人と大儀

「わーお、大都会だねえー」

 晴れた空の下、アーロが、両手を大きく広げる。

 かなり広かった駅を出ると、そこは、まさに大都会であった。

 そびえ立ち、今にも倒れかかってきそうなビル、ビル、ビル――。

 郊外こうがいでしか暮らしたことのない想は、目が回りそうである。

「ね、分かった?」

 一歩先を歩くアーロが、想の顔を覗き込んでくる。

「何が」

「グレアドル世界の法則」

「分からない」

 少し近未来感があるような気はするものの、目の前にあるのは、テレビや映画で見るような大都会と、さして変わりない。

 街を歩く人々も、さっきの女性のように、髪が首の後ろまで生えているだけで、身体の他の部分や服装は、ニューヨークなんかを歩いている人々と、何ら変わりない。

 グレアドル世界どころか、異世界すら初めての想に、法則など分かるはずもない――。

「重さだよ」

 アーロが、偶々たまたまそこにあったビルを指差し、その指を、すいーっと上に上げる。

 そのガラス張りのビルは、高さ五百メートルはあろうか――。

「普通は、この細さにこの形じゃあ、こんなに高いものは建てられない」

 確かにそのビルは、よくある雑居ざっきょビル程度の敷地面積の中に、ただの長方形の形で建っている。

「ほら、ニホンにも、大きなタワーとか、ビルとか、あるでしょ。あれって、下が太くて、上が細いの。そうしないと、ちょっとの風とか地震とかで、ぽきっと折れちゃうからさ。でも、あのビルは、法則を扱うのが上手な人が建てて、きちんとメンテナンスしているから、大丈夫ってわけ。あと、ほら」

 アーロは今度は、別のビルの上で、樹木じゅもくの枝のように広がっているオブジェを指差す。

「あんな弱い建物の上に、あんな重いものを載せたら、普通は潰れちゃうでしょ。あれも、かなり上手な人が関わってるんだよ」

 アーロはまた、ペンを果物にして、しゃくっとかじる。

「自然に重さが変になってるのはねえ……」

 アーロが、辺りをきょろきょろと見回す。

「それとか」

 想の顔に、かなり不愉快ふゆかいな、水っぽいものが当たる。

「鳥さんのウンチ」

「ぐゎ」

 必死に袖で顔をこする想を、アーロは大笑いしながら見ていた。

「もう、見てないで……!」

「分かったよう」

 まだ大笑いしながら、アーロは鳥のふんを、柔らかな白い羽根に変身させる。

「ありがとう……」

 礼を言いつつも想は、いつか仕返しをしてやろうとちかうのであった。

「今のはね、鳥さんのウンチがすっごく軽くなってて、空気の抵抗でなかなか落ちなくて、ただよってたんだよ」

「あぁ、そう……」

 マノクの異世界物語をあまり知らない想でも、宙を漂っていた鳥の糞に顔から突っ込む、などという場面などあるはずが無いということは分かった。

「ぼくも、何かしてみたいなあ」

 わくわく顔で言ったアーロが、またたに、姿を変える。

 身体はそのままだが、服装は、何の変哲もないパーカーに、カーゴパンツ、つばの大きいキャップ、ハイカットスニーカーという、完全なる都会っ子のものとなった。

 肌の斑模様は見えないし、髪の色が違う部分は少し見えるが、お洒落しゃれで染めているように見える。

 時世もあってか、異世界の人の姿は見えないが、色々な肌の色や顔立ちの人が歩いているので、褐色の肌と彫りの深い顔も、街に馴染なじんでいる。

 肝心の首の後ろは、分厚いフードのお陰で、うまく隠れている。

「ねえ、重さが変わっちゃうってことはさ、重さは、マイナスにもなるかもしれないよね?」

「え」

「いっくよーっ!」

 アーロが、想を置いて走り出す。

 通行人は、アーロを迷惑そうに見ながら、道をける。

「いち、にの、」

 アーロの小さな身体が、ぴょんぴょんっと、二歩跳んで――。

「さーん!」

 三歩めで思い切り踏み切ったアーロが、有り得ない高さに飛び上がる。

「うわあああああああああああああああああああああああ!」

 アーロの声は、楽しそうではあるが――。

「アーロ……!」

 幸い、電線などは無いものの、飛び続けて止まらない。

 止まらないどころか、速度を上げてはいないだろうか。

 だが想には、どうしようもない――。

「誰か……誰か、すみません、あの子が……!」

 想が、慌てて周囲の人に声を掛けると、何人かは事態に気付いたようだが、想と同様に、おろおろするばかりだ。

 アーロの姿は、もう、胡麻粒ごまつぶのように小さい――。

 そのとき遠くで、ひゅっと、くうを切る音がする。

 人混みの中から、縄のようなものがアーロに向かって飛び出し、正確にアーロをらえる。

「いやっほーーーーーーーーーーーーーーーーーーう!」

 想の焦りも知らずに、なおも楽しそうなアーロは、縄に引っ張られて、降りてくる。

 想は人混みを掻き分け、急いでアーロのもとへ向かう。

「わあ、みなさん、ありがとう! ありがとうね!」

 想が、アーロの着地点に辿り着くと、彼が流暢りゅうちょうなレイヤタ語で、周囲の人々に礼を言っていた。

 彼らの近く、歩道の脇に、金属の箱のようなものが設置されていて、縄はそこから出ていた。

 どうやらこれは、急に法則がおかしくなった時のためのもののようで、誰かが、それを作動させてくれたらしい。

「あれっ、重さが戻ってる! おにいさん、上手だね!」

「軍で、訓練していますから」

 アーロの重さを戻した青年が、アーロの目線に屈んで、優しく微笑む。

「軍人さんなの! すごい! ありがとう、おにいさん!」

 アーロが、青年の力強い身体に抱き付くと、周囲から歓声が上がる。

「でも、重さが少しだけ、マイナスになっていなかったかい。引っ張られて、痛くなかった?」

 騒ぎが落ち着くと青年は、アーロの怪我を心配し始める。

「マイナス? そうなの? 分かんない。なんか急に、びゅーんって飛んじゃって。でも、痛くなかったよ」

「そうなんだね。ともかく、怪我が無いなら良かった。でも僕は、自然にそんなことが起こるのは、初めて見たよ」

「おにいさんにも、分からないこと、あるの?」

「うん、あるよ」

 想は、遠巻とおまきに眺めていることしかできなかったが、アーロはなんなく会話をしている。

 やがて、集まった人々が元の生活に戻ると、アーロは笑顔で青年に手を振って、想の方へと走ってくる。

「楽しかったー!」

「あ、うん……」

 アーロの能力、演技、無邪気さ全てに、想は言葉も出ない。

「おにいさん、優しかったあ」

「そうだね」

 きっと、どの世界にだって、優しい人がいる――。

「あのねあのね、異世界から来た人が、わざとその世界の法則を利用するのは、ほんとは、だめなんだよ」

 アーロは、何でもないことのように言って笑い、想の腕にしがみ付く。

「だって、いっぱい練習したら、自分の法則と合わせて、ものすごい武器になっちゃうからさ」

 アーロはいつの間にか、元の服装に戻っている。

「でも」

 不意にアーロの声に、悲しみが混ざる。

「戦争になっちゃえば、そんなこと関係ないけど」

 想はアーロに腕を掴ませたまま、話を聞いていることしかできなかった、

「軍人さんたちは、自分の世界でいっぱい訓練をして、戦地に行ってからも、いっぱい訓練をするの。でも、そうしなきゃ、自分の世界が無くなっちゃうかもしれないから、どうしようもないの」

 大儀たいぎために生きる人々がいる――いなければならないのも、どの世界でも同じなのだろう。

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