化している場所があるのだ。

「わあ、いいねえ! おてて、ぎゅっと繋いでてよ?」

「うん」

 彼女は、アーロの手を、強く握り締める。

「えいやーっ」

 アーロがペンを、空に向かって投げる。

 銀色のペンは、くるくる回転しながら空に向かって伸び、光って、やがて、星を敷き詰めたかのような坂道になる。

 その先は遠く、見えない。

「走るよっ」

「うん」

 周囲の人々が、いきなり出現した星間移動橋せいかんいどうきょう狼狽うろたえているのを尻目に、彼女とアーロは、走り出す。

 橋を作る星屑ほしくずは、二人が踏んだそばから崩れ、消えていく。

「はやい、はやーい!」

 アーロは走りながら、楽しそうな声を上げる。

 星間移動橋の上では、子供の一歩は、一千光年になる。

 すぐに重力が消え、アーロと彼女は、橋の星屑に掴まりながら、泳ぐような格好になる。

 アーロが流体の法則を上手く使って、大気を持ってきてくれているので、苦しくない。

 夢中で泳いでいると――。

「おっと、行きすぎちゃった」

 アーロが、後ろに橋を作り直して、その上を少し戻る。

「ここだったあ」

 アーロはえへへと笑って、橋から分かれている下り坂を下りていく。

 彼女も、アーロに手を引かれるままに、泳いだ。

「着いた、着いたー」

 アーロは、星屑の最後の一かけらを取って、銀色のペンに戻す。

 目の前に見えるのは、砂しか無い星。

 重力が襲って、身体が少し重くなるが、さっきの星よりは、何倍も軽い。

 こんな世界情勢の中、旅行をする人などほとんどいない。

 だだ広い砂の星を、彼女とアーロは、ぴょんぴょん、ふわふわと跳び回った。

 その間に彼女は、自身の脳を変身させていた。

 自分は、アーロの姉の、リエラである。

 アーロが『ママ』と呼んだ時だけ、自分が、アーロの母親であることを思い出す。

「お姉ちゃん」

 無邪気に笑ったアーロが、すいーっと飛んできて、リエラの両手を握る。

「うーん」

 しかしアーロは、リエラの手を握ったまま、困ったような顔をする。

「やっぱり、いつものツイヤちゃんがいいな」

 アーロは、想の役をし、父親の役をし、母親の役をし、姉の役までしてくれた友人のツイヤを、元の姿に戻す。

「ありがとね、ツイヤちゃん」

「うん」

 ツイヤは、アーロが幸せなら、それで良かった。

 ツイヤにとっても、アーロにとっても、互いは、ただ一人の理解者であった。

 超人的な能力を持って生まれた二人は、同じ年の子供にも、教師にも、家族にも、理解されなかった。

 言うことを信じてもらえず、気味悪がられたり、恐れられたり、ねたまれたり、利用されたり、小さな子供であることを忘れられたり――。

 アーロとツイヤは、孤独だった。

 異世界留学の制度を利用して、苦しい場所から、二人で飛び出した。

 アーロとツイヤは、二人だけの世界を、自由に飛び回る。

 走って、跳んで、舞い上がって、落ちて、逆立さかだちして、また跳んで、飛んで、飛んで――。

 二人は、黒い空の高い所で、再び出会う。

「約束、忘れてないよね」

 ツイヤが、はにかみながら言う。

「なんだっけ?」

 ツイヤの前では恥ずかしくなるアーロは、とぼけてしまう。

「ばかっ」

 ツイヤが、アーロを突き飛ばす。

 二人は線対称の放物線をえがいて、ゆっくりと砂の地面に落ちていく。

「ごめんって!」

 アーロは慌てて、ペンをジェットエンジンに変身させ、走って逃げるツイヤを追いかける。

「覚えてるっ、からっ!」

 ツイヤを大幅に追い越したアーロは、ジェットエンジンをペンに戻し、きびすを返して逃げるツイヤに、後ろから飛び付く。

「覚えてるよ」

 アーロは、ツイヤの肩を掴んで、彼女の正面に回る。

「ケッコンする約束でしょ」

 子供たちは、ぎこちなく、唇を重ねる。

 大気の無い空は、黒い。

 黒と星だけの空を、小さな二人が、ゆっくりと落ちていった。

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